トミヤマユキコ

労働系女子マンガ論! 第7回 『東京ラブストーリー』柴門ふみ 〜「カンチ、セックスしよ!」の向こう側にあるもの(前編) 

(2013/9/26)

労働系女子マンガ論! トミヤマユキコ


 月曜の夜は「東京の街からOLが消える」

51HEF74YFHL._SL500_AA300_『東京ラブストーリー』と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、なんといっても「カンチ、セックスしよ!」というセリフですよね。ドラマの内容は知らなくても、このセリフだけは知っているという人も多いのではないでしょうか。

 カンチこと永尾完治(織田裕二)と赤名リカ(鈴木保奈美)の恋愛を描いたドラマ版『東京ラブストーリー』は、フジテレビ「月9」枠のいわゆる「トレンディドラマ」として、1991年1月から3月まで放映されていました。このドラマ観たさにさっさと帰宅する女性が続出したので、月曜の夜は「東京の街からOLが消える」と言われたりもしました。最近のテレビドラマではTBS『半沢直樹』が大ヒットして、日曜の夜はみんなテレビに釘付けだったようですが、こちらは幅広い世代をターゲットにして最高視聴率42.2%。対する『東京ラブストーリー』は若い女性をターゲットにして最高視聴率32.3%……こうしてくらべてみると『東京ラブストーリー』がいかに凄いドラマだったか分かると思います。

「ねえ、セックスしよ!」(注1)

 赤名リカが「セックス」という言葉を使って自分の欲求を表現したことは非常にセンセーショナルであり、最高に「トレンディ」でした(注2)。しかし、これだけ記憶に残るドラマであるにも拘わらず、というよりも、これだけドラマのイメージが強いからこそ、原作マンガはさほど注目されないまま今日まできてしまったように感じます。

 柴門ふみの描くマンガ版『東京ラブストーリー』が「ビックコミックスピリッツ」(小学館)に連載されていたのは、1989年1月から1990年10月まで……つまり日本中がバブル景気に浮かれていた時代と一致しています(注3)。就職氷河期に就職活動のシーズンを迎えてしまったわたし(1979年生)には想像もできないことですが、バブル時代の就活というのは今とは比べものにならないくらいユルくて、就活をせずに就職できてしまう人すらいたといいます。もちろん、きちんと努力をして内定を勝ち取った人は大勢います。しかしそれと同時に、履歴書を書くことなく、酒の席で知り合った人に「働きたーい」と言ったら、いつの間にか内定が出ていた、というような話もまたあったのです(しかもブラックではない企業に)。嘘みたいに恵まれた時代だったワケですが、わたしが聞いたバブル話だけでは心許ないので客観的なデータも見てみますと、1990年度の有効求人倍率は、1.43。2012年度の0.82にくらべるといかに景気が良かったかが分かります。



 自分らしくいられるのは、大企業でも女社会でもなく
 たった八名の小さな会社

 当時の状況を考えると、赤名リカの勤め先が「和賀事務所」という「社長以下八名の小さな事務所」であり、彼女が「たった一人の女子社員」なのは、少し意外な感じがしませんか? しかもリカは帰国子女で、幼い頃から「メイドにかしずかれていた商社のお嬢様」という設定です。バリバリのキャリアとして働くにせよ、優雅な腰掛けOLをやるにせよ、狙おうと思えばもっと格上の企業を狙えたハズ(注4)。しかし、ザ・中小企業という感じのスポーツ用品メーカーに勤務し、カンチと一緒に街へでて、道行く人の靴を撮影しまくるトレンド調査なんかをやっています。この職業選択、バブル時代のOLが出てくるマンガとしてはかなり地味であり異質です(ドラマ版では、けっこう大きな会社に勤めているという設定に変更されていて、リカの職業選択の特異性が薄まってしまっています)。

 リカのスペックと職業選択の奇妙な不一致は、彼女が11歳までジンバブエにいたことに起因していると思われます。リカは確かに駐在員の娘でお嬢様なのですが、アフリカ育ちなのです。長閑な環境で育ったリカにとって、大都会東京で働くことはある意味すごく不自然なことなのではないでしょうか。アフリカとは何もかもが違う街で、リカがどうにか自分らしくいられる場所は、大企業でもなければ、OLたちの女社会でもなく、たった八名の小さな会社だったのでしょう。ここでなら、彼女は紅一点であることを利用しつつ、自由に振る舞うことができたのです。リカは決して仕事が出来ない人間ではありません、むしろカンチは彼女を有能な先輩だと思っていますし、社長も彼女の能力を買っています。しかし、その能力はこの小さな会社でしか発揮できない。リカの賢さと東京になじめないナイーヴさが、このような職業選択をさせているのです。

 故郷喪失者としてのリカがめざしたのは
「近代化」した「働く女」

リカは東京にいながら、東京の人間ではないかのようです。アフリカ育ちのよそ者としてしか、東京と関われずにいる感じがします。社長がリカのことを「空を舞う野鳥と同じだ」と言ったり、カンチが興奮したリカを落ち着かせるために、犬の興奮を鎮めるシーンを思い浮かべていることからも、リカが非都会的な女であることは明らかだと言っていいでしょう。また、11歳で帰国した時に当時の日本語教師が「きみ、変わらなくていいよ」と言ってくれたことが自身の「アイデンティティ」を支えていたのであり「そんな一言にでもすがらなきゃ生きてゆけなかった……」という感想を漏らしていることからも、リカが東京で生きていくことにどれほどストレスを感じていたかを窺い知ることができます。

 しかし、リカのこうした性質は、やがて矯正を余儀なくされます。きっかけは、リカのアフリカ再訪です。彼女は会社から2週間の長期休暇をもらって久しぶりにアフリカを訪れるのですが、そこは、すでに彼女の知っているアフリカではありませんでした。アフリカにも都市化の波が押し寄せていたのです。

「ずいぶん変わっちゃったなって感じ……/あたしの馴れ親しんだ草原は、もう記憶の中にしか存在しないみたい」

帰国したリカは突如「あたしも近代化しようと」思いたち「都市で働く女」を目指そうとするのですが、この言葉には、故郷喪失者としてのリカが、東京を自分の居場所にせざるを得なくなった悲哀がよく表れています。心のふるさとだったアフリカを失ったリカは、いよいよ逃げ場を失い、東京でどうにかやっていくしかなくなったと感じているのです。そんな彼女の孤独は、カンチのような地方出身者よりもずっと深いと考えねばなりません。なぜなら、リカと同じようによそ者として東京で働いていても、カンチの故郷はアフリカほど遠くもなれば、急激な都市化によってその魅力を毀損されているワケでもないからです。そして、カンチには、愛媛から東京に出てきたかつての仲間たちがいますが、リカにはそういった仲間がいる気配がありません。いるのは、彼女と恋愛をした男たちだけです。

 アフリカを失うことによって東京という街の意味が大きく変化した時、彼女の働き方もまた変化しました。これ以上アフリカに心のより所を求められなくなったリカは、東京で働くことを通じ自分を改変しようとします。これまでも働いてはいましたが「近代化」した「働く女」になるということは、リカにとってこれまでとは異なる働き方をするということと同義です。



 男のセクハラに耐え、男に手柄を差し出す……
 リカほど旧弊な女はいない


 しかしそれは決して簡単なことではありません。11歳からずっとアフリカマナーで生きてきたのに、独力でいきなり東京に馴染めるハズがないのです。そんな時にリカが見つけたのが、後輩のカンチでした。カンチをかわいがり、一緒になって仕事に取り組むことで、リカは「働く女」としての自分を獲得しようとします。それがリカの選んだ仕事/東京との付き合い方だったのです。

 それまで野鳥だの犬だのと言われていたリカの変化はかなりのものです。接待中のセクハラに耐えて契約締結にこぎつけるだけでも凄いことですが、さらにこんなことを言うのです。

「……契約パアにしたら明日またカンチがボスに叱られるじゃない。あたしだけならいいけどさ」

これまでのリカだったら、相手を殴っていてもおかしくない。だってリカは待ち合わせをすっぽかした男の顔面に料理皿をめり込ませるような女なのですから、気に入らないことを我慢するようには出来ていない。しかし、仕事のため、カンチのために耐えてみせるのです。

 そして、この直後にかの有名なセリフ「ねえ、セックスしよ!」が出てきます。セックスという言葉を口に出せる女、自由な女、新しい女……赤名リカという女にはそのようなイメージばかりつきまとっていますが、カンチとのセックスの動機は、接待中のセクハラ、つまり働く女への侮辱だったのであり、単なる性欲ではありません。このことは『東京ラブストーリー』を語る上で、もっと注目&強調されて良い点だとわたしは思います。契約締結のためなら……とセクハラに耐えたものの、やはり「気分は最悪」であり「むしゃくしゃする」からカンチとセックスをする……これがリカの理屈です。これのどこが、自由で新しいというのでしょう。しかもセクハラの事実をリカは会社に報告せず、契約締結は完全なるカンチの手柄だと言い張っています。男のセクハラに耐え、男に手柄を差し出す……リカほど旧弊な女はいないと言ってもいいくらいです。

 「セックスしよ!」というセリフ自体は、軽さと明るさを伴って発話されていますが、うっぷん晴らしの楽しいセックスと呼ぶには、あまりにも切ない背景があることを、わたしたちはいま一度知っておくべきではないでしょうか。


(後編に続く)

(注1)ドラマ版『東京ラブストーリー』第3話。細かいことですが、ドラマの中でリカは「カンチ、セックスしよ!」とは言っていません。「カンチ、セックスしよ!」というセリフは『東京ラブストーリー』ブームの中で生まれた標語のようなものなのです。

(注2)赤名リカは『東京ラブストーリー』以降のテレビドラマにおける「サバサバしているけど魅力的な女主人公」の原型とも言うべき存在です。たとえば同じくフジテレビの月9枠で放映され、こちらも「月曜日は街からOLが消える」と言われたドラマ『ロング・バケーション』における、南(山口智子)と瀬名(木村拓哉)のカップリングは、奔放なリカと気弱なカンチのカップリングの変奏のように思われてなりません。

(注3)バブル景気の期間については、一般に1980年代後半から1990年代初頭かけてと言われていて、より正確な定義では、1986年12月から1991年2月までとされています。

(注4)バブル時代の労働系女子マンガといえば、深見じゅん『悪女』です。1998年から1997年にかけて「BE・LOVE」(講談社)紙上で連載されたこの作品は、「世界流通のトップクラス」に位置すると言われる商社に父のコネで入社した落ちこぼれの女主人公「田中麻理鈴」が本気で出世を目指すというものでした。1986年に改正された男女雇用機会均等法の後押しもあってか、組織で浮いてしまう自由奔放な女性(まるでリカのような)であっても、大企業で働けるばかりか、出世を目指すことだってできる……そんなメッセージを打ち出すマンガも描かれていたのです。

トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライターだが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)などがある。趣味はパンケーキの食べ歩き。

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