2人は翻訳している

一つだけの答えではなく、自分だけの答えを見つけていくという話(後編)/すんみ 

(2024/6/28)

2人は翻訳

前編はこちらです。

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 たとえばカフカ『変身』を読む授業があった。ある日一匹の毒虫に変身してしまったグレーゴル・ザムザの話。どんな虫なのか、その見た目については、冒頭で「あおむけに寝ている背中は鎧のように固く、首を少しもたげて見ると、腹は、茶色にまるくふくれ上り、弓なりにたわめた何本もの支柱で区切られた様子、そしてふくれた腹の上では、毛布はきちんとかかっているわけには行かなくて、今まさにずり落ちる寸前、といったていたらく」(『決定版カフカ全集1 変身、流刑地にて』、川村二郎・円子修平訳、新潮社)と描写されているけれど、最後までどういう虫なのか特定はされない。というか、どんな虫かは特定しなくてもいい、ということを、私はこの授業で教わった。すべてに正解があるわけではない。

 夏目漱石『それから』を読む授業では、先生にこんな質問をされた。「『誰か慌ただしく門前を駆けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄(まないたげた)が空から、ぶら下っていた』(新潮文庫)という書き出しで、俎下駄はどのようにぶらさがっているんですか」。縦にぶらさがっていると答える人、横にぶらさがっていると答える人。さまざまな答えが出て、同じ文章を読んでも頭に浮かべる様は違う。どんなふうにぶら下がっているかなんて考えたこともなかったし、みんなでそれぞれ考えるだけで面白かった。もし漱石が正解を発表したら、なーんだとがっかりするかもしれない。

 「正解」にならなくていい。同じにならなくていい。そう思えるようになると、ある種の解放感があった。ある基準を求めて、誰かを真似して生きなくてもいいんだ、という気持ちにもなってきた。自分が頑張って覚えてきた「当たり前」に疑問を抱き、もう一度考え直す時間も持つようになった。

こんな疑問が浮かんだ。どうして本は四角で形が決まっているのか。自分の疑問を掘り下げてみたくて、私は同じゼミ生たちに声をかけ、作品ごとに形もデザインも異なる本を作ってみることにした。本のタイトルは「みかん」だった。おのおのの作品は組ネジで仮止めされているだけで、いつでも作品を加えたり外したりできる。封筒にはこのような文章を書き記しておいた。

 

本はなぜ四角いでしょうか。なぜ表紙と背表紙でしっかり閉じられていて、頁ごとに順番が決められているのでしょうか。本はなぜ三角だったり丸かったりしてしてなくて、一頁の次が九十九頁になっている本はなぜ存在しないのでしょうか。本はなぜ持ち運ぶのに便利でなくてはならなくて、書かれている文字は読みやすくなければならないのでしょうか。

 そもそも「本」とは何でしょうか。

 考えれば考えるほど当たり前に思っていた「本」の形態が不思議に思えて疑問が絶えません。(中略)だったら一度本という形を崩してみてはどうでしょうか。(中略)

まとまりもなく、閉じることもできなくて、新しい作品が入ってきたりいつの間にか作品が消えたりして、いつまでも未完のままである本があってもいいのではないでしょうか。

 

 果物のみかんのつぶつぶのような個々の作品で構成されていて、完成形を持たない本を目指した。いつまでも「未完」のままの本。ある作品はページを破らなければ続きを読むことができず、ある作品は折り曲げることで幾通りにもよむことができた。ある作品は読むだけでなく壁に飾ることができ、ある作品は文章中の文字が抜けていて自分の好き勝手に読むことができる。決して「正解」にたどり着くことはない本。このような本を自由に想像したとき、自分が「正常」「まとも」「自然」「正しい」という呪縛から解き放たれたような気がしたのだった。

 運よく、翻訳の仕事に就いてから、時々「正しい読解」、「正しい日本語」というものに囚われてしまうことがある。作品にもっと近づきたい、読み手にもっと近づきたいという思いに駆られ、悩んでいるうちに、正しい翻訳、自然な翻訳というものを追いかけてしまう。そんなとき、ふと立ち止まって考えてみる。自分を自分らしくしてくれた文学は、そういうものではなかったのではないか、と。作家があえて曖昧にしているところは、曖昧なままでいい。ちょっと不自然な日本語に思えても、それが作品の味になることもある。でも、曖昧なものを曖昧なまま訳すことも、不自然な表現で作品の味を出すことも、翻訳としてはとても難しい。翻訳はそんな終わりのない作業だった。

 私は自分の翻訳で「正解」を出せるとも思っていない。でも、みんながそれぞれ自分らしい答えを見つけられるように、いつまでも「未完」の翻訳を追究し続けるべきなのかもしれない。

 そんなことを思いながら、私は日々、原書のページをめくっている。

 

すんみ

翻訳家。訳書にキム・グミ『敬愛の心』(晶文社)、チョン・セラン『八重歯が見たい』(亜紀書房)、ユン・ウンジュ他『女の子だから、男の子だからをなくす本』(エトセトラブックス)、ウン・ソホル他『5番レーン』(鈴木出版)、キム・サングン『星をつるよる』(パイ インターナショナル)、共訳書にチョ・ナムジュ『私たちが記したもの』(筑摩書房)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(タバブックス)、ホンサムピギョル『未婚じゃなくて、非婚です』(左右社)などがある。

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