翻訳の戦慄と陶酔(後編)/小山内園子
(2024/5/30)
前編はこちらです。
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ひとさまの文章を預かっている以上、自分の考えでは言葉をつづれないのである。「自分の文章」の、手足を縛ること。私の場合、それが翻訳作業の最大の特徴だ。「自分の文章」ならばしなくてすむ苦労が、翻訳にはきっと山ほどあるんじゃないだろうか。たとえば自分の文章のゲラなら、改めて自分の思考をたどり、本当にその言葉でいいか熟考し、検証し、推敲を重ねていくのだろう。でも翻訳の場合、ゲラがどんと届けばドンと椅子に座り、ギュッと心にねじり鉢巻きをし、まずは原書の一ページ目から猛然と引き合わせをする。誤訳してないか、抜けはないか。まあ、必ず見つかる。見つかるたびに寿命は軽く三秒縮む。翻訳を始めて以来、一か月は寿命が短くなっていると思う。
ある時、校正者さんから「脳幹ではなくて間脳ではないですか?」との指摘をもらった。寿命短縮期間一か月のうち、三週間は確実にあのとき減ったものだ。<あー、もうそれぜったい私がやらかしました、カンノウをノウカンって読んだか、思い込んだか、打ち込んだか。いずれにしろ私が大罪を犯しました、万死に値する大罪です、ああああああああ>、と、塩を振りかけられたナメクジのようになった。戦慄した。
後になって著者が脳幹(뇌간)と間脳(간뇌)をタイプミスしたことがわかったが、すでに寿命は縮まった後だ。いや、寿命なんかどうでもいい。あと、著者はいい。許される。自分の文章だから。私の場合は、ひとさまの文章を間違うことになる。それはダメ、ダメ、ゼッタイの世界である。戦慄する。
つい先日、すんみさんと、韓国語でいう「女性問題(여성 문제)」の訳の話になった。女性と見るとすぐ親し気に声をかけ、性的な関係に持ち込む輩がいる。「あの人は女性●●が派手だから」的に使われる文脈。「女性問題」と直訳でいいか?
「あの人は、女性問題が派手だから」
うーん、まあ、意味は通る。ただ「女性問題」とした場合、かなりスケールアップしてしまう感じ? 「大臣が女性問題で辞任」とか? もっとこう、そのへんのダメなヤツの陰口を言うときに使うことば、なかったっけ。考えてようやく、「女性関係」を思いつく。
「あの人は、女性関係が派手だから」
うん。こっちのほうが陰口くさいな。でも、なにしろひとさまの言葉なので、念には念を入れて調べる。日本語の辞典で「女性問題」は「社会機構によって生じた女性の平等権・自由権をはじめとする人権侵害、差別、抑圧、疎外などの問題の総称」(日本大百科全書)となっている。つまり、女性差別をはじめとするさまざまな不公平の意だ。もちろんネット上で「女性問題」と検索窓に入力すれば、「芸能人」「政治家」「スポーツ選手」と関連のキーワードが上がってくるが、それはスケールアップバージョンのほうだろう。よし。「女性関係」だな。
という話を家族にすると、翻訳したことはないけれど翻訳なんてちょろいちょろい、と思っている相手は、こう返してくる。
「え~、なにも四文字にする必要ないんじゃないの? もっとこう、日本語にフィットさせる感じ? たとえば、『あの人は女と見ればすぐ手を出すから』『女にだらしがないから』『女の前で鼻の下伸ばすから』」
いいですよ、自分の文章なら全部。でも、しつこいようだがこれはひとさまの文章なんである。私は、人のふんどしで商売してるんである。ひとのふんどしは、丁寧に大切に使って、返すとき普段使っている洗剤と柔軟剤の香りの種類を訊いてそれで洗って、パリッとした方が好みなら糊付けし、当たりがやわらかいほうが好きと言われればそっと日陰干しして持ち主に戻すような、そのくらいの繊細さであたりたいんである。だって、これは翻訳だから。私はできればそっくりそのまま、韓国語で読む人が韓国語で読んだ時の読後感を再現したい。意味を伝えるためだけに、単語の数やリズムを大きく変えるというのも耐えがたい。それは「そっくりそのまま」にならないから。そう。だから、悶絶してるんである。
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十代の女殺人者の訳稿がようやく仕上がって、編集者さんに送った。短い作品なのに読み終わったら体がヘトヘトになった、というようなコメントが返って来て夢心地になった。よかった。ですよね。私も原書を読み終わったとき、ハアハア息が上がってましたもん。うれしい。喜びに酔いしれる。
やがて送られてきたキャッチコピーの案の中に、こんな言葉があった。
「戦慄と陶酔」
そうなのよ、戦慄と陶酔。殺人者の主人公があじわう時間もそうだけれど、自分の手足をがんじがらめに縛り上げながら四苦八苦する翻訳作業もまた、戦慄と陶酔なのだ。戦慄九割、陶酔一割ではあるけれど。
これから。〈翻訳〉を通して知る陶酔も、一つでも多くつづれたらと思う。
小山内園子(おさない そのこ)
韓日翻訳者。NHK 報道局ディレクターを経て、延世大学校などで韓国語を学ぶ。訳書にク・ビョンモ『破果』(岩波書店)、チョ・ナムジュ『耳をすませば』(筑摩書房)、カン・ファギル『大仏ホテルの幽霊』(白水社)など。すんみとの共訳書にイ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』『失われた賃金を求めて』(タバブックス)などがある。