労働系女子マンガ論! 第8回 『東京ラブストーリー』柴門ふみ 〜「カンチ、セックスしよ!」の向こう側にあるもの (後編)
(2013/9/27)
(前編はこちら)
カンチというフィルターを通してしか
東京と関われないリカ
こうして、二人の関係は新たな局面に突入します。当然のことながら、リカの仕事/東京との向き合い方にも変化が生じます。公領域では「東京で働く」ために引き続きカンチが必要だったでしょうし、私領域では「東京で生きていく」ためにカンチが必要になってゆく……カンチというフィルターを通してしか、リカは東京と関われなくなっていきます。
そして、和賀事務所が立ちゆかなくなり社長の取り計らいで「二ツ橋産業」という大手企業にリカとカンチが転職すると、リカを取り巻く状況はますます厳しいものになっていきます。会社が大きい分、守らなくてはならないルールとマナーが増えていき、リカの野生児っぷりを個性として認める人間はひとりも居なくなってしまいます。しかし、リカはここでもカンチのために耐えるのです。
「あたしが大暴れして会社やめたら、残されたカンチが困るだけだもん」
前職では、社長に向かって生意気な口をきいたり、時には社長をハゲ呼ばわりして額を叩くような冗談もやってのけていましたが、もはやそのような余裕はなく、ただただカンチのためを思って働くリカ。公領域において組織のルールに組み敷かれ、窮屈な思いをしながら働くことを余儀なくされれば、その分、私領域にしわ寄せが行きます。
「日が暮れかけたら今日一日のできごとをすべて語って聞かせて!!あたしが呼んだら、真夜中でも車で駆けつけて来て!!週一度は会社を休んで、朝から夜まであたしを抱いて!!24時間抱きしめて24時間愛してるってささやいてよ!!」
リカとしては全力で働いた分、全力で恋愛をしなければバランスが取れないワケですが、カンチは、リカのエネルギーを受け止めることができません。前職とは比べものにならない忙しさのせいで、カンチもまたすっかり余裕を失っているのです。ここへきて、彼らの恋愛は明らかな行き詰まりを見せます。東京で働いて生きてゆくことの全てがカンチへと収斂されてゆくリカの人生と、東京で生きてゆくこと、働くこと、リカと恋愛すること、同郷の仲間と付き合うこと、などがいわばバランスよくブレンドされており、決してリカひとりに収斂されないカンチの人生……誰がどう見ても、釣り合うとは思えません。
リカの留学によってカンチが味わったのは、
愛でも淋しさでもなく解放感
こうした状況を打開するためにリカがとった行動は、会社を辞めること、そして、アメリカに留学することでした。自分を窮屈にするあらゆる条件から自由になろうとしたのです。それは、これまで必死になってしがみついてきた仕事/東京に対する一種の敗北宣言でもあります。しかし、それと同時にカンチをこれ以上追い詰めないための応急措置であったとも考えられそうです。東京でうまくやっていこうと頑張れば頑張るほど、カンチの負担が増えてしまうという仕組みを壊すためには距離を置くしかない。そんな風に考えた末の辞職と留学。つまりこれはリカなりの愛だったのです。しかし、リカの留学によってカンチが味わったのは、愛でも淋しさでもなく解放感でした。
『東京ラブストーリー』において、カンチという男の受動性はものすごく徹底しています。彼は、とんでもなく流されやすい男なのです。リカが「セックスしよ!」と言えば、「始まりは「愛」ではなかった」とか言いながらもセックスしてしまいますし、リカが海外留学すれば、高校時代からずっと憧れていたさとみに「美しい夕暮れや、静かな夜空に出会うたびに、なにか足りないと思っていた。誰かにこの美しさを分けてやりたい、そうだ誰かに傍らにいて欲しいんだと気づいた」などど臆面もなく告白します(まだリカとは別れていないのに!)。そして、帰国したリカが他人の子どもを妊娠しているとわかり別れることになったあとも、電話で呼び出されれば、不安そうなさとみを家に残したままリカに会いに行ってしまいます。
これほどふらふらとしていてコントロールがきかない男であるにも拘わらず、カンチには、リカの方こそコントロールできない女に見えているというのが、カンチという人間の面白いところです。
「そうだ、リカは東京だ。リカを手なずけることは、東京を手なずけることみたいな気がして……」
カンチは、リカを東京にたとえます。そして、リカ=東京を手なずけられた時には「得意になってた」と言うのです。だとすれば、カンチにとっての『東京ラブストーリー』は、紛れもなくリカとのラブストーリーだということになります。最後はリカを手なずけるのに疲れて、さとみという良妻賢母型の女と結婚しますが、リカ=東京との恋愛に破れたという感じが一切しないのは、おそらくカンチにとってリカ=東京はあくまで手なずけたり攻略したりするものであって、愛する対象ではなかったからなのかも知れません。赤名リカとの恋は、永尾完治の中で「東京を攻略した」ことの証明として、勲章のように輝き続ける。こうして、カンチの上京物語は完結するのです。
「とことん生きてやる」
リカはリカとして生きていく
その一方で、東京にたとえられたリカはといえば、都市化するアフリカを見てしまったがために故郷喪失者になり、アメリカに留学したらカンチにフラれ、ラスト近くではカンチの故郷・愛媛にひとり旅……東京と上手く渡り合ってゆくことができません。その意味でリカの『東京ラブストーリー』は、東京に失恋したまま幕を下ろします。
しかし、いさぎよく失恋を選ぶ人生もまた良いものなのではないでしょうか。仕事も男も失い再出発することになったリカは、お腹の子どもに「アフリカ」という名前を授けようと決めます。アフリカを失ったリカは、いまやアフリカを自力で生み出そうとしているのです。そして、アフリカと関わりがある事柄だけが自分を生かす糧だと悟り、それを受け入れたリカは「あたし語学できるからそれでなんとか食ってくわ。ま、なんとかなるでしょ……母子二人で生きてくわ」と言い残し、カンチの元を去ります。この時のリカからは、東京へのこだわりも、近代的な働く女へのこだわりも感じられません。働いて生きることへのこだわりを捨て、シンプルに「とことん生きてやる」と思えるようになったリカは、もはや最強。この先、どこにいようが、誰といようが、リカはリカとして生きていくことができるでしょう。そして、もし読者がアフリカ育ちでもなければ駐在員の子どもでもないのにリカに励まされてしまうとしても、なんの不思議もありません。なぜなら、誰もがみな心に「アフリカ的な何か」を抱えていて、それを大切に思ったり持て余したりしながら働いて生きているのですから。
トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライターだが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)などがある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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