日本カルチャーという居場所(前編)/すんみ
(2024/12/26)
11月23日、24日に東京神保町でK―BOOKフェスティバルが行われた。今年はハン・ガンのノーベル文学賞受賞のニュースがあった上に、日本でも確実にファンを獲得しているチョン・セランがメインゲストとして招待されたこともあって、例年より会場が賑わっていた。ブースで出会った読者は、私にさまざまな感想を聞かせてくれた。
いつもは部屋でひとりコツコツと翻訳をしているだけだけれど、時々、韓国文学の人気を実感することがある。私は都内の大学で韓国文学を教え始めて三年目になるのだが、年々その受講生が増えて、今年には二百人を超える授業になった。もちろん全員が全員、文学に興味があるわけではないだろうけれど、今年受講生数を確認した時に、内心びっくりした。
十年前の私は大学院で現代文芸を学びながら、韓国文学を日本語に訳したいという夢を膨らませていた。しかし、当時としては、韓国文学があまり広まっておらず翻訳の数も少なかったので、韓国文学の翻訳者としてやっていけるかどうかという不安があった。小山内さんと知り合い、翻訳者になるという夢を一緒に育んでいける仲間がいたから、安心して夢を追いかけられたけれど、出版業界的には明るいとは言えない状況だったと思う。
しかし、それから十年が経ったいまは、「本を訳してくれてありがとう」「勇気づけられた」「楽しい読書ができた」といった感想を聞く機会がたまにある。そして、大学では、講義の最後に出してもらうリアクションペーパーで、私の授業が「大学という苦手な場所で唯一息抜きできる居場所になった」という感想をもらったこともある。そのリアクションペーパーを読んだ時に、私の仕事がただ自分の自己実現にとどまらず、誰かに居場所を与えることができていることにホッとした。
私も、日本文学によって居場所を見つけたことがある。
出会いは、高校の社会の授業の時だった。先生は教卓に背中を預けて、病院で入院中に読んだという本について語り続けていた。『喪失の時代』という本だった。多感な高校生に響くそのタイトルにも惹かれたが、それから人生の本になったという先生の感動した顔を見て、私は学校の終わりにすぐ本屋に駆けつけた。
というところまでは覚えているけれど、『喪失の時代』を本当に読んだのは、日本で留学を始めた年だったから、あの日は別の本を買って帰っただろうと思う。私は『喪失の時代』が哲学書や人文書だと勘違いしていたので、見つけることができなかったのだろう。『喪失の時代』が村上春樹の『ノルウェーの森』で、哲学書でも人文書でもなく恋愛小説であることを、ずいぶんあとになって知った。
あの日、本屋で買って帰った本は黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』か、吉本ばななの『キッチン』かもしれない。あるいは他の日本文学だったのだろう。当時は、日本文学が非常に人気だった時代だった。
私が高校生だった2000年代には、日本文学だけでなく、J-POP、アニメ、漫画、映画など、1998年の「日本大衆文化開放」の以後にどっと入ってきた日本のカルチャーが、韓国の若者の間で広まっていた。文化を深く理解するために日本語を学ぼうとする若者も増え、私の高校では、第二外国語でドイツ語、フランス語、日本語を選ぶことができたが、日本語を選ぶ生徒が多すぎて、先生たちが教室を回りながら、ドイツ語とフランス語の魅力、将来の展望を訴えなければならないほどだった。しかし、そうした努力があったにもかかわらず、選択を改める生徒が少なかったため、結局、多言語の先生が休み中に日本語を学んで教えることになった。私のクラスの日本語の先生は、本当はフランス語の先生で、授業中にいつも、どうしてそこまで日本語が学びたいのかと嘆いていた記憶がある。それでも先生は、一生懸命に日本語を勉強し、自分で答えられない生徒の質問は「本当の」日本語の先生に聞いて後日教えてくれたりもした。そんなドタバタ日本語教室で、私は「休みの日にはラジオを聞いたり、テレビを見たりして休みます」といった日本語を頑張って覚えた。
第二外国語の選択によってクラス分けされるので、私のクラスメイトはみんな日本語を学び、日本に興味を持っている子たちだった。みんなはそれぞれ自分が好きなものを教え合い、共有し合った。私は深夜ラジオで聞いたPIZZICATO FIVE「東京は夜の七時」やCibo Matto「Know Your Chicken」のなど渋谷系の音楽を友達に教え、友だちは私にモーニング娘。やジャニーズなどのアイドル音楽を教えてくれた。友だちがCDを貸してくれたw-inds.の曲が特に好きだった。日本のカルチャーに一番詳しい友だちが、フランス語が専門の日本語の先生の代わりに、日本の文化を紹介してくれることもあった。その授業では、みんなで慎吾ママの「マヨチュッチュ」を習った。四十人近くの生徒たちが口をそろえて「いただきまーす おっはーでマヨチュッチュ」と歌っている様子を想像してみていただきたい。「マヨチュッチュだってよ」「マヨチュッチュってやばいよね」ときゃっきゃっと笑っていたあの時のことが非常に楽しい記憶として残っている。
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後編に続きます。
すんみ
翻訳家。訳書にキム・グミ『敬愛の心』(晶文社)、チョン・セラン『八重歯が見たい』(亜紀書房)、ユン・ウンジュ他『女の子だから、男の子だからをなくす本』(エトセトラブックス)、ウン・ソホル他『5番レーン』(鈴木出版)、キム・サングン『星をつるよる』(パイ インターナショナル)、共訳書にチョ・ナムジュ『私たちが記したもの』(筑摩書房)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(タバブックス)、ホンサムピギョル『未婚じゃなくて、非婚です』(左右社)などがある。
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