2人は翻訳している

私の「オンニ」史(前編)/すんみ 

(2024/8/29)

2人は翻訳

 

 SNSを見ていたら「韓国オンニ」という文字が目に入った。韓国語でお姉ちゃんという意味のあのオンニのこと? と思い、ちゃんと書き込みに目を通すと、本当にオンニについての話だった。韓国オンニで検索をかけてみると、KーPOPアイドルグループでオンニのメンバーが年下のメンバーの世話をする画像や、自分を犠牲にしてまでも周りを気遣うオンニのエピソードなどがいろいろ見つかった。オンニという韓国語に込められている、優しくて面倒見がよくて頼れるというイメージが、しっかり共有されている。ついに、こんな日が来たのか。
 韓国文学を訳すたびに、「オンニ」の訳し方にずいぶんと頭を抱えてきた。
 かっこいい女性を描くのがとにかくうまいチョン・セランの小説を訳していると、たくさんのオンニが登場する。例えば『屋上で会いましょう』の表題作。主人公の「私」はセクハラもパワハラも日常茶飯事の会社で悶々としていた頃を回想している。就職氷河期にかろうじて入社した上に家族を養っているため、仕事をやめることができず「屋上の手すりを飛び越えたい」という思いをぐっと堪えていた。そんな「私」に助けの手を差し伸べるオンニたちがいる。

 

女の先輩(オンニ)たちがいなかったら、私は間違いなく、飛び降りてたと思う。一番年上だった経理部のミョンヒ先輩、編集記者だったソヨン先輩、制作物流部にいたイェジン先輩。彼女たちは運命の魔法のように額を寄せ合わせ、もつれた糸のようにぐちゃぐちゃになった毎日をどうほどきほぐして行けばいいか一緒に悩んでくれたの。誰だったっけ。私が髪をバッサリ短く切ったのに驚き、ポカンと開いた口を閉じようとして唇を噛んでしまった先輩は。

 

 女の先輩、先輩に当たるところの原文は、すべてオンニである。
 他にも『八重歯が見たい』にひどい目にあった主人公に手料理をしてあげたり、健康を気遣ったりするかっこいいオンニが登場する。
 こうしたオンニたちを、どう訳せばいいだろうと悩みに悩んだ。字面通りに「お姉さん」と訳すのは、血の繋がった家族と勘違いさせる可能性があるから却下。オンニとそのまま使うのは、その意味とニュアンスがうまく伝わらないというリスクがあるから却下。これもダメ、あれもダメ、と考え続けた結果、「屋上で会いましょう」では「女の先輩」、『八重歯が見たい』ではさん付けで訳すことにした。悩み悩んだ結果ではあるけれど、やはり「オンニ」という言葉から伝わる親身な感じが抜け落ちてしまうのは、心残りではある。

 キム・グミの『敬愛の心』では、さらに新しい問題が起きた。ミシン会社で働いている男、サンスはフェイスブックで女性のふりをして「オンニには罪がない」という恋愛相談ページを運営している。サンスは会員の女性から送られてきたメッセージを読み、『ジェーン・エア』『ノッティングヒルの恋人』など小説や映画で培ってきた恋愛経験を元にしたアドバイスを与える。「こんにちは。オンニだよ」から始まるメッセージとともに。ここでの「オンニ」は、年上の女性という意味より、女性一般への呼称という意味合いが強い。なので、これを「女性」と訳してしまうと、ほどよい親しみを込めて互いをオンニと呼び合うサンスと会員たちの関係性が味気ないものになってしまう。女性にオンニとルビをふってみたり、お姉さんにオンニとルビをふってみたりしていろいろなバージョンを試してみた結果、ここで初めて「オンニ」をそのまま採用することにした。ここでは「オンニ」という言葉の意味とニュアンスが完璧に伝わらない危うさより、別の言葉に置き換えることで抜け落ちるもののほうが大きいと判断したからだ。

 このようにして私は、ほとんど毎回、オンニという言葉をどう訳せばいいかという問題にぶち当たっていた。そして、悩み続けるうちに、どうして私は「オンニ」の訳し方にこれほどこだわるのだろう、という疑問がふと頭によぎった。
 はっきり言って、それは、私にとって「オンニ」がとても大事な存在だからだろう。今の私を作ったのは、八割方オンニたちである。

 しかし、最初からオンニに恵まれていたわけではない。オンニに憧れ、追い求める過程で、苦い思いもした。
 私は兄が一人いるけれど、小さい頃からずっと姉が欲しかった。兄との戦いごっこも楽しかったけれど、姉と人形遊びもしてみたいと思っていた。 
 そんな私が、女子校の中学校に入学する。どこを見渡しても女の子ばかりで、ステキなオンニたちもたくさんいた。当時韓国では、女の子たちの間で「マニト」というものが流行っていた。「マニト」はイタリア語で仲良しという意味だが、韓国ではこっそり面倒をみてくれる秘密の友達という意味で使われた。私の学校では、先輩と後輩とでマニトになり、先輩が後輩の面倒をみてくれたり、手紙のやりとりをすることが流行っていた。ずっとオンニが欲しかった私にとっては絶好のチャンスだった。さっそく仲良くなりたいオンニを見つけ、教室を訪ねて手紙を渡した。シールを貼ってかわいく飾った手紙を、何回か届けたと思う。すでに仲良しになったつもりでいた。しかしある日、私は衝撃的な事実を知る。オンニが私をストーカー扱いしつつ、気持ち悪がっていたというのだ。目撃者の情報によると、オンニは私が手紙に書いたことをみんなに話し、私の悪口を言っていたという。悲しかった。仲良くなりたいという気持ちを、そんな風に踏みにじられたくなかった。

 高校も女子校に通うことになった。そこで一度仲良くなったオンニたちは、英会話サークルの先輩たちで、入部を進められた時は非常に優しかったものの、入部してからは態度ががらりと変わってしまった。すれ違いにちゃんとあいさつをしなかったという理由で呼び出しがかかることもあれば、おしゃべりをしていて何でも聞いていいと言われたから何でもあれこれ聞いたら、先輩をなめているという理由で呼び出しがかかった。どうしろっていうんだよ、という反抗心が芽生えた頃に、自分が二年生になり、同期たちと話し合ってサークルを解散させることにした。

 しかし幸いにも、私はその後、チョン・セランの小説に出てくるようなオンニたちに恵まれることになる。

***

後編に続きます。

すんみ

翻訳家。訳書にキム・グミ『敬愛の心』(晶文社)、チョン・セラン『八重歯が見たい』(亜紀書房)、ユン・ウンジュ他『女の子だから、男の子だからをなくす本』(エトセトラブックス)、ウン・ソホル他『5番レーン』(鈴木出版)、キム・サングン『星をつるよる』(パイ インターナショナル)、共訳書にチョ・ナムジュ『私たちが記したもの』(筑摩書房)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(タバブックス)、ホンサムピギョル『未婚じゃなくて、非婚です』(左右社)などがある。

 

 

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