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僕はこうやってZINEを作っている、あなたは? #1 ZINEのスタイル 

(2023/1/31)

みなさんこんにちは!
ZINE、作ってますか?

第一回目の今回は、ZINEのスタイルについて書いてみようと思います。「ZINE」と一口に言っても小説とか評論とか雑誌とか色んなスタイルがありますが、僕が好んで作るのは様々な書き手が綴る文章を集めたオムニバスです。だから自分自身の役割は「著者」ではなく「作者」とか「編集者」の方が近いかもしれません。

文章を書くのも好きは好きなのですが、それよりも面白いコンセプトや構造を考えて、複数の人を巻き込みながら何かを作る、いわばプロジェクトを動かす方が好きなんですよね。その方がやっていて気持ちいいというか。

じゃあ自分はこうしたプロジェクトベースのオムニバスにどんな魅力を感じているのか、頭の中のイメージを探ってみようと思います。つかのまの脳内散歩に少しだけお付き合いください!

 

図1

あなたにはこれが何に見えますか?

鳥か、山の稜線か。それとも波とか、ミミズと答える人もいるかもしれない。Googleの画像解析では「飛ぶ」という動詞がヒットしました。かくいう僕には風や上唇の輪郭にも見えます。初見で「飛ぶ」とか上唇のイメージを抱いた人はほとんどいないと思いますが、そう言われると確かにそういう風にも見えてくるから不思議ですよね。

だけどよく考えてみると、これは紙の上に引かれた一本の線でしかありません。しかし何の変哲もない線でも、そこにひとたび問いが設定された途端、僕たちは想像力をふくらませて、たった一本の線から自在にイメージを形作ることができる。線を引き、問いを投げることで生まれた十人十色の視点を集めて、一冊の本にまとめる。これが僕のZINEづくりの基本的なイメージです。

 

ここで連想するのが、高村光太郎の詩集『智恵子抄』に収められた「あどけない話」という一編です。この詩には、光太郎と結婚した智恵子が地元福島から東京へ出てきて、ふと空を見上げた時の会話が描かれています。智恵子は空を見上げながら「東京には空が無い。ほんとの空が見たい」と言う。光太郎は驚いて空を見るが、そこには「切っても切れない、むかしなじみのきれいな空」がどこまでも広がっているばかりであった、という内容です。

今回注目したいのは、光太郎にとってあたりまえに存在していた「空」が、智恵子には全く違う見え方をしていたことに「気づき、驚く」という点です。この何気ない一場面をわざわざ作品に残すということはよほど印象的な出来事だったのでしょうし、この出来事の前と後では光太郎にとっての「空」の見え方はもはや同じではないはずです。

さらに想像力をはたらかせてみましょう。もしも光太郎と智恵子のとなりに僕とあなたとあと何人かいたとする。そしてみんなで空を見上げてそれぞれの空の印象を語り合うとすると、空の青さを語る人もいれば、雲の流れや形について語る人も、もしかしたら谷川俊太郎の詩や「空」という言葉の語源について語る人もいるかもしれない。そしてきっとそれぞれの視点の違いを面白いと感じたり、あるいはそこに不思議な共通を見つけて頷き合ったりすることでしょう。

僕らは同じ空を見上げながら、同時に一人ひとり異なる空を見上げている。その無数に生成されるイメージの複雑に織りなす総体が、「世界」という抽象的なイメージを形作っている、という世界観が僕の作品の根底にあります。こうした世界観につよく影響を与えているのが宮沢賢治です。

賢治は自らの詩や童話を「心象スケッチ」と呼び表しました。詩集『春と修羅』の序文で「人や銀河や修羅や海丹は、畢竟心のひとつの風物です」と書いたように、僕たちはみな自分の主観を通してしかこの世界に触れることができません。しかも世界を感じたり思考するためには、それぞれの持つ経験や知識が強いファクターになります。「知ってることしか見えない」というやつですね。だからこそ、東京で生まれ育った光太郎の空と、安達太良山のふもとで生まれ育った智恵子の空に対する感じ方やイメージに違いが生じるというわけです。

「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから」(『春と修羅』)

すなわち、「こうだ」と思い込んでいた自分の視点が、「異なる視点との出会い」をきっかけに相対化されて、少しだけ世界の見え方が変わってしまうような。そうした視点の転換/拡張を、〈おのおのが持つ複製不可能な記憶の物語り〉を通して表現するのが僕のZINEづくりのねらいです。

人は誰しもが自分だけの物語を生きていて、みな語るべき言葉を持っている。だから本当に面白い物語は、どこか外側にあるんじゃなくて、一人ひとりの内側にヒダのように折り込まれている。その普段は光の当たらない物語を、ZINE作りを通して、書き手と読み手の両方から集めようってことです。

「みんないろんなことを経験して、考えて、それを赤裸々に語ってくれている文章。なかなか普段話をする中で、こんな中身の中身まで話さないじゃないですか、友人同士でも。なんだか、それを知れるって、一気に距離が近くなる感じがして。」

これはパリで料理研究をしている友人のかなみさんが言ってくれた言葉です。僕のZINEに寄稿してくれる人のほとんどは、いわゆる「物を書いてメシを食っている人」ではありません。だけど、みんな本当に面白い文章を書いてくれるんですよね。

さまざまな場所から集まった無名の物語が媒介となって、自分の見えている世界がひとつの見え方でしかないことに気づき、「ものの見方・考え方」をポジティブに転換することで、自分をも含む書き手/読み手がともに、この世界を生きるのが少しだけ楽しくなったらいいな、と。そんな感じです。

ここまで書いてきて分かるように、僕の巻き込み型ZINEの構造は非常にシンプルで、「どんな線を引き、どんな問いを設定するか」によって無数のバリエーションを生み出すことができます。

というわけで、次回は僕のZINE作りで最も重要な「コンセプトをつくる」について書いてみたいと思います。

ぜひあなたが作るZINEのスタイルやこだわりも教えてくださいね!

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