労働系女子マンガ論!

労働系女子マンガ論! 第1回「労働系女子マンガ」とはなんぞや? 

(2013/5/10)

労働系女子マンガ論! トミヤマユキコ

 

「少女」マンガから「女子」マンガへ

 いつだって気になるのは「女の生きざま」に関すること……女が何を考え、どのように生きて死ぬのか。そんなことばかり気にして生きてきました。

 女に生まれたからといって、女の全てが理解できるというワケではありません。当たり前ですが、ひとくちに「女」といったところで、その存在は決して一枚岩ではないのです。いろいろな女がいて、いろいろな人生を生きている。その「いろいろ」を知りたくて研究者になりましたが、まだまだ分からないことだらけ。しかし、そんなボンクラ研究者でも、長くやってりゃ分かることもあります。それは、マンガというメディアが女たちの現実を実によく反映しているということ。

 かつて社会学者の宮台真司は、少女マンガの特性を「〈世界〉を読み、〈私〉を読む」ことができる点に見いだしました。少女マンガには「現実の〈私〉やその周りの〈世界〉を、どう解釈するか」の手がかりが描かれていると指摘したのです(注1)。〈世界〉を読み、〈私〉を読むこととは、〈世界〉とは何か、〈私〉とは誰かを知るということです。それは、生きていくことそのものだと言っていいでしょう。

 自分が何者なのかを知り、世渡りをするためのノウハウが、少女マンガにはたくさん詰まっている……マンガは現実と無縁ではいられないのであって、つまり単なるフィクションではないのです。だとすれば、読者はただの娯楽だと思って消費しているつもりでも、生きていく上での知恵を授かっていたり、こういう時にはこうすべきだという規範をすり込まれていたりする可能性があるワケです。

 しかしながら、みなさんも薄々お気づきの通り、2013年現在、人生をサバイブするためにマンガを手にするのは、少女だけではありません。少女以外の人々も、マンガを読む。かつて少女だった人たちの多くが、少女の季節を過ぎてもマンガを読んでいるし、かつて少女のためにマンガを描いていたマンガ家たちも、読者の(そして作者自身の)成長に合わせ、成人女性向けの作品を描くようになっているのが現実。ちなみに1979年生まれのわたしも立派な成人女性ですが、いまだに自分の人生これでいいのかと悩みますし、世間様と上手に付き合えているか不安になることばかりです。少女時代はとっくに終わって中年に突入しているのに、〈世界〉や〈私〉というものをいまだに扱いかねています。ですから、もう少女ではないけれど、宮台言うところの「少女マンガ」がまだまだ必要なのです。

 もう少女ではない。しかし〈世界〉を読み〈私〉を読むための「少女マンガ」は必要なんだよ……そんな気持ちに応えるかのように「女子マンガ」という呼称が登場しはじめたのは、ここ4〜5年のことでしょうか。メディア文化研究が専門の増田のぞみは「大人の女性が読むマンガ」というニュアンスが、「女子マンガ」という呼称を生み出したと指摘していますが(注2)、まさに、「少女」マンガという呼称だけではカバーできない読者層の出現に呼応するようにして「女子」マンガという呼称が登場してきたのです。さらに増田は、「女子マンガ」について「ヤングレディーズ誌をはじめとする女性向けコミック誌に掲載された作品を指す場合が多いが、そこにとどまらない点に特徴がある。「少女向け」雑誌から「青年向け」雑誌、サブカル誌から「少年向け」雑誌まで含んでくる」とも言っています。

 端的に言って、出版社がどのような読者層をターゲットにしているかは関係ないのです。「女子マンガ」にとって大切なのは、成人女性が〈世界〉を読み、〈私〉を読むための実用書として機能するかどうか、その一点にかかっていると言えるのではないでしょうか。

女にとって働くって何かね?

 「女子マンガ」が人生をサバイブするための実用書であり、女の人生と常に既に何らかの繋がりをもっているという前提に立った上で、押さえておきたいのは「女の労働」のことです。言うまでもなく女の労働は、恋愛、結婚、出産、子育てといった女の各種イベントにとって無視できない超重要ファクター。しかしながら、男女雇用機会均等法、バブル景気、就職氷河期等々……女の労働をめぐる環境は、ここ数十年で大きく変化しています。というよりも、変化が激しすぎて「女が働いて食って生きていくとはどういうことか?」という問いへの返答が、ひとつに絞り込めない状況。仕事に生きる? それとも主婦になる? どんな道を選ぶにせよ、不安がつきまといます。正解なんてないのかもしれない……そんな状況下でも、労働をめぐる女の悩みの数だけ、応答を試みるマンガは存在します。マンガの中の女たちは、現実の女たちに引けを取らないくらい、さまざまな仕事に就き、懸命に働いている。そしてわたしたちは、それらの作品に救われたり、背中を押されたりする可能性があるのです。

 そこで、女の人生とマンガの親和性に基づいて、女性の労働を描いたマンガ、マンガに描かれた女性の労働を読んでみたら、どうなるか。

①「あるマンガ作品に女が出てくる」
②「その女が働いている」

この2点をクリアするマンガを「労働系女子マンガ」と名付け、そこに描かれた女の労働について考察すること……この連載の主眼はそこにあります。働く女たちがどのように表象されているか、そしてそれがわたしたちの生きる〈世界〉にどのように還元されるのかを、一緒に見てゆきましょう。いろいろな職種、いろいろな業態で働く女たちを丁寧に見ていけば「女にとって働くって何かね?」ということが、徐々に浮かび上がってくるハズです。

(注1)宮台真司、石原英樹、大塚明子『増補 サブカルチャー神話解体』(ちくま文庫)2007年2月
(注2)増田のぞみ「「少女マンガ」と「女子マンガ」——女性向けマンガに描かれる「働く女性」のイメージ」(馬場伸彦/池田太臣編『「女子」の時代!』(青弓社)2012年4月)

トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライターだが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)などがある。趣味はパンケーキの食べ歩き。

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