労働系女子マンガ論!第3回 「主に泣いてます」東村アキコ〜無職の女・紺野泉が主体性を獲得するまで(後編)
(2013/6/17)
非労働者コミュニティが、無職の美女を経済的精神的に支えている
美しすぎるために、どんな仕事も長続きしない彼女は、前出の「つね」や「トキばあ」に助けられながら生活しています。つねからお小遣いをもらい、ストーカー被害に遭えば、トキばあの手引きで次の部屋を見つけてもらう。つまり、泉を生かしているのは、地元・向島に暮らす女たちなのです。しかも、その女たちは、大金持ちのお嬢様(つね)や、リタイア組のおばあちゃん(トキばあ)といったメンツ……これが何を意味しているか、分かるでしょうか? 彼女たちも泉同様、労働者ではないのです。彼女たちは働かないで得た富を、泉に還元することで彼女の生活を助けています。また、仁の教え子である美大生「赤松」や、美人だったら誰でも大好きなテキトー警察官「勅使河原」が泉に接触できる例外的な男性として登場しますが、赤松はまだ学生、勅使河原は全く仕事ができない警察官、つまり労働者としてはイレギュラーな存在。端的に言って、泉をとりまく人々はまともに働いていない人々であり、彼ら非労働者コミュニティが、泉という無職の美女を経済的&精神的に支えているのです(注2)。
そして『主に泣いてます』において、非労働者の女たちが泉をフォローする一方で、労働者の女たちはみな不思議なほど泉に敵愾心を燃やしています。なぜ、彼女たちは、泉に対し同情的になれないのか。なぜ、彼女のことを殺したいほど憎むのか。恐らくそれは、経済力や美醜の問題というよりも、愛を巡る問題に接続しています。表層では泉の美貌を妬みながらも、深層では「何も持たない者は、愛されるより他ないから」「何も持たない者こそ、もっとも純粋に愛される可能性があるから」こそ泉が憎いのではないでしょうか。
何も持たない女は愛の客体になるしかない
たとえば、2002年に制作された米ドキュメンタリー映画「デブラ・ウィンガーを探して」(ロザンナ・アークエット監督)の中に、次のようなセリフが出てきます。
「ユーモア 知性 才能 想像力 勇気 演技力 それ以外女優に何がある?」「ヤレるか」「そうよ だから他の部分の絶滅しちゃった女優が それに頼っても仕方ないわ」
ハリウッド女優たち(彼女たちは泉同様「超ド級の美人」でもあります)によるこの会話は非常に示唆的です。何かひとつでも「これ」と思えるものを手にした女優は、その後もずっと女優で居続けられる。「これ」とは「仕事上のスキル」と言い換えても良いでしょう。しかし、何も持たない女優は「それ=セックス」に頼る、つまり愛(性愛)の客体になるしかないというのが、彼女たちの実感なのです。
しかし、この論理を裏返すと、愛の客体になることを望む者にとっては「これ=仕事上のスキル」を持っていることこそ悲劇、ということになります。仁のマネージャーをつとめる妻の由紀子も、寿司屋の「柳さん」を愛するケーキ屋の「よし子」も、仕事ができる女であり「これ」を持っています。ですから、彼女たちが「これ」さえなければ、愛の客体になれたのにといった呪詛の念を泉に向かって解き放ってしまうのは、ある意味とても分かりやすい反応だと言えるのではないでしょうか。恐ろしいまでの美貌を「これ」とも思えず、愛され、描かれ、客体になることしか知らない女を、「これ」を持ってしまった女たちが攻撃しているのです。
美貌が価値や権力である社会を離れることで獲得した主体性
しかし、物語の後半から泉は猛烈な巻き返しをはかり、何もできない無職の不幸美人から脱却してゆきます。脱却成功の要因はいくつかありますが、ここでは赤松が泉を描くようになり、仁以外の作品の中に自分の居場所を見つけたことと(逆に仁は泉が描けなくなってゆきます)、向島を離れ、無人島で暮らしはじめたことのふたつを主な要因として挙げておきましょう。ここでのキーワードは「居場所の変更」。仁のキャンバスから赤松のキャンバスの中へ、向島から無人島へと移動したことで、泉の人生にも新たな転機が訪れたのです。
無人島での暮らしはほぼ自給自足であり、誰もいない島では彼女の美貌も全くもって無価値。美貌が価値や権力である社会、あるいは金銭なしには生活できない社会を離れることで、ようやく泉は愛の客体であることを卒業し、主体性を獲得します。もともと高かった身体能力を生かして魚を捕ったり薪を割ったりして暮らす生活は、愛する人や多くの仲間に囲まれていた時より身体的にはキツいのですが、不思議と充実していて、ひとりぼっちでも「全然淋しくない」。確かに、この島に泉はひとりぼっちですし、他には誰もいない。しかし、主体性を獲得することで他ならぬ自分がきちんと存在していることを泉は確かに感じ取り、充足感をおぼえているのです。
このような形での主体性の獲得は、相当無茶な方法と言わねばなりません。しかし泉は、この無茶な方法によって、自分らしく生きられる場所を見つけたのです。
無職の女が、無職のまま主体性を獲得し、心から笑えるようになるまでの物語
「この島には私しかいないから/何をやろうと自由なんです/誰も私のことを見てないんです」(最終話)
自分を社会に合わせるようにして生きることを選択せず、美人のまま、無職のままで、もっと自由に生きようとする泉の姿がここにはあります。そして思い出して欲しいのは、東村作品が「過酷さと笑い」によって出来ているということ。精神的に過酷な状況にあった向島時代の泉は、仁のことを思って「主に泣いている」のですが、身体的に過酷な状況にある泉は「毎日が楽しくて笑って幸せで」泣くというのです。過酷さが導出する笑いの意味が180度転換して終わるこの物語は、無職の女が、無職のまま主体性を獲得し、心から笑えるようになるまでの物語としてエンディングを迎えます。そして、ギャグマンガとして読み始めたハズが、泉の生きざまにちょっぴり感動させられている。これもまた180度の転換と言えるかも知れません。
仁の代理的存在であるかに思えた赤松が泉と恋仲にならぬままであることも、この物語の非常に優れた点です。一度は自らのキャリアのため泉を海外に連れ出そうとした赤松ですが、最終的には無人島で野蛮化している泉をそっくりそのまま受け入れ、描こうとする……そこには「客体としての紺野泉」を再演させまいとする赤松なりの意志が見え隠れする、と言ったら褒めすぎでしょうか。赤松は、師匠の仁から泉というモデルを貰い受けたのではなく、全く新しい紺野泉と向き合う覚悟がある男。そんな風に見えるのです。
現実を生きるわたしたち読者が泉ほどのスケール感をもって生きていくことは難しいかも知れません。しかしながら、自分の中に「小さな紺野泉」を育て、不本意な現実、理不尽な現状に対して主体的かつ大胆に行動するための勇気を蓄えておくことは、決して悪いことではないと思います。社会や会社にうまくフィットしない自分を極力否定せずに生きてゆきたいなら、なおのこと。
(注2)非労働者コミュニティ内での支え合い、というテーマはそのまま『海月姫』にも引き継がれています。腐女子でニートの登場人物たちは、自分たちの下宿先を地上げ屋から守るためにファッションブランドを立ち上げ資金稼ぎをしますが、それぞれの特技、特性を生かした業務を担当し、決して会社に自分を預け、社会に自分を合わせるスタイルでは労働しません。あくまで腐女子のまま、ニートのままで生きる方法が採られています。
トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ラ イター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライターだが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり 論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学 院文学研究科紀要 第57輯』所収)などがある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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