労働系女子マンガ論! 第6回『うどんの女(ひと)』えすとえむ 〜「おばちゃん」として働くということ
(2013/8/24)
バツイチ 出戻り 35歳…
「うどんの女」ことチカのスペック
えすとえむ『うどんの女』(祥伝社)は、『このマンガがすごい』2012・オンナ編第3位にも選ばれた人気作品です。暖簾のように垂れ下がった大量のうどんから顔を覗かせる裸の男女……妙にインパクトのある表紙をご記憶の方も多いのではないでしょうか。
本作は、ごく簡単に説明してしまえば「年の差カップルの恋愛成就までを描いたラブコメ」なのですが、労働系女子マンガとして読むと、また違った側面が出てくるように思われます。
「おばちゃーん うどんおねがい!」
「はーい 素うどんね?」
本作は、このような会話からスタートします。「おばちゃーん」と声をかけたのは、美大の油絵科に在籍するキノ君。「はーい」と返事をしたのは、学食のうどんコーナーで働く村田チカ、本作の女主人公です。
「バツイチ 出戻り 35歳」……これが「うどんの女」ことチカのスペック。世間的に言えば、35歳の女性はまだまだ女盛りですが、20歳前後の若者が大多数を占める大学という場所において、35歳は立派な「おばちゃん」です。もしもチカが美大の教壇に立つ女教員であれば、色気なりオーラなりがプラスされた可能性もありますが(AVにもそういうジャンルがあることですし)、彼女が働いているのは「平均50のおばさん達」で構成されている学食。さらにエプロン+三角巾といういでたちも、チカのおばちゃん性を高めています。チカ本来の女性性はともかくとして、仕事中のチカは、記号的に「おばちゃん」たらざるを得ないのです。キノ君が迷いなく「おばちゃーん」と呼ぶのもムリはありませんし、チカの方でも学生たちをつい「今の子」なんて呼んでしまう自分を「おばちゃんぽ」いと思ったりしています。本作において、学食とはチカがおばちゃんの見た目、おばちゃんのマインドで働く場所として描かれているのです。
「地味な仕事をしていても、素敵な恋愛ができるかも!」
という「手の届きそうな憧れ」
それにしても、ラブコメの女主人公に食堂のおばちゃんをもってくるというのは、驚くほど「きらめき」がない。少女マンガの歴史を振り返ってみると、そもそも女主人公の職業というのは「先生、女優、歌手、デザイナーといった「夢」のバリエーション」として描かれることから始まっている(注1)。つまり、普通の人々には手の届かない憧れの職業に就くことで、女主人公たちは読者に夢を見せていたということ。女主人公の職業には夢と憧れが詰まっており、「きらめいてナンボ」だったのです。
そのような作品と比べると、35歳のバツイチ女が食堂で働く物語というのは、夢や憧れとはかなり隔たりがあるように思われます。しかし、夢の職業に就き、白馬の王子様と結ばれるのではないからこそ生起する憧れがある。それはつまり「地味な仕事をしていても、素敵な恋愛ができるかも!」という「手の届きそうな憧れ」です。35歳バツイチ食堂勤務の女のもとに白馬の王子(血筋も財産もルックスも持ってる「あるある尽くしの男」)が迎えに来たのでは、あまりにも釣り合いが取れない。別に取れなくてもいいのですが、ママチャリに乗った美大生(あるのはルックスと将来性ぐらい)というのがちょうどいい塩梅、つまり、精神的負担の少ない恋愛だというのは、火を見るよりも明らかです。
とはいえ、学食のうどんコーナーを出会いの場だと認識している人はほぼ皆無なワケですし、恋愛対象として意識しようにも、すでに「おばちゃん」だと思ってしまっている女性を欲望するのは(熟女マニアとかでないかぎり)難易度が高い。
では、どのようにしてチカとキノ君との間に恋愛感情が発生したのか。それは、お互いが自意識過剰かつ妄想癖があることに起因しています。チカは、キノくんが毎日うどんを注文するのは「私に会うために…!?」と思っていますし、一方のキノくんも、大量のネギをのっけたり、頼んでいないのに天ぷらを入れたりしてくるチカに対して「この人俺のこと…!?」と思っているのです。この時点ですでにふたりの妄想の足並みは揃っている。年齢も立場も異なるふたりが、妄想癖という一点において奇跡的に重なり合っていることが、この恋愛の推進力となっています。
働いているチカも、普段のチカも、チカの茹でるうどんまでも愛する—
この渾然一体感
そしてキノ君はチカの私服姿を見ることで、さらなる妄想を膨らませてゆきます……キノ君は、チカの下着を妄想するのです。
「私服…けっこうハデだったけどいくつなんだろ…/こーゆー人って下着とかも気合い入ってんのかな…」
私服姿のチカは、いわば「おばちゃんという記号」がない状態。もともとイイ女だと思っている女性の下着を妄想するより、おばちゃんだと思ってる女性の下着を妄想する方が、当たり前ですがギャップがあります。つまりキノ君は、食堂のおばちゃんであると当時に、いやらしい下着をつける女かもしれない、というチカのギャップに惹かれていると言っていい。「ギャップのある人間はモテる」というようなことが言われたりしますが、たしかにチカのおばちゃん性と女性性の間には落差がありますし、少なくともキノ君はこのギャップにグッと来たようです。
しかし、本作が面白いのは、キノ君がチカのギャップをギャップとして楽しむのではなく、チカの諸要素をごちゃまぜにしてしまう所にあります。その証拠に、キノ君は、大きなキャンバスにうどんの絵を描き始め、こんなことを言うのです。
「ごめんなさい村田さん/僕はうどんに若干の性的興奮を覚えるようになってしまいました」
働いているチカも、普段のチカも、なんならチカの茹でているうどんまでも愛するキノ君。チカにムラムラしておけばいいものを、なぜかうどんにムラムラしている。この渾然一体感にキノ君という男の面白さが集約されています。そして、おばちゃんとして働くチカがダサくて、私服姿のチカがエロい、といったは線引きは、キノ君の中でとうに消滅しています……チカ本人でさえ「こんな服でも着てないといよいよ自分も老け込みそうで怖くって」と、少し派手めの私服を着て、仕事中の自分と差別化をはかっているのというのに。
「美しいこと」「結婚していること」
女を価値づける便利なアイテムを放棄した先に可能性が開けている
そして、キノ君がチカをまるごと愛すれば愛するほど、チカの元夫とは恋愛のあり方が違っているということがハッキリしてきます。
チカの元夫・田中は、この美大の教員で、キノ君の指導担当です。チカは、田中が海外留学することになった際、「〝カタチ〟がないと不安で」結婚を迫りましたが、やがて離婚し帰国することになります。結婚前のチカは美術モデルをやっていたのですが、離婚して日本に「帰って来ても仕事なんてない」ため、田中の口利きで食堂の仕事を得たのです。
絵描き(田中)と美術モデル(チカ)という組み合わせは、職場結婚であり、ある意味「当たり前の組み合わせ」です。また、美術モデルというのは美しさで勝負する職業で、言ってみれば食堂のおばちゃんとは全くの別ジャンル。美を武器に仕事をしていたチカが、離婚後は美とは無関係の仕事に就いている。そして、職場で出会った男と「カタチ」のために結婚したチカが、今や、元夫に仕事を紹介してもらい、そこに現れた男子学生と恋に落ちるという「カタチもへったくれもない」生き方に順応しているというのは、実はけっこう凄いことなのではないでしょうか。
チカの離婚とその後のジョブチェンジは失敗とか劣化といった言葉では説明できません。美術モデルが離婚して食堂のおばちゃんに落ちぶれたのではない。むしろ「美しいこと」「結婚していること」といった、女を価値づける便利なアイテムを全て放棄した先に、チカという女の可能性が開けているように読める。その意味で『うどんの女』という作品は、極めて優れた労働系女子マンガではないでしょうか。「きらめき」からはほど遠い、「手の届きそうな憧れ」を描いているように見せかけておきながら、その実、わたしたちの手の届く範囲内に「きらめき」の発生源があるかも知れないと思わせてくれるのですから。
「…チカちゃんさあ/最近キレイになったよね」
ある日の田中はこう言ってチカを誘おうとしますが、チカは全然相手にしません。美しさを武器に男に愛されようなんて考えないし、仕事を紹介してくれたお礼に元夫とセックスしようとも思っていない。チカは自立しており、かつて自分を価値づけていたあらゆる基準から解放されているのです。
「当たり前の組み合わせ」を回避し
「カタチ」への執着を捨てることで得た「きらめき」
だからこそ、キノ君の告白はチカの心に刺さるのだと思われます。彼がチカに差し出したのは、大きなうどんの絵。なんだかやけに艶めかしい、とろろうどんの絵なのです。真正面からチカの美貌を褒めるようなことをすれば、それは元夫とあまり変わらない愛し方になってしまう。それを(無意識的にだとは思いますが)回避したキノ君だからこそ、チカはその想いを受け止めることができたのです。
ちなみに、本作の中で、チカは何度か自分がキノ君の絵のモデルになることを妄想していますが、それは一度も実現しません。美術モデルと絵描き、という関係性を再演してしまえば、それは、元夫との関係性にどうしたって似てきてしまう。しかし、キノ君は決してチカにモデルを頼まない。チカを描こうとしても、それは幾条ものうどんに姿を変えてしまうのです。わたしにはそれが「当たり前の組み合わせ」を周到に回避しているように思えてなりません。そして「当たり前の組み合わせ」を回避し、「カタチ」への執着を捨てる限りにおいて、チカは食堂のおばちゃんとして働きながら、キノ君と愉快に付き合っていけるでしょう。そして、美術モデルだった過去の自分を振り返らず、食堂のおばちゃんとして働いて生きていくチカは、誰がどう見てもきらめいています。
(注1)米沢嘉博『戦後少女マンガ史』(ちくま文庫、2007年8月)。この他にも米沢は「『別冊マーガレット』のうたい文句が「小学生からOLまで」になったのは、昭和四十六年頃」とした上で「職場を舞台に、働く「少女」を描き始めたのも同じ頃だった」と指摘しています。
トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライターだが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)などがある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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