労働系女子マンガ論!

労働系女子マンガ論!第23回『デザイナー』一条ゆかり 〜仕事に生きよ、と明確にメッセージする胆力のすさまじさ 

(2022/8/9)

労働系女子マンガ論! トミヤマユキコ

 

あまりのすごさに打ちのめされてしまって、読んだ後しばらくなんにも言えなくなる作品というのがあって、わたしとっては、一条ゆかり先生の『デザイナー』がまさにそういう作品です。ふたりの女デザイナーが業界の頂点を目指してしのぎを削る話なんですが、結末が壮絶すぎて言葉を失っちゃうんですよね。労働系女子マンガとして、かなり過酷な部類に入る作品ですが、今回は敢えてその過酷さと向き合ってみようと思います。

 

過酷な生育歴を持つトップモデル「亜美」
実の母親を知り、一転デザイナーへ

08853090853090315501主人公はトップモデルの「亜美」です。彼女の強みは、徹底したセルフプロデュース能力と実力主義にあります。フリーランスで仕事をしており、年齢も苗字も非公開。無愛想で生意気だと陰口を叩かれることもありますが、すべて実力でねじふせる。ファッション業界で彼女に一目置かぬ者はありません。

そんな彼女は、あるとき人気デザイナーの「鳳麗香」から、ファッションショーへの出演を依頼されます。「本人は好きじゃないけど腕は認めてるわ/結構いい仕事だし損はないわ」……そう語る亜美でしたが、ショーが成功しても、心は晴れません。

 

いくら美しくふるまっても
結局 すべての栄光はデザイナーのひとりじめなんだわ
モデルなんて働きバチのようじゃない
それじゃなかったら着せ替え人形よ
ばかばかしいわ
人にあやつられるままだなんて
働きバチはいつまでたっても女王バチになれやしない
私がなりたいのは女王バチよ
人に使われるのはまっぴらよ
今に私はあやつる側にまわってやる

 

亜美のハングリー精神は並大抵ではありません。とにかく頂点に立つことが全てであり、モデルの仕事によろこびを感じている様子も見受けられません。なぜこれほど心に余裕がないのでしょうか。

「まるではりつめた糸のようだ」と言われる性格の原因は、亜美の生育歴にあります。生まれてすぐに養女に出された彼女は、実の両親を知りません。養父母も彼女を引き取って一年ほどで事故死。孤児院に移ったものの、環境がひどすぎて12歳で飛び出し、そこからはひとりで生きてきたと言います。これでは人間不信になって当然ですし、実力が全てという考えになるのもわかりますよね。子どもの甘えを許されなかった少女、それが亜美なのです。

苦難続きの生育歴こそが強さの秘密なのですが、これは同時に彼女の弱点でもあります。そして物語は、この弱点を決して見逃しません。ある日、亜美は自分の母親が麗香だと知ってしまいます。そして動揺のあまり交通事故を起こしてしまうのです。仕事の腕は認めているけれど、性格的には全然合わないし、なんなら軽蔑していたあの麗香が母親だなんて。さすがの亜美も、このショックには耐えられませんでした。

足が不自由になった亜美は、「同情されながら続けるのはごめんだわ/私がなりたいのは常にトップよ/それ以外なら最低も同じだわ」と言い、モデルの仕事を辞めてしまいます。そして今度は、デザイナーを目指すのです。


母親をライバルと定めて戦うが
愛する人との人生を選ぶ

これまでの亜美には、ライバルと呼べる存在はいませんでした。誰にも目をくれず、ひとりで頂点を目指すのが、彼女の生き方だったからです。しかしこれからは違います。母親をライバルと定め、そのひとを引きずり下ろすために戦うのです。人生初のライバルが実母とは、なんと皮肉なことでしょう。

娘が母親を乗り越えていくストーリー自体は、そう珍しいものでありません。そして大抵の場合、若くて野心的な娘は、母親打倒に成功します。しかし『デザイナー』の結末は違います。そしてその原因は、亜美の恋にあります。

結城コンツェルンの若き主導者「朱鷺」をバックにつけて、死に物狂いの修行に取り組んだ亜美は、ものすごい勢いで知識と技術を吸収し、麗香と居ならぶトップデザイナーになるのですが、その中で、自分をサポートしてくれた朱鷺に惹かれていくのです。労働系女子マンガではお馴染みの「仕事と恋」の問題ですね。

こんなにもハングリー精神が旺盛な亜美が、巨大コンツェルンの御曹司と恋をするのですから、仕事も恋も諦めない、ということでいいと思うんですが、亜美は仕事を辞め、朱鷺のために生きていきたいと思うようになります。「デザイナーとして生きるより/ひとりの女として」生きるのが、彼女の望みだったのです。全力で支えれくれる朱鷺によって、固く閉ざされていた心の扉が開いてしまった以上、それを再び閉ざすことなど、亜美にはできなかったのでしょう。彼女の過去を思えば、これはこれで納得です。

こうして亜美は、麗香と同時期に開催することとなったショーを最後に引退すると決めます。一方の麗香は、亜美が実の娘だとわかってからも、デザイナーとしてもがき続けています。急成長を遂げる娘との勝負を通じて自分の限界を感じ取った麗香は、フランスに飛び、もう一度基礎から自分を鍛え直すことに。それが「私は女である前にデザイナーよ」と語る麗香の生き方なのです。そんな麗香を見て、亜美はこう悟ります。

 

デザイナーとして生きようとすればするほど
孤独になるのを知っていながら
あの人は最後までデザイナーとして歩いていく
自分の腕だけを信じて
気が遠くなるのほどの時間を
たったひとりで生きていく……
私には……
もうひとりで生きていくことはできない

 

母に対する「かなわない」という気持ちがはっきりと表れていますよね。デザイナーとしてのライバル勝負については、負けを認めた格好です。その負けが、愛する人との人生を選ぶことに繋がっているから、そこまで悲壮感はありませんが。

 

復讐の道具に仕事を使ってはならない
愛より恋より仕事をやれ 70年代作品の強烈なメッセージ


最初は世の中に負けたくなくて、その次は母親に負けたくなくて……つねに頂点を目指し勝負を挑んできた亜美にとって、仕事は生きていくための手段ではあっても、目的ではありませんでした。それに対して、麗香にとっての仕事は、何があっても手放すことのできないもの、自分と不可分のもの、つまり人生そのものです。たとえ血を分けた親子であっても、仕事観まで同じというわけにはいかないのですね。

仕事を手放し、愛するひとの元へ向かった亜美でしたが、なんとこの後、たいへん悲劇的な展開が待ち受けています。娘を捨てた母親ではなく、愛ある人生を選んだ娘がひどい目に遭う。ベタな勧善懲悪を回避しているのはもちろん、仕事を捨てた亜美の方が罰せられたとも読めてしまうような結末です。人生の複雑さ、ままならなさをここまでハッキリ提示されてしまうと、もう手も足も出せません。

本作にひとつはっきりしたメッセージがあるとすれば、「仕事を復讐の道具に使ってはならない」ということでしょうか。亜美もそうですが、亜美を成功に導くことでとある復讐を果たそうとしていた朱鷺も、哀しい結末を迎えています(ここはこれ以上ネタバレしない方がおもしろいので、ぜひ作品をお読みください!)。厳しいようですが、亜美も朱鷺も、麗香を憎んでいるひまがあったら、彼女から仕事への姿勢を学ぶべきだったのかもしれません。それならば、麗香はよろこんで教えたでしょうし、彼らのいいメンターになった可能性もあります。

仕事は自分のためにやれ。恋より愛より仕事をやれ。恨まれてもいいから仕事をやれ。そうすれば生き延びることができる。これが麗香の信念です。本作が連載されていたのは、1974年。女が一生の仕事を持つことや、家庭よりもキャリアを優先することが、まだまだ現実的ではなかったこの時代に、仕事に生きよ、と明確にメッセージしています。この決意、この胆力のすさまじさに感動して、わたしはいつも言葉を失い、太い太い溜め息をつくしかなくなるのでした。

 

トミヤマユキコ

1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、早稲田大学文学研究科に進み、少女マンガにおける女性労働表象の研究で博士号取得。ライターとして日本の文学、マンガ、フードカルチャーについて書く一方、東北芸術工科大学芸術学部准教授として教鞭も執っている。2021年から手塚治虫文化賞選考委員。

 

 

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