労働系女子マンガ論!

労働系女子マンガ論! 第10回 『きょうの猫村さん』ほしよりこ〜猫村ねこは窃視する家事労働者 

(2013/12/27)

労働系女子マンガ論! トミヤマユキコ

家政婦という職業の歴史的背景

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師も走る季節なワケですが、猫の手も借りたいほどの忙しさに合わせて、猫が手を貸してくれるマンガを読もうではありませんか。

ほしよりこ『きょうの猫村さん』シリーズ(注1)は、メス猫の家政婦「猫村ねこ」が主人公の物語。彼女は、そのむかし一緒に暮らしていた心優しい「ぼっちゃん」との再会を夢見つつ、家政婦の仕事で生計を立てています。イラついたら段ボールで爪をバリバリ研いだりするネコ性は残っていますが、掃除洗濯はもちろん、お裁縫やお料理もできる優秀な家政婦……つまり立派な労働系女子です。「村田家政婦紹介所」に籍を置き、仲間たちと寝起きを共にしながら「犬神家」にお仕えする日々は、ほのぼのしていて実にコミカルですが、労働に関するさまざまなことを考えさせてもくれます。

ところで、家政婦という職業は、ちょっと面白い歴史的背景を持っています。今でこそ「うちは家政婦を雇っています」などというと「わー!お金持ち!家広いの?」という感じですが、かつての日本において「家事使用人=女中」がいるのはわりと当たり前のことでした。別にお金持ちでなくても、家が狭くても、女中を雇っている家庭はたくさんあったのです。家事を手伝ってくれたり、育児を手伝ってくれたり、お母さんみたいな仕事をするお母さんではない女中たちは、ほとんどの場合住み込みだから、他人なんだけど家族みたいな存在でもあった。家庭の中に他人がいる暮らしは、今だと「落ち着かないのでは?」と思ってしまいますが、当時の人々はもっとナチュラルに女中という存在を受け入れていた模様。時代が変わればここまで感覚も変わるんですね。斎藤美奈子は、大正期の女性労働について調査した文章の中で、女中と女工が働く女性の大半を占めていたことに触れ、「近代日本の「働く女性」とは女工と女中だったのだ」と結論づけたのち、こんな指摘もしています。

女中を求めていたのは、サラリーマンに代表される都市の中流階級である。  いかに文化的になったといっても、当時の家事は、まだまだ人手が要った。また、新興の主婦にとっては、女中を雇うことが一種のステイタスだった面もある。女学校の良妻賢母教育は、女中の管理を、主婦の大切な仕事として教えていた。結婚してめでたく主婦になった人たちは、なにがなんでも女中を必要としたのである。というわけで、「女中難」は大正期の大問題だった。(注2)

このような指摘からも分かるように、中流以上の家庭には女中がいて、雇い主一家とともに暮らしていたのです(むしろ女中がいる方が家庭としてイケていたというのが面白い)。

個の確立/個室の誕生 
窃視の欲望を叶えてくれる「家政婦モノ」

しかし、大正期というのは、こんな風に自他が一緒くたになって生活する一方で、それとは真逆の動きがあった時代、つまり自他が弁別され、個が確立した時代でもありました。

特に東京では、関東大震災の被害を受けた都市が再建されてゆく中で、建築物が一気に脱日本化し、個の確立がぐんぐん進みました。とくにアパートの出現は、個人のための空間の出現、プライバシーの出現を意味する画期的なできごとでした。襖と障子によって区切られる空間では決して守ることのできなかった個人の秘密が、鍵付きワンルームアパートによって守れるようになったのです。

そして、プライバシーの誕生と呼応するようにして、それを侵そうとする「窃視」の欲望もまた爆発的に増大しました。見るなと言われると見たくなる……たとえば江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』は、アパートの屋根裏から、各個室の様子を盗み見るシーンが出てくる小説ですが、モダン都市に暮らす人々の深層心理に巣くう窃視の欲望を鮮やかに切り取っています。

こうした前提を踏まえつつ『猫村さん』を読むと、現代の「家政婦モノ」が、「個の確立/個室の誕生」以降わたしたちを魅了し続けてきた窃視の欲望を叶えてくれるものであることがよく分かります。他人のプライベートをのぞき見たい、しかし不法侵入なんかしたら犯罪者になってしまう……その条件をクリアする者として家政婦がクローズアップされていく。家政婦は、家の中に入って行けるばかりではなく、場合によっては、各個室に入っていくことすら可能です。『猫村さん』が当然意識しているであろう、市原悦子主演の『家政婦は見た!』シリーズも「合法的に窃視する」という条件を見事にクリアする作品であることはもはや言うまでもないでしょう。

家庭内の他者として家庭内を見つめる装置

窃視する家事労働者である猫村さんは、犬神家の家庭内不和を次々と目撃してゆくことになります。愛人を囲っている大学教授の旦那様、世間体ばかり気にする美容整形マニアの奥様、完全にグレておりスケ番活動に余念がない娘の尾仁子、大学教授を父に持つ息子としての優等生ぶりを見せつけているが何やらひとクセありそうな息子のたかし、みんなと同じ屋根の下に住みながら自室に閉じこもり食事も別にとるおばあちゃん。表向きは、何ひとつ不自由のない、裕福で幸福な家庭であるかに見える犬神家ですが、裏側ではみんなが何らかの困難や秘密を抱きながら暮らしているのです。そして、猫村さんだけが犬神家の実情を知る者であり、お前は猫だし他人なんだから深入りするなと言われつつも、もはや家族だけでは手の施しようがない問題にどんどん深入りして(ついでに入るなと言われている部屋にも入ったりして)問題を顕在化させたり解決してみせたりするのです。

ときおり、家庭内の問題に警察が入り込むことをためらっているうちに取り返しのつかないことが起きた、というようなニュースを目にすることがありますが、法の入り込めない家族の内部にも簡単に入って行けるのが家政婦のいいところ。さらに言えば、家政婦とは、家庭の中にいながら、他者としてその家庭を見ることで、家庭を相対化する力を持つ者でもあります。家族とは何か? 家庭とは何か? 理想的な家族像とは一体どんなものなのか? そもそもそんなものがあるのか? ……家政婦とは、ただ窃視する家事労働者であるだけでなく、家庭内の他者として家庭内を見つめる装置としても機能しているのです。

家族が「元他人」を含み込んだ
コミュニティであることを見抜いている猫村さん

猫村さんは、はじめこそ単なるおせっかい猫という風情ですが、物語が進んでいくにつれ「元は他人が家族になるんですもの」というセリフを口にするなど、家族が「元他人」を含み込んだコミュニティであることを見抜いているあたり、やはり頭の切れる家政婦だと思わざるを得ません。彼女が犬神家のために腐心するのを、余計なお世話だと断じるのは簡単ですが、他人が家族のために努力することは、実は当たり前のことなのではないか、だってそもそも家族の中には元他人がいるのだから、平和の持続には工夫や努力が必要なのではないか……どうやら猫村さんの言動には、家族を平和裡に運営していくためのエッセンスが詰まっていると考えた方が良さそうです。

また、全く血縁関係のない「村田家政婦紹介所」の面々が、いかにも日本式だなと思わせるプライバシー度数低めの家で共同生活をし、疑似家族的な繋がりを作り出していく様子からも、やはり家族とは他人同士の絶えざる努力によって形作られ、やがて調和してゆくものなのだというメッセージが伝わってくるように思います。

少し脇道にそれますが、小池田マヤの『家政婦さん』シリーズも、家政婦としてはたらく女子を主人公にしながら、家庭の問題を描き出している作品です(注3)。主人公である「里」の体躯がものすごく大きくて、たくましい男性のような姿形であることに加え、バイセクシャルであると受け取れるシーンが繰り返し出てくることで、家政婦は女の仕事なのか? 家事労働に女らしさは必要なのか? といった、家事労働とジェンダーの問題についても独自の意義申し立てをしており、猫村さんとはまた違った魅力がありますので、気になった方はぜひ読んでみてください。

家政婦という仕事は、会社組織での仕事と違って、巨額のお金が動くワケでも、大きな手柄を立てて出世できるワケでもない、ある意味で非常に地味な仕事です。そこに賃金が発生していなければ、それはただ「暮らしている」というのと変わりありません。しかし、暮らすことを生業として選択した猫村さんは、ふつうに暮らしている人々よりも生きることに対して前のめり。しかもその動機は、大好きなぼっちゃんに会うためだといいます。会えるかどうかも分からないぼっちゃんへの想いは、恋愛感情とも、母性本能ともつかない不思議な情愛です。その情愛に突き動かされて、一匹の猫が旅に出る……のではなく家政婦になり、人間の生活を丁寧になぞり、家族の不和を調停したり、疑似家族を形成したりして、着実に暮らすことのプロになっていく……このじわじわくる感動は、まるでドキュメンタリー作品のよう。暮らすことをついないがしろにしがちな人間は、やはり暮らすことのプロである猫村ねこ女史の手を借りた方がいいような気がしてなりません。

(注1)きょうの猫村さんシリーズは、2013年現在「猫村.jp」で連載中。単行本は6巻までが発売され、他に『カーサの猫村さん』シリーズもある(いずれもマガジンハウス刊)。
(注2)斎藤美奈子『モダンガール論 女の子には出世の道が二つある』(マガジンハウス)2000年12月
(注3)家政婦さんシリーズは、2013年現在、『放浪(さすらい)の家政婦さん』(2009年7月)『ピリ辛の家政婦さん』(2010年12月)『誰そ彼(たそがれ)の家政婦さん』(2012年11月)の三冊が発売されている(いずれも祥伝社刊)。

トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライターだが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)などがある。趣味はパンケーキの食べ歩き。

 

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