2人は翻訳している

翻訳の戦慄と陶酔(前編)/小山内園子 

(2024/5/29)

2人は翻訳


 主人公は今、両腕を後ろ手に縛られて、両足も足首のあたりで結束されている。
 時は夜明け前。朝露に濡れた雑草が頬をなぶって不快な触感をもたらし、後頭部は何かを押しつけられているようにキリキリ痛む ――と、ここまできて私の視線はぐるんと主人公の後ろに回る。言ってみればドローンみたいなものだ。主人公、描かれている事物の周りを、自由自在にぐるんぐるんする。このドローンには簡単な温度計測器装置もついていて、アバウトながらその場の気温や、人肌の熱っぽさも感知できる。湿度計だってあるぞ。雨に変わりそうな雪か、本格的な雪にかわる手前のみぞれ交じりに近いのか、前後の文脈とともに湿度を確かめる。そんなザックリ機能のドローンは今、手足を拘束されてもがく主人公の周りを旋回中だ。彼女の後頭部が痛むのはケガのせいではなくて、きつく縛られた目隠しの布の結び目が食い込んでいるから。ただ縛ってあるのではなく、決してほどけぬようきつくきつく結んであるという事実に、読者はきっと結んだ人の企みを推し量るはず。彼女を消そうとしてそうしたのか、あるいは別の感情によるものか。
 言葉の一つひとつに仕掛けがありそうで気が抜けない。あらためて面白いなあと思う。だが、ドローンは単なる読者になってはいけない。光景をなぞるだけじゃダメ。読んで「うひゃ~」と思ったことをしっかり記憶して、その感情まで呼び起こせる日本語にしなきゃ。頭の中の少ないメモリーに、忘れる前に記録していく。

 ただいま、絶賛翻訳中だ。テキストは伝説の女殺し屋の外伝。六十五歳の女殺し屋が、老い衰えた体を引きずって最後の死闘に向かう前作は日本でも好評だった。韓国でその小説の外伝が十年ぶりに刊行されると知って、刊行直後に資料を作成してアピールし、版権が獲得され、幸運にも私は、その主人公と再会を果たすことができた。
 若き日の女殺し屋はパッキパキである。物語全体が身体性にあふれている。師に見出だされて殺しの道を歩み始めた少女の、死と隣り合わせの最終訓練。彼女は実は、妻帯者である師に恋心を抱いている。恋心を抑え込むかわりに、「最も使えるヤツ」と認められる殺人者になりたい。だからもう、訓練とは名ばかりの、落ちたら重傷必至の高所にロープで宙づりにされるとか、よけられなければナイフが眼球にジャストミートの接近戦の練習とか、まさに「死にゲー」に必死に食らいついていく。そのひたむきさ加減に、やっていることは思いきり反社会的にもかかわらず、どういうわけだか自分の人生を重ね合わせてしまう。<ああ、そういえば自分の人生にも、何かを選んだ瞬間があったなあ>とか。そしてなんといっても、このハイティーンの娘は確かにあの老いた女殺し屋の数十年前の姿なのである。世代が違うのにきっちり同一人物。やっぱりすごい、しびれるわ、この作品。

 そして、私の場合だいたいそうなのだが、しびれた作品ほど、翻訳では地獄を見る。原文で面白い面白いとページをめくった作品ほど、翻訳作業で七転八倒するのだ。この作品でいえば、私が原文で受け取った通り、きちんと同一人物に思える訳文でないと、もうこれは決定的にマズい。そうならないために、自分が「きっちり同一人物」と思った描写を頭に叩き込んでおかなければならない。著者はどんなふうに、世代の違う同一人物を作り出したんだろう。
 前作の外伝であることは誰より著者が知っているのだから、当然、比較されることを考えたはず。前作と乖離しては外伝にならないが、かといってなんの意外性もなければ単なる 前日譚だ。作家本人の作風からいって、同一感と異物感を同時に出すために、ガンガン文章に気合を入れてくるはず。とすれば、両方に共通するモチーフを特に慎重に、気合を入れて訳していく必要がある。どこだ、どこに前作と外伝の、共通かつ変化を見せられる要素がある?
 まずはさっき書いた身体性だろう。老いて動きが悪くなった体に対しての、若く敏捷な体。経験に裏打ちされた動きと、見様見真似の粗忽な仕草。嗅いで火薬の匂いと検知できる鼻と、これは何の匂い? と思ってしまう鼻。うん、身体性はあるね。次! 
 恋心のかたち? 六十五歳の彼女の中で、師への思いはもはや埋火状態だった。なにせとっくに師も死んでいるのだ。でも今回はどうだろう? はたち前後と三十前後。燃え盛って恋の火の粉が四方八方に飛びまくっている状態だろう。思いのかたちが変わっても、決して心から消えない相手はいるものだ。恋心がにじむ文章は要注意。
 あとは武器関連か。まさに殺人者の要諦だ。どきどき。いや、殺人者と思うから若干腰が引けるんであって、これが大工さんだと考えたらどうだろう。伝説の大工の少女時代の外伝。才能がある少女が、師に見出されて最終訓練に臨む。そうしたら、当然丸鋸(まるのこ)や玄翁(げんのう)や指矩(さしがね)の使い方あたりを、少女は一から叩き込まれるはず。この外伝はそれがナイフや銃に置きかわるだけといってもいいだろう。道具に絡む形容詞、主人公と道具の距離感に、おそらく作家は前作との対比を盛りこんでいるはず。見落とすな。見落とすなよ。作家の計算についていくぞ。再現するぞ。
 整理したことを何度も確認しながら訳していく。翻訳中ずっと、頭の中でドローンが飛んでいる。

***

後編に続きます。

小山内園子(おさない そのこ)

韓日翻訳者。NHK 報道局ディレクターを経て、延世大学校などで韓国語を学ぶ。訳書にク・ビョンモ『破果』(岩波書店)、チョ・ナムジュ『耳をすませば』(筑摩書房)、カン・ファギル『大仏ホテルの幽霊』(白水社)など。すんみとの共訳書にイ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』『失われた賃金を求めて』(タバブックス)などがある。

 

 

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