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しかたないという問題について(前編)/すんみ 

(2025/2/27)

2人は翻訳

 

出産は、私の人生最大のピンチとなった。

 予定日まであと二週間というタイミングだった。早朝に起きて締め切り直前のゲラを読んでいると、いきなり生理が始まったみたいに体から何かがドバっと出て行く感じがあった。急いでトイレに駆け込んで後始末をし、病院に電話した。生理のような血が出たと告げると、病院からすぐに受診しに来てくださいと言われた。タクシーで病院に着くと、車いすに乗せられて診察室に運ばれ、とんとん拍子に入院が決まった。前期破水だと教えられた。母体と胎児への感染リスクがあるということで陣痛促進剤を使っての出産が決まり、すぐに入院手続きを済ませた。陣痛が始まるかもしれないということでその日は待機し、次の日、朝九時から陣痛促進剤の点滴を開始。徐々に投与量が増やされ、昼過ぎには出されたご飯を食べる気力もないくらいの激痛が走っていた。しかし本陣痛につながらず、午後5時にいったん中止になり、次の日に持ち越しになった。「え、そんなこともある?」と混乱したが、促進剤の投与をやめると痛みがウソのように消え、医者の話を受け入れざるを得なかった。

 病室に戻ってネットで検索をしてみると、3日目で生まれたとか4日目で生まれたというような書き込みが見つかり、「いやいや、3日も4日も耐えられる痛みじゃないぞ」と思った。次の日、「今日こそ産むぞ」と意気込んで分娩室に移動し、前の日と同じことを繰り返した。激痛に耐える長い一日が過ぎて午後5時、やはり本陣痛が始まらなかったということで次の日に持ち越しという話が出た。いやいや待ってくださいよ、と思った瞬間、プツッと何かが切れる音がした。自分の我慢の限界を超えたことがわかった。湧き出た涙が止まらなくなり、担当医に明日も耐えられる気がしないからもう帝王切開にしてほしいと懇願したが、母体も胎児も元気だからそれはできないとあっさりと断られた。いやいや、体は元気かもしれないけれど、しかたないかもしれないけれど、精神的にもう限界なんです、と言おうとした瞬間口から出た言葉は「もうやめます」だった。産まなければならないのはわかるけれど、もう耐えられる気がしません。別の選択肢がないのであれば、私はもうここでやめます。そんなことを言った気がする。いろいろな話し合いがなされ、次の日に無痛分娩で無事出産することができたが、その後も私は、たくさんの「しかたない」を経験することになった。

 出産後の日々は、(1)しかたない状況だというのはわかる(2)でも、どうにかしたい(3)でも、やはりどうしようもない(4)じゃあ、どうすればいいんだ(爆)の繰り返しだった。この無限ループに閉じ込められていた私は、しょっちゅうイライラし、無力感に襲われた。ベビーカーを押して出かけたのにエレベーターのない駅に降り立った時、子どもがRSウィルスからの手足口からの理由のわからない発熱で一ヵ月ほど保育園を休んだ時、子どもが病気なのに夫も私も休めない仕事が入っていた時……。

 日々のしかたないが積もり積もって、昨年の夏にはそろそろ限界かなという状況まで追い込まれた。公私ともに解決しなければならないいろいろな問題があり、あと一つ間違えれば、過呼吸が起こりそうだなという不安を抱えていた時、あの出来事が起きた。

 骨折したのだ。出先の階段で足を踏み外し、どうにか耐えようとして何段かを滑り落ちて最後の段の角にお尻を激突してしまった。激突の瞬間、「これは骨折だ」とわかった。と同時に、突然笑いが出た。自分でもびっくりした。痛みのせいで立ち上がれなくなっているのに、笑いが出るなんて。次何かトラブルがあったら過呼吸だなとビビってたんじゃないのか、私。その時、戸惑いながらも体がすっと軽くなるような気がした。

 出産の時とは別の何かがプスッと切れたような感覚。これまで抱えていた自分の悩みや不安もどうにでもなるだろうというような、妙な落ち着きが戻ってきた。マラソンをやっていると体が極限状態に達した時に苦しみが気持ちよさへと変わっていくという話を聞いたことがあるが、今の私ってそういう状況にいるのだろうか。そんな疑問を抱えながら、ちょうど仕事から家に帰っているという夫を呼んで、タクシーで家に帰った。タクシーが揺れるたびにお尻に痛みが感じられ、ちょっぴり涙が出た。

 土曜日の夜だったため翌日の休日診療に行くと、やはり尾てい骨を骨折していた。立ったり座ったりする時だけでなく、咳をする時も、びっくりする時も、トイレに行った時もお尻に痛みが走った。尾てい骨ってこんなに一日中使われているんだなということを初めて知った。

 笑う時もお尻が痛くなるので困ってしまった。骨折して以来、私はよく笑うようになった。身も心も軽くなり、本当にちょっとしたことで笑うようになった。するとお尻が痛くなり、お尻が痛くなったのがおかしくてまた笑った。

 物理的にできなくなったことが増え、夫や周りの助けを借りることも多くなった。しかし、出産後のように、自分ではどうにもできないという無力感に襲われ、追い込まれるということはなかった。その時から、しかたないという気持ちは、何かのハードルを下げてくれたような気がする。いや、ハードルは超えるだけでなく、通り過ぎることもできるということを教えられた気がした。

後編はこちらから→しかたないという問題について(後編)/すんみ

 

すんみ

翻訳家。訳書にキム・グミ『敬愛の心』(晶文社)、チョン・セラン『八重歯が見たい』(亜紀書房)、ユン・ウンジュ他『女の子だから、男の子だからをなくす本』(エトセトラブックス)、ウン・ソホル他『5番レーン』(鈴木出版)、キム・サングン『星をつるよる』(パイ インターナショナル)、共訳書にチョ・ナムジュ『私たちが記したもの』(筑摩書房)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(タバブックス)、ホンサムピギョル『未婚じゃなくて、非婚です』(左右社)などがある。

 

 

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