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『菊とギロチン ―やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』発売になりました 

(2018/7/11)

栗原康著 瀬々敬久・相澤虎之助原作『菊とギロチン ―やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』本日発売です。

 

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7月7日に公開した映画『菊とギロチン』 は早くも大評判、初日満足度ランキングで1位をとるなど多くの人の心を掴んでいます。

関東大震災直後、急速に不寛容な社会へとむかう時代、女相撲とアナキストが出会った-。鬼才・瀬々敬久、構想三十年の入魂作『菊とギロチン』。本書はこの映画オリジナルストーリーを、小社刊『はたらかないで、たらふく食べたい』でもおなじみ、栗原康氏の独自の視点・解釈で作り上げた創作評伝小説です。

映画の物語を追いながら、アナキスト集団「ギロチン社」の面々の生い立ちや境遇、女相撲を目指した貧しい女性がおかれていた状況、シベリア出兵、在郷軍人の自警団、関東大震災、朝鮮人虐殺……その背後にあったことをあぶり出していきます。一瞬だけ出てきた歴史上の人物や、ギロチン社メンバーの最期など、映画の世界をより深く理解するのに役立つ読み物になっています。

瀬々監督をして「化学変化極まり爆破寸前の爆弾であり、脳天へズドーン小説」と言わしめ、刺激を受けた監督は映画の後日談「小説・その後の菊とギロチン」を執筆、急遽収録しました。こちらも昭和史の事件の数々が「菊ギロ」の物語と絡み合う、まさに映画を観ているような読みごごちの作品です

 

IMG_1120裏面、本文末に映画情報も載っています

 

映画を観た方も、これから観る方にもぜひ読んでいただきたいこの本ですが、どうして刊行に至ったのかを、ちょっと書いておきたいと思います。

この映画のことを知ったのは、一昨年の秋、ちょうど撮影をしていた頃だと思います。知人のプロデューサーさんがTwitterに書き込んでいた「アナキストと女相撲」にザワザワと来て、連絡をとったのが始まりです。

脚本をいただいてカフェで読み始めたら止まらず…そして号泣。これは本にしたいとすぐ思い、ご相談しました。

最初はもちろん原作者である瀬々監督に執筆をお願いすることを考えていました。しかしその後も監督作品が続き、時間がとれない、と。でも単なるノベライズではもったいない、時代背景や作品の姿勢を訴えるものにしたい……はっ、それなら、適材がいる、まさにアナキズムを専攻している栗原さんに書いてもらうのはどうだろう、と提案したのでした。

そのときは知らなかったのですが、監督は栗原さんとイベントで顔を合わせていて『菊とギロチン』制作時も栗原著作を読んでいたとか。共振するところはあったとはいえ、長年あたためてきた大切な作品を委ねる、しかも小説家でもなく、個性の強い書き手に、と不安要素も多かったことと思います。とりあえずある程度書いたものを読みながら検討していくという、今から思えば綱渡りなスタートでした…

そこから制作途中の試写、完成試写、女相撲の膨大な資料と「菊ギロ」に入り込んでいき、最初にあがってきた原稿の冒頭がこちらです。
 

 人生はクソである。人糞じゃない、犬の糞だ。水洗便所できれいさっぱりとながされることなんてなく、道端にコロッコロしていて、ただただ侮蔑の目でみられるようなあのクソである。この物語は、そんなクソたちによる、クソたちのための、クソったれの人生だ。コロッコロしようぜ、クソくらえ。さあ、はじめよう。

 

(笑)。
と、今なら笑えるけどこのときはこれで大丈夫なのか、おそるおそる提出…しかしこれを読んだ監督が後日談を閃いた、と言ってくれてようやく先が見えてきたのでした。

章を重ねるにつれ栗原さんの筆がのって、より自由に、より過激になっていき、大ボリュームの「脳天へズドーン小説」が完成。装丁は、いつか何か当てはまるものがあればと思っていた、セプテンバーカウボーイの吉岡秀典さんにお願いして、黒く、不穏な本になりました。映画で印象的な、あのシーンが、どのように表現されているか、ぜひ見ていただきたいです。

 

IMG_1118黒い本です

 

脚本、試写、そして原稿、校正と、見るたび読むたびに胸が詰まる、そんな制作期間でした。映画『菊とギロチン』ともども、書籍版もどうぞよろしくおねがいいたします!

(宮川)

 

 

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