へんしん不要

へんしん不要〈第28通〉つらいだけの秋じゃなかった 

(2019/12/20)

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イラスト・題字 のむらあい

封筒_もちい

こんにちは、間が空いてしまってごめんなさい。もう12月に突入してしまいましたが、11月の近況をお伝えしようと思います。

今年の秋は、何が何だか分からないうちに終わってしまいました。「忙しい」のとは微妙に違っていて、というか、あれこれマルチに忙しくできるだけのキャパシティが自分になくて(典型的なシングルタスク人間ですね)、こなせる仕事の量や種類は少ないわりに脳のメモリだけがめちゃめちゃ消費されている……みたいな状況でした。頭の中に硬めのシリコンがみっしりと充填されているような感じ。表面張力ぎりぎりのコップを手に、もったり、もったりと蟹歩きをするような暮らし。しんどいにはしんどかったけれど、どうにか仕事を終えつつ、季節の変わり目を乗り越えることができました。

この数ヶ月かかりきりだった仕事が落ち着いたのは一昨日のことで、昨日は一日そのクールダウンに充てていました。やや崩壊ぎみだった生活リズムを仕事終わりの爆睡でリセットし、久々に黄色い朝日が差し込む時間に起き、朝から白米を食べ、お茶をたくさん飲み、溜まっていた洗い物を半分ほど片付け、身なりをちょっと整え、パソコンの入ったリュックを背負い、自転車に乗って外へ出ました。ここのところ薄暗かった空がぽかーんと晴れていて、空気は冷たいものの、顔や首元に当たる太陽の光はちりちりと暖かい。背中のリュックは少し重たいけれど、ずっと背負っていた仕事の重圧からは解放されている。爽快、としか言いようのない気分です。

どこに行こうかな、と思いながら近所を徘徊し、まずは図書館へ向かうことにしました。やたらと暖房が効いた図書館で文庫本を一冊(絲山秋子の『ニート』)読んだら気が済んだので、外へ出て、また行く先を考えながら適当にうろうろし、ちょっと遠くにある郊外仕様のスタバまで自転車を走らせました。郊外仕様のスタバはだだっ広い通り沿いにあるもので、そこに行こうとするときも必然的にだだっ広い道を通ることになります。滑らかに舗装された道路が、すこーんと遠くまで突き抜けている。空気が澄んでいるから消失点すれすれまで先が見える。車がやってくる。

店内では明るい窓際の席に座り、マグカップに入れてもらった甘いお茶を飲みました。パソコンを開いて、ずっと手がつけられなかった自分のための文章を書く。少しずつ西に傾いてきた日が、窓ガラスに近い顔の右半分だけを炙る。熱いし眩しいけれど、そんなに嫌ではありませんでした。ここのところ家に篭りきりで、昼夜も逆転しかかった暮らしをしていたので、どんな形でも太陽が浴びられるのが嬉しいのです。目をしばしばさせながらパソコンに向かい続けていると、店員さんがやって来てブラインドを閉めてしまったため、それを区切りに店を出ました。もうお八つの時間を過ぎています。

駐輪場から自転車を引っ張り出しつつ、そういえば、このスタバより先は未開拓だったと思い至りました。見通しのよい道はまだまだ続いているように見えます。ここをずっと行った先には何があるのか。ペダルを踏み込んで、帰路とは反対方向にハンドルを切ります。まだ元気が残っていたし、外の空気が気持ちよかったので、そのまま自転車で散策を続けることに決めました。

広々とした道を地図アプリも見ずに走っていくと、景色が少しずつ見覚えのあるものに変わっていきます。平べったい戸建てのファミリーレストラン。キッズスペース付きのマクドナルド。ガラス張りの外車のショールームにガソリンスタンド。あらゆる店の看板が、空高くにょっきりと首を伸ばしている。そう、既視感ありまくりの田舎の光景です。安らぎとおかしみに包まりながら自転車を漕ぎ続ける。交差点にぶつかったら、行きたいと思った方へ曲がる。それを何セットか繰り返します。東京には行くべき場所が多すぎるので、こういう目的地のない移動は新鮮でした。途中で通りがかったホームセンターに入り、休憩スペースでスマホをつけてみると、思ったよりも遠くに来ていたようです。GPSの座標がぶれるのか、灰色の地図の上で現在地を示す青丸がおよおよと揺れています。一人でここまで来たのか、すごいな、と語りかけたい気持ちになりますが、つまりその青丸とは自分のことなのでした。

帰路についたのは、ちょうど夕暮れの時間でした。自転車のタイヤが降り積もった街路樹の落ち葉をかさささ、と踏む。まだ夜露に湿っていない黄色い葉の、晴れやかな水のような匂いが吹き込んでくる。ふっと顔を上げると、高い空には朧ろな雲がかかり、その隙間からあふれるように注がれた黄金色の光が、立ち並ぶ家々の横顔を照らしていました。眩しくて目を瞑りそうになる。秋ってこんなに眩しくて、彩度があるものだったっけ。鼻の奥が痛くて視界も曖昧になってきて、ペダルを漕ぐ速さを少し落としました。

何年か前の秋に心身をおかしくしてから、私はずっとこの季節が苦手でした。暗く空気の淀んだ部屋に閉じこもって、日の光も浴びずに何日も何日も自傷のような考え事ばかりしていた季節。そのときのことを思い出すので、毎年秋から冬にかけては極端に気持ちが落ち込むのです。あのつんとした匂いを嗅ぐたびに、うわーっと叫んで逃げ出したくなってしまう。昔はとても好きな季節だったのに。

けれど、いま自分を包んでいるこの空気は、懐かしく好ましいかつての「秋」のような気がしました。息を思い切り吸って、肺を冷たく澄んだ風で満たす。黄金のような夕日が沈んでいくのが惜しい。冬が深まればまた憂鬱な気分に飲み込まれるかもしれないし、来年になったらまた秋が嫌いになるかもしれない。心身のバランスが崩れるきっかけなんていくらでもあるし、今だって毎日元気で健やかに暮らしているとは言えません。それでも、今年の秋はつらいだけの秋じゃなかった。今日のこの感じは「秋」フォルダの一番上に置いておこう。いつでも取り出して眺めることのできる場所に。そうしていれば、またしんどい季節がやってきたとしても、少し安心していられるような気がするのです。

家に帰ると、慣れない運動に筋肉が悲鳴を上げているのか、玄関から一歩か二歩いったあたりで膝ががくがくに崩れ、部屋の中の色々なでっぱりに掴まり歩きをする羽目になりました。こんな感覚を味わうのも随分久しぶりで、やや笑ってしまいました。明日はきっと筋肉痛でしょう。取り急ぎ、熱いお風呂を沸かして体を労ろうと思います。

もちい

餅井アンナ(もちい・あんな)

1993年宮城県生まれ。ライター。食と性、ジェンダーについての文章を中心に書いています。「wezzy」にて書評・コラムなどを執筆中。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

 

 

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