トミヤマユキコ

労働系女子マンガ論!第2回 「主に泣いてます」東村アキコ〜無職の女・紺野泉が主体性を獲得するまで(前編) 

(2013/6/16)

労働系女子マンガ論! トミヤマユキコ

労働の「ゼロ地点」にいる女

 

①「あるマンガ作品に女が出てくる」
②「その女が働いている」
という条件をクリアするマンガを「労働系女子マンガ」と名付け、読み込んでみようということで始まった本連載。第2回で取り上げるのは、無職の女。これから先、いろいろな女の労働を見ていくことになると思いますが、まずは労働の「ゼロ地点」にいる女のことを考えてみたいのです。

 51UnbIJM6LL._SL500_AA300_2013年3月、東村アキコの『主に泣いてます』(講談社)の最終巻(10巻)がリリースされました。東村アキコといえば「すいません 育児ナメてました」というキャッチフレーズのもと、自身の育児経験をコミカルに描いたエッセイマンガ『ママはテンパリスト』(集英社)がとても有名です。売れっ子マンガ家として多忙を極める彼女が幼い我が子に振り回される様子を描いているのですが、ただの「育児あるある」に終始せず、キレッキレのギャグセンスで育児の大変さをエンターテインメントに昇華させる手腕にシビれた方も多いと思います。ときに辛く苦しいこともある育児、だけどものすごく笑える……『テンパリスト』には「過酷さと笑い」が混在しています。そして『テンパリスト』に限らず、東村作品には過酷さと笑いが混在しているパターンが散見されます。しかも、その過酷さはいずれも「女に生まれてきたこと」に起因しているように思われるのです(注1)。ですから、彼女の作品世界内では、女であることをすんなり受け入れ、すんなり生きられるような女は、決してスポットライトを浴びません。

 『主に泣いてます』において、スポットライトを浴びる女、つまり、女に生まれてきたことの過酷さを引き受ける女は「紺野泉」という名の超絶美女です。

「美人って言ってもそんじょそこらの美人とは違うぞ/ものすごい美人だとんでもない美人だ超ド級の美人だ」(第1話)

 泉は、女優並みの美しさを誇りながらも、下町・向島の安アパートに暮らす貧乏人であり、無職です。働く気はあるのですが、美しすぎるが故にまともに働くことすらできない不幸美女として描かれています。ちなみに、第1話の冒頭では、就職面接で社長にナンパされ、会社の外まで追いかけ回されています。すぐ近くで待機していた友人の「つね」が泉の娘になりすますことで、ようやくのぼせ上がった社長を撃退するのですが、こんな風にひと目惚れされてしまうのは「いつものパターン」であり、つねによる「「うちの母」作戦」が使われたのも、一度や二度ではなさそう。泉の常軌を逸した美貌は、すべての男を狂わせるものなのです。

 「美人すぎて働く場所がないのさ/どこで働いても男にゃ惚れられ女にゃハブられ/いつも一ヶ月もたず辞めるハメになっちまう」(第7話)という泉。寿司屋でアルバイトをしていた時には、彼女に傷の手当をしてもらおうと、板さんや男性客が派手な自傷行為に走り、店内が血塗れの大惨事になった「向島血の三日間」事件まで起こっています。

美しすぎるということが、彼女の人生を難儀なものにしている

 

もし、泉が自身の美貌を「資源」や「権力」と捉え、それを活用する知恵を持った女であれば、間違いなく社会の中に居場所を作れたハズ。しかし泉には芸能界でライバルを蹴落とす気の強さもなければ、言い寄ってくる上司を追い払えるだけの機知も持ち合わせていないのです。過剰な美を、他ならぬ彼女自身が持て余している。美しすぎるということが、彼女の人生を難儀なものにしています。泉自身は美しいことをことさらに誇ってはいない。むしろ慎ましく働き、平和に暮らしていきたいと願っていますが、この世に男が存在する限り、それは難しい。だから泉は妙な言動に走らざるを得ないのです。美貌を徹底的に封じ込めるために子泣きじじいのコスプレをし、全力で泰葉の「フライデイ・チャイナタウン」を唄う泉。男を狂わせる美貌を、自らが狂うことでしか封じ込められない。バカバカしいけれど、悲惨です。

 このように『主に泣いてます』は「美しすぎる」ことが極端にデフォルメされることで駆動する物語です。たとえばですが、ワイドショウなどで「美しすぎる」誰それというのが紹介される場合、彼女たちはある種の成功者として登場しますよね。美しすぎる海女も、美しすぎる市議も、泉のように社会参加できないといったハンデは負っていませんし、普通に社会参加しているどころか、むしろ積極的に社会に貢献しているといってもいい。美しすぎることは労働の邪魔にはなっていない。むしろ、彼女たちの美貌は労働する上での「使える武器」とさえ言えるワケです。しかし、泉は美しすぎると同時に不器用過ぎて、美貌という武器をうまく使いこなせずにいます。

美しく、不器用で、ひとりでは生きていけない―家庭に閉じ込めておくのに丁度良い女の条件

 

そんな状況とはすこし矛盾するようですが、泉は絵画モデルをしています。ただし、彼女を描くことができるのは、画家の「青山仁」だけ。泉の美貌に狂わされることのない仁だけが、彼女の美貌を正しく活かすことができる男なのです……これがいわゆる「少女マンガ」であれば、ふたりは運命の恋人になれますが、仁には「由紀子」という妻が。ハッピーエンドはお預けです。

 仁によってのみその美貌を正しく肯定される泉と、彼女を描いた「Iの肖像」シリーズで画家としての成功を収めた仁。作中では、「I」が画壇でかなり有名なモデルであることや、仁にとってのミューズであることが繰り返し語られます。

 しかし、これだけスペシャルな間柄でありながら、仁は妻と離婚しようとしませんし、作品の売り上げは仁の仕事を取り仕切っている妻のもとに全て流れているため、泉は仁の愛を独り占めできないばかりか、自分の美貌が生み出したハズの金銭さえ手に入れられずにいます。仁が主宰する絵画教室のモデル料はいくらかもらっているのですが、そこでも男性生徒が泉を巡って争いを起こすせいで、生徒数は激減。モデルだけで暮らしていけるほどの儲けはありません。仁は泉の生きる希望にはなり得ても、実生活上では何の役にも立たないのです(しかも仁は泉以外の女ともよく遊ぶ不埒な男です)。ふたりの間には、美貌という価値がものすごい不等価交換でしか金銭に還元されないという事実が重く横たわっています。

 美しく、不器用で、ひとりでは生きていけない女。それは家庭に閉じ込めておくのに丁度良い女の条件でもあります。しかし、仁には妻がいる。ならば家庭に入るのを諦めて社会に出ようと思っても、過剰な美貌が邪魔してそれも叶わない。まさに八方ふさがり。それが泉なのです。
 (後編に続く)

(注1)『ママはテンパリスト』は言うまでもなく母になった女の苦労話になっていますし、『海月姫』(講談社)には、腐女子として生きる女の大変さが描かれています。また『ひまわりっ〜健一レジェンド〜』(講談社)の父娘関係も、妙な父親を持ってしまった女の物語として読むことができます。バリエーションはいろいろあれど、女に生まれてきたことの大変さが東村作品には常に描かれているのです。

トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ラ イター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライターだが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり 論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学 院文学研究科紀要 第57輯』所収)などがある。趣味はパンケーキの食べ歩き。

 

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