へんしん不要

へんしん不要〈第27通〉「自分のことがどうでもよくなるムーブ」に押し流されない 

(2019/9/30)

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イラスト・題字 のむらあい

封筒_もちい

こんにちは、調子はどうですか? 9月も下旬、夏じゅう重たく湿っていた空気が少しずつ冷たく澄み渡ってきて、今年も秋が来るんだなぁという感じがしますね。かと思えば急に暑くなったりもするので、着る服に困っています。

 

私はこのひと月、とにかく必死に仕事をしていました。というか、まだ終わっていないので今も必死にやっているところです。毎日ずっとパソコンに向かって原稿を書いているのですが、息も絶え絶えというか、だだっ広い海を手探りで泳いでいるような感じで、正直とても苦しいです(それでも楽しいのでどうにかやれています)。進みは遅いし、すぐに息切れはするし、体調には振り回されるし。自分の馬力のなさをひしひしと思い知らされます。

 

こういう状況で、自分に気持ちよく仕事をさせてあげるのはけっこう大変です。何かしらの進捗が滞っているとき、私は妙に自罰的な気持ちになります。ご飯をお腹いっぱい食べたり、お風呂にゆっくり入ったり、睡眠をたっぷりとったり、気晴らしに外へ出かけたりの「よき行為」に対して無用な罪悪感を抱いてしまう。うまくできていない自分を責める気持ちから、ズルズルと自分への扱いがぞんざいになっていくのです。これはよろしくない。心と体がすり減って、仕事の進みだってますます悪くなってしまいます。

 

なので最近は歯を食いしばって、自分の気持ちをよきところに押し留めておく努力をしています。歯を食いしばってすることではない、というのは重々承知しているのですが、「自分のことがどうでもよくなるムーブ」に押し流されず、毎日を粛々とやっていくためにはそれくらいの精神力が必要なのです。

 

たとえば、自分の近くに美味しいものを用意しておくこと。ドライフルーツとナッツがたくさん入った、小さくて硬いパン。クラッカーとクリームチーズとジャム。ロッテのチョコパイ。冷蔵庫で冷やしたぶどう。空腹を覚えたときに「後でいいや」でなあなあにしてしまい、気がついたときにはものすごく元気が失われている。そういうことがままあるので、すぐに手が伸ばせてお腹に入れられて、自分を喜ばせてくれる食べ物を常備しておくことにしました。

 

それから、こまめに気の休まる時間を作ること。忙しいときはなんとなく安らぎ的なものを遠ざけてしまいがちだけど、それをどうにか振り切ってみる。とくに自分はよい匂いのものを嗅ぐと気持ちが落ち着くので、明るい香りのお茶を飲んだり、窓を開けてお香を焚いたり、入浴剤を溶かしたお風呂に浸かったり、無意味にハンドクリームを手に擦り込んだりしています。その間は感覚が一つに絞られて、体や頭のざわめきのようなものが遠くに行ってくれる。そういう瞬間が日に何度かあるだけで、だいぶ心が長持ちするようになるのです。

 

そして、「あー、なんかダメなゾーンに沈んでいってるな」と思ったら、早めにそこから足を洗うこと。夏に引っ越してから、私はよく自転車で近所を徘徊するようになりました。家のそばにある竹林を見に行ったり、少し離れたコンビニへお菓子を買いに行ったり、新しいスーパーや薬局を開拓してみたり(まだ活動圏内にどんなお店があるのか分からないのです)、とにかく外の空気を吸う。心身が重たくて仕方ないときは、ためらわず横になる。鬱々として息苦しいときでも、タオルケットをかぶって2時間くらい眠れば、だいたい回復しているような気がします。

 

どれもささやかでちょっとしたことですが、大いなる「自分のことがどうでもよくなるムーブ」に逆らいつつ、その一つ一つを細やかに拾い上げていくのは、実のところかなり根気のいる作業だと思います。歯を食いしばって、体を引きずって、心を奮い立たせて、やっと取りかかることができる。そして続けるのも大変。気分的にはほぼ筋トレですね。

 

このお便りを書きながら、ふと「丁寧な暮らし」というワードが脳裏をよぎりました。私のこれは、少なくとも今の段階では「暮らし」ではありません。しかしこのままトレーニングを重ねていけば、筋力がモリモリつき、息をするように丁寧な暮らしを営むことができるようになるのかもしれない……。そんなくだらないことを考えながら、今日はお布団に入ろうと思います。毎日、夜は8時間眠ることにしているのです。

 もちい

餅井アンナ(もちい・あんな)

1993年宮城県生まれ。ライター。食と性、ジェンダーについての文章を中心に書いています。「wezzy」にて書評・コラムなどを執筆中。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

 

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