労働系女子マンガ論! 第9回『愛すべき娘たち』よしながふみ 〜労働系女子予備軍が夢見た未来
(2013/11/1)
よしながふみが描く「女と女」 『大奥』(白泉社)や『きのう何食べた?』(講談社)で知られるよしながふみ。BL畑出身の作家だということもあり、男と女がつがいになり恋愛を経て結婚へと至るといったような、いわゆる「異性愛主義」に対し、懐疑的なまなざしを向け続けているマンガ家です。
女が為政者で、男はその補助者……男女の政治的、性的な立場が逆転した世界を描いた『大奥』などはその好例ですし『きのう何食べた?』に登場するゲイカップルも、単に男と女のカップリングを男と男のカップリングに置き換えたのでもなければ、世間一般のゲイカップルイメージをなぞったのでもない「よしながイズム」によって、人々の耳目を集める作品に仕上がっています。
わたし個人のことで恐縮ですが、よしながふみがこれらの作品でメジャーになるよりも前に、友人に勧められて『1限めはやる気の民法』(リブレ出版)を読んだ際、「読める!」と思って感動した記憶があります。当時、腐女子としての才能が全くなく、どうがんばっても「腐れない」女子だったわたしは、BL作品にものすごく苦手意識を持っていました。どう楽しめばいいのか、どう萌えればよいのか全然分からなかったため、自分はBLを「読めない」人間だと決めつけていたのです。しかし、この作品だけは、何の抵抗もなくすーっと最後まで読み通せました(しかも面白かった)。それをきっかけにBLにめちゃくちゃハマる、とまでは行きませんでしたが、苦手意識が薄れたのは確か。BLの名手でありながら、非腐女子の読者にも優しい。それがわたしにとってのよしながふみ作品です。
男と男あるいは男と女に関する作品を数多く手がけてきたよしながふみですが、実は「女と女」を描いている作品もあります。異性愛主義を相対化することに長けた描き手が、女と女を描くとどうなるのでしょうか……(注1)。母と娘、女ともだちなど、性欲を媒介しない女たちの関係を、じっくりと煮詰めるように描いていく作品群は、BL系作品とはまたちがった輝きを放っています。快楽に身を委ね、性の世界に飛べないという設定は、女と女を逃げ場のない息苦しい関係にすることもありますが、肉欲に誤魔化されることのない純粋な関係にする場合もあり、いずれにせよ、多くの気づきをわたしたちに与えてくれます。
なんの含みもない愚痴を
あえて自慢として処理する、というやり方
今回ご紹介する『愛すべき娘たち』(白泉社)に収録された「第4話」は、女同士の友情を描いたものです。物語の主人公は、3人の成人女性たち。かつて同じ中学校に通っていた仲良し同士でしたが、大人になるにつれ、疎遠になりつつあります。
そのうちのひとり、新婚ほやほやの「如月」は、夫と共働きの公務員。知人女性たちとの食事中にうっかり「家事にはもう少し主体的に取り組んでほしいなーなーんて……」言おうものなら「マメ」で「優しい」夫の「何が不満なの!?」と問い詰められ、挙げ句の果てに「結局彼女のろけたいんでしょ/優しい優しいダンナさまだって!」と片付けられてしまいます。しかし、彼女は決してのろけたいのではないのです。自分が先に帰って来たときは食事を作るけれど、夫が先に帰って来ても食事の用意はしてくれない。そんな「すこーしだけなんだけど納得行かない」気持ちを伝えたいだけ。しかし、他人はそれをなかなか理解しません。なんの含みもない愚痴をあえて自慢として処理する、というやり方は、腹を割って話をしたい如月のような人間にとってただただ不毛なだけであり、愚痴を自慢だと言われてしまった瞬間から、相手との心理的距離感が生じるのは避けられません。スッキリしない思いを抱え、眠りにつこうとした夜、如月の脳裏にひとりの女の子が浮かんできます。その子は、こんなことを言うのです。
「男は家事だって育児だってみんな〝お手伝い〟の感覚だもの/たとえ共稼ぎでもこっちが黙ってたら男は絶対自分からは家事はやんないないわよ」
「女が働いて食っていくこと」について考え、意見を交わす
未来の労働系女子
彼女の名前は「牧村」、中学時代の同級生です。如月は、牧村を思い出したことをきっかけに、もうひとりの仲良し「佐伯」のことも思い出します。彼女たちは、中学生なりに「女が働いて食っていくこと」について考え、意見を交わすのですが、牧村の言葉だけが妙に大人びているのが印象的です。「中学生のくせに分かったふうな事をと思ったけど今になってみると正しかったわ…」と如月が述懐するように、中学時代の牧村は「結局女が闘うしかないんだよね/割食ってる方から文句言うしかないのよ/でなきゃ家庭内の男女平等なんて成立しないよ」と言うなど、中学生とは思えぬ発言を繰り返すキャラクターとして描かれています。「絶対民間で勤め上げようと思ってる」「だって女にとってまだ働きづらい民間でがんばった方が後々の働く女の人のためになるでしょう」と語る牧村の理想は非常に高く、言ってみれば未来の労働系女子です。
自立した女になり、男と闘うことを推奨する牧村に対し、如月は「結婚する男って結婚する程度には好きになった男って事じゃん?」と愛情の問題を指摘します。しかし牧村は「コドモだね如月は!」と一蹴し、「闘っても大丈夫そーな男を見分ける目を養えって事よ!」と言い放ちます。恋に恋するお年頃とは思えぬ達観ぶりです。そして佐伯は、牧村の考えに同意しつつも「手がたく公務員がいいね/公務員なら一応女も男も賃金同じだしクビにはならないし」と言い、そこまでのバリキャリ志向は見せません。労働系女子の度合いとしては、牧村>佐伯>如月といった感じでしょうか。
しかし、牧村は、大人になるにつれ、労働系女子から最も遠ざかってしまいます。「編集者になりたい」という夢を語っていたものの、高校に入って半年後に退学、定時制高校にうつるも、それも退学。「勉強はどこでもできるよ」と口では言うけれど、勉強からはますます遠ざかり、受けると言っていた大検も受けず、小説を書いているという話はすれど、新人賞に応募することはなく……作中では、労働系女子として劣化してゆく牧村を見るたび、佐伯の失望は募り、ついには爆発してしまいます。
「編集者になるんだって言ったじゃない/民間で勤め上げるんだって言ったじゃない/後々働く女の人のためにがんばるって言ったじゃない!」
こうした佐伯の言葉に、牧村はこう返します「佐伯はまだ子どもね」。中学生の頃、自立した女になろうと息巻いて「コドモだね如月は!」と言ったのとは、言葉の意味も温度もまるで違ってしまっています。そして、この喧嘩をきっかけに、牧村と佐伯は会わなくなってしまうのでした。
身の丈に合わぬ理想は、
ときに現実を見る目を曇らせるという副作用を孕む
仲良し3人組の中で、もっと先進的な女性であった牧村の変貌ぶりに失望し、距離をおくようになった佐伯ですが、牧村に関する「あること」に気づきます。昔から、生傷が絶えなかったこと。父親に「一緒の部屋に布団敷いて寝させられた」と言っていたこと。かつてはこれらのことが何を意味するか分からなかった佐伯も、今ならその意味が分かります。牧村は、性的虐待を受けていた可能性が高いと。つまり、自分の家庭から逃れなければならない事情を抱えた牧村にとって、男と闘える労働系女子になるべしという仕事観、恋愛観は、辛すぎる今を生き抜くための「魔法の言葉」だったのです。それが実際に叶えられるかどうかではなく「今ここ」にいる自分を少しでも楽にするための言葉だった。自立した大人の女性を夢見ることが、牧村の生きる縁(よすが)だったのです。そう考えた時、佐伯のことを「まだ子ども」だと言っていた牧村こそが、親の虐待によって家庭に縛り付けられているという意味でまさしく「まだ子ども」だったという皮肉な事実が浮上します。
牧村の人生は、労働系女子予備軍時代とも言うべき思春期の過ごし方ついて、わたしたちにさまざまなことを教えてくれます。理想を掲げ、未来に向かって努力することは素晴らしいけれども、身の丈に合わぬ理想は、ときに現実を見る目を曇らせるという副作用を孕んでいる。辛い現実を生き抜くためにバリキャリ宣言をする牧村は、自分の言葉に勇気づけられ、親元を離れたり、自活したりする気力を養えましたが、それと同時に、宣言から少しでもズレるような現実が出来すると、宣言不履行の言い訳をしなければならなくなってゆきます。とくに、昔の自分を知っている人間に会うときほど、現実とのギャップを埋めるために言い訳しなければならなくなるため、佐伯と会っている時の牧村は言い訳がましさを避けられない。自分の言葉に救われ、自分の言葉に苦しめられる。それが牧村なのです。牧村の複雑な家庭環境にようやく気がついた佐伯がふたたび連絡をとると、彼女はすでに実業家と結婚し、主婦になっていました。「昔はいろいろ偉そうな事言ったけどやっぱりあたし外で働くのは向いてないわ」と牧村は言います。しかし、誰も牧村の言行不一致を責めることはできません。親という名の呪縛から逃れて、新しい家庭を築くことこそが、彼女のなすべき「仕事」だったのですから。
理想と現実の間で引き裂かれながらも決して息絶えない
「女と女」の友情
そして、編集者志望の牧村に憧れていた佐伯自身が今や出版社に勤務しているというストーリー展開に注目するなら、主婦になった牧村を「きっとこれで良かったんだ…」と受け入れたとき、やっと佐伯は「もう子ども」ではなくなったと言えるのではないでしょうか。中学のころからずっと牧村の中に理想の女性像を見ていた自分を卒業し、牧村の選び得なかった編集者としての人生を生きはじめる……牧村という理想を手放すある種の寂しさと、牧村がずっと佐伯の理想であり続けられたことの強度を思う時、この作品が描こうとする女の友情の純度の高さに改めて気づかされます。
編集者に憧れながらも主婦になった牧村、公務員に憧れながらも編集者になった佐伯、という対照的なふたりとは別のところで、「民間企業より産休育休撮りやすい9時5時でラクだからー!!」などと言っていたちょっぴり呑気な如月が、ブレることなく公務員になっているのですが、ブレなかったから幸せかと言えばそうでもないというのは、冒頭で確認した通り。牧村やと佐伯のことを思い出した如月は、久しぶりにふたりにハガキを出すことにするのですが、それを佐伯が受け取るラストシーンは胸に迫るものがあります。かつて労働系女子予備軍として育まれた友情は、ときに理想と現実の間で引き裂かれながらも決して息絶えない。人生、「男と女」だから頑張れることもありますが「女と女」だからこそ噛みしめられる滋味もあるということを、この作品は教えてくれるのです。
(注1)『岩波女性学事典』の「異性愛主義」の項目には、次のような記述があります。「もしも異性愛を絶対化せず,多様な性の交換が認められれば,その性の交換を成立させている人間の解剖学的性差の弁別要素は希薄になり,性差別あるいは性的差別そのものが解体される」(井上輝子、上野千鶴子、江原由美子、大沢真理、加納実紀代『岩波女性学事典』岩波書店、2002年6月)
トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライター だが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に 「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)などがある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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