『はたらかないで、たらふく食べたい』刊行記念・栗原康インタビュー 前編
(2015/4/17)
「身も蓋もない」「大きな声では言えないけど激しく同意」など、タイトルが早くも話題の『はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言』。
いったいどういう本なの、書いてるのは誰、などの疑問にお答えすべく、著者の栗原康さんにインタビューを行いました。
痛烈な社会批判、明快な論理の展開の一方、はたらかない日々や恋愛についての自分語りが、独特の味わい……人文系専門書の分野で今注目されている栗原氏が、自らの座右の銘をタイトルにつけた本書について語ります。発売前後、2回にわけてお届けします!
栗原康 くりはら・やすし
1979年埼玉県生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。著書に『G8 サミット体制とはなにか』(以文社)、『大杉栄伝—永遠のアナキズム』(夜光社)、『学生に賃金を』(新評論)がある。趣味は、ビール、ドラマ観賞、詩吟。あと、錦糸町の河内音頭が大好きだ。「踊ること野馬のごとく、騒がしきこと山猿に異ならず」。それが人生の目標だ。
つつましい生活をするんじゃなくて
やりたいことをやるんだ、ということ
— タイトルを見て「はぁ?」と思う人に、少し解説していただけますか。
栗原 「はたらかない」というのは、ガンコなことばとして、今の経済の仕組みからドロップアウトして生きていきたいという意味で前々から言われてきたと思うんです。自給自足とか。今の社会は「そこまではいいよ」くらいのかんじだと思うんですけど、その代わり、今の経済から離れたら慎ましい生活をするのが当たり前、となる。自分からドロップアウトするんじゃなくても、フリーや非正規の仕事にしかつけなかったらそれなりの生活をしろよと言われてしまうけど、そうじゃなくて「たらふく食べたい」。
— その「たらふく」を推すというのは。
栗原 つつましい生活をするんじゃなくて、やりたいことをやるんだ、ということです。「生の負債」というサブタイトルにつながるんですが、これは、人が生きていく上で、背負わされているものがある、ということです。今の経済とか社会の仕組みだと、お金をかせげるかというのが物差し。かせげるのがいいことでありえらい人だし、かせげなかったら落伍者。そういう尺度ができていて、それが優劣の基準にもなっています。その尺度から出てしまう人たちは反道徳というか、人じゃないという見られ方をしてしまう。人が好きなことをやっていきたいというのと、お金をかせぐことが一致する、そういう幸せなときもあるけど、大抵は一致しないと思うんです。僕だったら文章を書くとか、本を読むとかという好きなことをやって食べていきたい。僕はごろつきみたいな友だちと政府とか批判するメタメタな文章を書いてビラにして100枚刷ってデモでまいて、ようし!なんて言ってるときがあるんですけど、それが文章書いているときで一番楽しい。でも文章でかせいで食べていきたいとなったら、そんなことできないわけですよ。最初は自分の言いたいことを書きながらかせぐことを模索してたんですけど、多分この論理で難しいのは、だんだんそれでかせぎ始めると、文章を書くのがいやになってくる。どうしてもかせがなきゃいけないから、最初は仕方なく、かせぐための文章を書く。くり返していくうちにそれが現実なんだから、かせぐものを書くのがいいことだと、かせぐものを書くのがいいことだと……あっくり返しちゃった(笑)
—(笑)
かせぐものしかやってはいけない
それが生の負債化社会
栗原 でもだんだんそうなってくる。かせぐものしかやってはいけないとなってしまう。それがいろんなところでつながって、それが生の負債化社会みたいなものなのかなと。かせげないのは落ちこぼれで、かせごうとしないのは人じゃない。人が自由に何かをやってみる、好きなことをやってみるときに、ひとつのしばりになっているのが、負い目を背負わせる、社会の物差しを入れていく。それで「生の負債からの解放」としました。
— そう言われると、なるほどと思うけど、みんなそんなことは意識していないかも。刷り込まれてるんでしょうか。
栗原 そう、ただ本当のところ、好きなことをやっていない人はいないと思うんです。
日常生活の中では、お金のことなんて気にせずに、人と楽しい会話をしていたり、お金をかけずに好きなものを作って楽しんだり、お金をかけずにお酒を飲むとか、尺度とか気にせずに人付き合いをして楽しんでたりすると思うんですけど。いざ意識してみると、お金を稼げるのがいいこと、となってしまう。
— 例えば本の中で、栗原さんがお金がないということに、彼女が急にキレるというところがありますが(笑)、特に女性だと好きなことをやるにはお金がなきゃいけないっていうのも実感として持っている気がします。
栗原 消費社会とか、身なりとかも、そこに合わせていかなければということと、かせぐということがダイレクトにつながっていると思うんです。そこから解放した方がいい。まず「はらかないで、たらふく食べたい」と言ってみるところからはじめてもいいんじゃないでしょうか。
後編は本書発売日、4月21日にお届けします。次回は栗原氏の恋愛も?
撮影 渡邊聖子
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