tbスタッフマガジン

25歳、本と私#4 書店のセルフ検閲に抗議した話。 

(2023/2/10)

 こんにちは。今日(2月10日)東京は雪が降っていますね。タバブックス事務所のエアコン直下を陣取ってこれを書いています。スタッフのげじまです。

 今週の私は怒っています。発端は先週末、荒井首相秘書官が同性愛者に対し「見るのも嫌だ」「隣に住んでいるのも嫌だ」「同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」などと発言したことです。

 先日の首相の「育休中にリスキリング」発言のバグり方に呆れかえっていたところにこの発言。週末の私の頭は、政府の中枢にいる人間がこんな発言をしてしまう状況に対して、どう抗議するかでいっぱいでした。

 せっかく書店で働いているので、本で差別に対抗しようと思い「LGBTQ +の本」コーナーをつくることにしました。月曜日、急いで店内に在庫のあるクィア関連の本を一箇所に集めました。北丸雄二さんの『愛と差別と友情とLGBTQ +』や、遠藤まめたさんの『はじめてのLGBT』、『イラストで学ぶジェンダーのはなし』、『ヘイトをとめるレッスン』などを空いている棚に面陳にしました。

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 そしてこのコーナーに合うPOPを昼休みを使ってつくりました。POPにはこう書きました。

 

LGBTQ +の本 同性愛嫌悪を終わらせるための最初の一冊

 

 首相秘書官の発言に怒っているあなたと、一緒に読みたい本を集めました。

 『見るのも嫌だ』『隣に住んでいたら嫌だ』なんてもう二度と言わせない社会のために、まずはこの一冊から。

 

 私は、自分と同じような人に、差別に怒っているのはあなた一人ではない・仲間はここにいる・あなたと一緒に声を上げたいというメッセージを込めてこの文言を考えました。

 しかし、これを見た社員(店舗マネージャー)は、「この表現はダメだ」と言って、このPOPを外してしまったんです。「首相秘書官」と個人を特定する書き方はまずいとか、クレームが来るのを店長が嫌がるとか、「怒っている」という部分が攻撃的だとか、「同性愛嫌悪を終わらせる」だと押し付け感があるとかいう理由で。「理解してほしい」「わかってほしい」という柔らかい表現を使ってほしいと。

 私は切れました。

 これこそが、日本でいつまでも差別が終わらない原因だと思いました。こういう大人が、差別に対して声を上げず、むしろ上げた声をかき消してきたから、いつまでも差別が温存されているんだと思いました。

 怒りすぎて、悔しくて涙が出てきました。実際、帰りの電車で泣きながら、このまま黙らされてたまるかと思って、このマネージャーに長文で抗議のLINEを打ちました。

 問題は、POPにではなく、マネージャーが書店として自ら表現の自由を制限しようとしていることにあること。今まで批判すべきことを批判せず、ずっと放置してきた結果が政府の中心人物のあの発言だということ。私たちの世代でそれは終わりにしたいこと。

 「首相秘書官」と記載しないことは極めて政治的な選択であり、透明化であり、より弱く同性愛嫌悪に反対する表現を選ぶことだということ。

 シスジェンダーでヘテロセクシュアルであるマネージャーにとっては、クレームが来ないことのほうが、つまり保身のほうが、同性愛嫌悪発言した人をきちんと批判して当事者に連帯を示すことよりも、ずっと大事なことなのかということ。マネージャーは、このPOPを見て同じように差別に怒っているお客さんのことよりも、このPOPを見て「けしからん」と思うお客さんのことを真っ先に思い浮かべたのかということ。

 お店には、スタッフである私以外にも、LGBTQ +の当事者や、アライであるために勉強している人がお客さんとして来ているはずであり、私は自分の言葉の選択を変えるつもりはないということ。

 

 アルバイトの立場でマネージャーにこんなことを送って、自分の立場が悪くなることを考えたら恐ろしかったです。でも同時に、これを言わないで黙ってるくらいなら本屋をやる意味はないとも思って、送信ボタンを押しました。

 このときはっきり分かりました。私は社会を変えるために本屋をやりたいです。数年後、自分の本屋を持つときの指針が一つ決まりました。波風を立てずに、ことを荒立てずにいたいなら、言論に関わる仕事をやらなくてもいいと思いました。

 

 マネージャーからの返信も長文でした。立場上、スタッフを守る責任があること。リスクを最小にしたいということ。ただ、POPに関しては過剰な忖度かもしれないということ。その忖度は、これまでに刷り込まれた残念な判断かもしれないということ。翌日、ほかの人の意見も聞いてまた考えるという返事でした。

 そして翌日、マネージャーは休みでしたが、別の社員からPOPを戻すことになったことを伝えられました。

 

 私が沈黙して抗議しなければ、剥がされたままになっていただろうPOPは、「LGBTQ +の本」コーナーに戻ってきました。これはプライドと自由の勝利でした。

 

(げじま)

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