労働系女子マンガ論!第26回『ハッピー・マニア』『働きマン』安野モヨコ 〜労働系女子マンガの名手が描くロスジェネ女子のリアル
(2022/11/8)
就職氷河期に社会人になったふたりのロスジェネ女子
シゲカヨと松方弘子
『ハッピー・マニア』と『働きマン』は、いずれも安野モヨコ作品ですが、ジャンルで言うと、前者は恋愛マンガで、後者はお仕事マンガです。一見、毛色が違うように思えますが、今回は敢えてこの2作品を並べて読んでみたいと思います。
というのも、ふたりの女主人公には、「就職氷河期に社会人になったロスジェネ女子」という共通点があるんですよ。
『ハッピー・マニア』の連載開始は1995年。ヒロインのシゲカヨこと重田加代子は、24歳のフリーターとして登場します。連載当初は作品内の時間と現実の時間にズレがないので、単純計算すれば1971年生まれなのですが、回を追うにつれ、少しずつズレが生じて、72年or73年生まれに。このあたりはマンガならではの時間操作ですね。
作中、シゲカヨの友人が代表を務める編集プロダクションに入社しようとするシーンで、彼女のものらしき履歴書がチラっと出てくるのですが、そこでは平成元年に小学校を卒業したことになっており、1976年生まれという計算に。これはシゲカヨの履歴書ではないとする説もあるのですが、大学卒業後の職歴が一切ない(=正社員経験がない)ことや、一浪してから演劇学科というちょっとマニアックな学科に入っているあたりがなんともシゲカヨっぽいので、わたし個人はシゲカヨの履歴書説を捨てたくないと思っています。
……と、まあ、生年については多少振れ幅があるのですが、ロスジェネ世代が生まれた1970年代前半から80年代前半年の間には収まっているので、シゲカヨのこともロスジェネ女子とみなしてよさそうです。
そして『働きマン』の連載開始は2004年。主人公の松方弘子は、28歳の週刊誌編集者です。作中に登場する新聞の日付などを見る限り、作品内の時間と現実の時間は一致しているので、弘子は1976年生まれとなります。こちらもれっきとしたロスジェネ女子ですね。
自己の欲求にどこまでも忠実であろうとするさま
わたしたちの社会を支配する自己責任論への痛烈なカウンター
ふたりは同世代&同性ですが、その働き方はまるで違います。シゲカヨは仕事より恋愛が大事だと思っている人物で、キャリア形成にはほとんど興味がないので、仕事をどんどん変えていきます。作劇上は、それが新たな出会いを誘発するものとなっています。仕事を変わると、生活環境も変わり、出会う男も変わるわけですね。
連載スタート時の書店スタッフにはじまって、電話の受付、百貨店の美容部員、陶芸家の弟子(というか雑用係)、スーパーマーケットでの実演販売、水商売、編集プロダクション、レストランのウェイトレス……と実に多くの仕事を経験しています。
幸せ……
あたしの幸せって何?…仕事?
仕事決まったけどあんまりやりたくないし…
でも他にないし
あたし どうしたいんだろう
これは美容部員をやることになったときのシゲカヨの言葉です。幸せを見失っているようですが、改めて紙に書き出してみたところ、答えは「彼氏がほしい…」でした。「そうだった……… やっぱそうなのよ/仕事のわけないのよ…」。さすがはシゲカヨ、「恋の暴走機関車」と呼ばれるだけのことはありますね。彼女は、生きていくために働かなくてはならないけれど、働くことを通じて何かを学んだり発見したいとは思っていないのです。そんなシゲカヨの性格は、恋愛で痛い目を見ても変わることがありません。編プロバイトをする際も「あんた…仕事できないんじゃない?」と訊かれて「しらん!!/やったことないからね」と即答しています(すがすがしい!)。
現実世界におけるロスジェネの就職難やそれによって引き起こされる生きづらさは、国を挙げて真剣に取り組むべき社会問題ですが、少なくともこの作品内では、シゲカヨの堂々たる開き直りっぷりによって笑いへと転化しています。将来の不安に怯え、備えを強化するだけの人生を拒絶し、自分の欲求にどこまでも忠実であろうとするさまは、考えようによっては、わたしたちの社会を支配する自己責任論への痛烈なカウンターとも言えそうです。
余談ですが、自己責任論が広く浸透している現在、学生さんに『ハッピー・マニア』を読ませると、シゲカヨにキレるひとが一定数います。「将来は独居老人になって孤独死する」なんて脅すようなことを言う学生までいます。とにかくシゲカヨにちゃんとして欲しいようです(恋愛至上主義でもいいが、それならば女磨きをもっとがんばれ、という意見が出たりもします)。愉快なフィクションとして、シゲカヨのことを「しょうがないなあ」と笑い飛ばせる学生は、年々減っているようです。
しかしながら、いろいろな場所に行き、いろいろな男たちと出会えるこの就労スタイルはシゲカヨにとても合っています。また、自由気ままなようでいで、経済的に弱いところを補強すべく、親友のフクちゃんとルームシェアをするなど、気をつけるべきところは気をつけているのですよね。無鉄砲ではあるし、学生さんがキレそうになるのもわからないではないけれど、これはこれで、恋愛至上主義のロスジェネ女子が掴んだひとつの生き方なんじゃないかと思います。
年齢的には中堅でも
永遠の若手として働かされるロスジェネ
一方、『働きマン』の松方はシゲカヨとはまったく逆で、仕事が何より大事だと考える人物です。大学を卒業すると、「豪胆社」という(かなり講談社を彷彿とさせる)会社に入り、週刊誌の編集部に配属されます。連載スタート時は入社7年目という設定なので、新人から中堅へ移行しつつある時期ですね。将来の目標は『Newsweek』や『LIFE』のような「世界的に売れる雑誌をつくる!!」ことであり、「そのために30才までに編集長になること!」を目指しています。スクープが取れそうとなれば、デートも即キャンセルしますし、それが正解とまでは思っていないけれど、仕事を通じた自己実現のすばらしさを知ってしまっているので、どうしても恋愛は二の次になってしまいます。第1話の最後に出てくる「あたしは仕事したなーーって思って死にたい」というセリフにも明らかなように、彼女は完全なるバリキャリ系です。
シゲカヨと比べると、就職氷河期に有名企業の正社員になれた弘子は勝ち組かのように見えるのですが、彼女にも苦労はあります。弘子たちロスジェネ世代は景気の悪い中、少数精鋭として入社し、仕事を徹底的に仕込まれて育ったというのに、後輩世代はそうでもないので、なにかというと自分たちのところに仕事が降ってくるのです。昭和の価値観が染みついた上司たちにとっては、多少キツくとも業務をちゃんとこなしてくれる社員は頼もしくもあり便利でもあるので、ついつい仕事を振ってしまうようで……。後輩世代が育つのはいつのことやら、という感じですね。これは現実世界でも同じで、わたしがかつてインタビューしたロスジェネ世代のバリキャリ女子も、似たような経験をしていました。年齢的にはとっくに中堅でも、永遠の若手として働かされるのが、ロスジェネなのかもしれませんね。
正社員になれずフリーターとして食いつないでいくのも難儀ですが、正社員になってもそれなりに難儀。コインの裏表のようなふたりの生き方は、いずれもロスジェネ女子のリアルだと思います。それを安野モヨコというひとりの作家が見事に描き分けている。本当にすごいことです。
安野先生は、労働系女子のありようを描くのがとても得意です。『シュガシュガルーン』だって、子ども向けのキラキラとかわいらしい魔法少女モノのように見えますが、魔界の女王候補となったふたりの少女が人間世界にやってきて、「ハート」と呼ばれる感情が結晶化したものを集める行為は、一種の労働ですよね。より多く、より良質のハートを集めた者が次期クイーンになれるというルールは、働いて出世するとか、仕事を通じて自己実現するといったことのメタファーに他なりません。
フリーターだって、バリキャリだって、女王候補だって、働いている。労働を通じて女たちの人生を見つめる安野先生は、まさしく労働系女子マンガの名手です。この先、どんな女たちのどんな働き方を描いていくのか、楽しみでなりません。
トミヤマユキコ
1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、早稲田大学文学研究科に進み、少女マンガにおける女性労働表象の研究で博士号取得。ライターとして日本の文学、マンガ、フードカルチャーについて書く一方、東北芸術工科大学芸術学部准教授として教鞭も執っている。2021年から手塚治虫文化賞選考委員。
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