2人は翻訳している

2人は翻訳している すんみ/小山内園子 

(2024/5/8)

2人は翻訳

 

韓日翻訳家のすんみさんと小山内園子さんによる連載をスタートします。
翻訳とは、ことばとは、それが生まれる世界とは。さまざまな角度から「翻訳」について書いていただく予定です。第1回は、おふたりからのプロローグをお届けします。



 自分の知らない世界を想像することがとても好きです。知らない世界を見てみたい、という気持ちで日本に来ました。文学が好きになったのも同じような動機でした。「木」という言葉を聞くと、釜山という都会育ちの私は、街路樹としてよく目にするプラタナスや銀杏の木が、まず頭に浮かんできます。しかし、誰かはバオバブの木を、幹が曲がりくねっている巨木を、寒さに耐える低木を思い浮かべるでしょう。「木」という言葉だけを取っても、その言葉を発した人がどんな環境で、どのように暮らしてきたかによって、さまざまな物語を持ちます。
 文学作品を翻訳しながら、私は言葉の裏側(あるいは外縁といったほうが正しいかもしれません)にあるものを見つめるような気持ちになります。「木」がプラタナスや銀杏の木かもしれず、バオバブかもしれなくて、曲がりくねっている巨木かもしれない、というような世界を読者に届けていきたいです。
 一つの意味に固定されない世界を、一緒に楽しんでみませんか。

すんみ



 最初の訳書が刊行されたのは2017年。それまでのことを説明すると、だいたい相手に「いったい何がしたかったの?」と言われます。
 新卒でテレビ局に入ってニュース番組を作ったりドキュメンタリーを撮ったり永田町で泣く泣く討論番組の生放送を担当したりしているうちに何してんだオレ、とむくむく疑問がわき、<信じられる仕事がしたい>と社会福祉士になって女性相談に関わり、そのうちに交通事故的に『冬ソナ』に出会って韓国語を始め……自分でもわけがわからないまま、今に至ります。
 ただ、最近気づきました。どの時間にも共通していたのは「翻訳」かもしれないと。発せられた言葉を頭に入れて、咀嚼して、また別のところで発する。そう考えれば、実は翻訳者だけでなくあらゆる人が、日々、さまざまな出来事を翻訳して暮らしてるんだ。
だから、できるだけひろ~い意味での<翻訳>について、つづっていければと思います。

小山内園子



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