新しい風景を求めて(前編)/すんみ
(2025/10/2)
K-POPアイドル業界には、「魔の七年」という言葉がある。この七年という時期は、アイドルグループと事務所との契約が切れるタイミングで、グループの解散になることも多い。解散はしないにしても、ソロ活動に力を入れたり、演技など新しいジャンルに挑んだりして、グループ活動は事実上の休止状態になることが多く、ファンとしては不安が募る年となる。私も好きなグループが全員契約更新に成功したという発表を聞いて、胸をなでおろしたことがしばしばあった。
小山内さんとの共訳を始めてから、そんな魔の七年をあっという間に迎えた。一緒に共訳を始めた頃に生まれた子どもが、小学校一年生になっている。楽しかったけど、大変なところもあった。各々訳したい本をこなしながら、スケジュールを調整し、一緒に共訳できる時間を確保する。うっかりしてスケジュールの調整を間違えると、手元のゲラが二つになってしまう。自分のミスで予定がズレると相手のスケジュールにも影響が出るので、寝る時間を削って作業を進めざるを得ない。もちろんどうしても無理で、スケジュールの再調整をお願いすることもあった。翻訳分担の決め方は作品によって異なるが、それでも文体や単語レベルの細かい調整が必要なので、「半分だけ訳せて楽ちん」とはならない。子どもの卒園式で歌った「さよならぼくたちのようちえん」の歌詞を少しいじって、「たくさんの毎日を一緒に過ごしてきましたね。何度笑って、何度泣いて、何度コロナになって」と歌を贈りたい。
さて、ここで(幻の)ファンのみなさんに、ご報告があります。
小山内さんと私は……今後……
翻訳活動を一緒に続けていくことを決めました。
(すみません。一度やってみたかっただけなので、見逃してください。)
以前、小山内さんが英米文学翻訳者の越前敏弥さんの文芸翻訳講座に出演した。その時、越前さんはカメラに向かって「すんみさん!!」とその場にいない私の名前を呼び、二人が共訳を続けていることを評価してくださった。翻訳業界でなかなか見ない稀有な関係だという。あとから小山内さんにその話を聞いて、どうして私たち二人は、共訳を続けているのだろうかと考えてみた。
共訳が好きだからだと思う。そして小山内さんとの作業がとても好きだ。原稿のやりとりが、まるでキャッチボールのように楽しい。ストレートでも、変化球でも、ちゃんとボールが返ってくる。どちらかだけの投げっぱなしにはならない。キャッチボールをするうちにグローブとボールが手に馴染んでくるような気持ちで、小山内さんと言葉を投げ合っているような気がする。
チョ・ナムジュ「家出」(『私たちが記したもの』所収)を訳した時もそうだった。ある日突然父親が家出したせいでパニックに陥った家族の変化を描いた短編小説だ。父親が家出したことがわかっててんやわんやする家族の様子が描かれた前半を小山内さんが、父親がいない状況を受け入れ、だんだん家族のあり方が変化していく様子が描かれた後半を私が担当した。訳し終えた担当分を送りながら、「小山内さんの読みによる直しを楽しみにしております」とメールに書いた。すると翌日さっそく、新しい解釈込みの別の案が記された原稿が戻ってきた。
「私」が父親に以前渡していたクレジットカードの利用明細書を受け取る場面で、「頭に血がのぼって目の奥がじりじりする」と訳したところに「または目がじんじん」とコメントが付いてあった。辞書を開いて調べる。スマホのアプリに入れている「精選版日本国語大辞典」だ。「じりじり」は「ゆっくりと少しずつ、しかも確実にせまるさまを表す語」、「じんじん」は「病気や怪我などで、患部がたえまなく痛むさまを表す語」と書かれている。確かに「じりじり」よりは「じんじん」が痛みそのものに意識が向けられるような気がする。痛みに関する他の表現も調べてみた。ガンガン、ヒリヒリ、ズキズキ、うずうず、じくじく……。いろいろな表現が見つかり、そう言えば日本に来たばかりの時、病院に行って痛みの症状を説明するのが難しかったなとふと思った。
父の所在が特定できるかもしれないという興奮で頭に血がのぼり、「私」は目の奥が痛くなっている。調べた言葉のリストから、このような状況に合うものを選んでみた。「ガンガンは痛みが強すぎるだろうし、ヒリヒリは染みる感じだよね」と悩んだ末に、小山内さんが提案してくれた「じんじん」と「ズキズキ」が残った。最終的には、脈打つような痛みがイメージできる「ズキズキ」を選ぶことにした。「私」の興奮した気持ちをイメージしやすいだろうと判断したのだ。
カードの利用先は、コーヒー店だった。父親の年齢を考えて「喫茶店」と訳したが、小山内さんに「コーヒー専門店」を提案された。「父が、ただの喫茶店でなく、ちょっと楽しんでいる気配が漂うほうが最後につながるかと」というコメント付きだった。非常に納得できた。確かに、若者でにぎわう弘益【ホンイク】大学校の近くにある店だ。全面ガラス張りで、二階もある。しかも先払いのシステムが整っている洗練された場所だ。この訳は「コーヒー専門店」にすることにした。
*
すんみ
翻訳家。訳書にキム・グミ『敬愛の心』(晶文社)、チョン・セラン『八重歯が見たい』(亜紀書房)、ユン・ウンジュ他『女の子だから、男の子だからをなくす本』(エトセトラブックス)、ウン・ソホル他『5番レーン』(鈴木出版)、キム・サングン『星をつるよる』(パイ インターナショナル)、共訳書にチョ・ナムジュ『私たちが記したもの』(筑摩書房)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(タバブックス)、ホンサムピギョル『未婚じゃなくて、非婚です』(左右社)などがある。
2人は翻訳している 一覧
- 新しい風景を求めて(後編)/すんみ
- 新しい風景を求めて(前編)/すんみ
- ささやかな「物語」に耳をすませる(後編)/小山内園子
- ささやかな「物語」に耳をすませる(前編)/小山内園子
- 世界へ踏み出すための、新しい地図(後編)/すんみ
- 世界へ踏み出すための、新しい地図(前編)/すんみ
- 翻訳ができる体(後編)/小山内園子
- 翻訳ができる体(前編)/小山内園子
- 青山は私に、黙って生きるようにと言った(後編)/すんみ
- 青山は私に、黙って生きるようにと言った(前編)/すんみ
- 「今でもあなたは、わたしの光」(後編)/小山内園子
- 「今でもあなたは、わたしの光」(前編)/小山内園子
- しかたないという問題について(後編)/すんみ
- しかたないという問題について(前編)/すんみ
- ロスト・イン・トランスレーション(後編)/小山内園子
- ロスト・イン・トランスレーション(前編)/小山内園子
- 日本カルチャーという居場所(後編)/すんみ
- 日本カルチャーという居場所(前編)/すんみ
- 番外編 イ・ミンギョンさん講演会「韓国フェミニズムの〈いま〉」(後編)
- 番外編 イ・ミンギョンさん講演会「韓国フェミニズムの〈いま〉」(前編)
- 参考書は『ガラスの仮面』(後編)/小山内園子
- 参考書は『ガラスの仮面』(前編)/小山内園子
- 私の「オンニ」史(後編)/すんみ
- 私の「オンニ」史(前編)/すんみ
- 翻訳者を友人に持つことの醍醐味(後編)/小山内園子
- 翻訳者を友人に持つことの醍醐味(前編)/小山内園子
- 一つだけの答えではなく、自分だけの答えを見つけていくという話(後編)/すんみ
- 一つだけの答えではなく、自分だけの答えを見つけていくという話(前編)/すんみ
- 翻訳の戦慄と陶酔(後編)/小山内園子
- 翻訳の戦慄と陶酔(前編)/小山内園子
- 2人は翻訳している すんみ/小山内園子