労働系女子マンガ論!第19回 『椿町ロンリープラネット』やまもり 三香 〜「女子学生+家政婦」は労働系女子の最強スペック!?
(2016/12/13)
少女マンガが家政婦という仕事を通じて
何を描こうとしているのか
少女マンガを読んでいると「貧乏な女子学生が住み込みの家政婦になる」という話が一定数あることに気づかされます。両親が事故で亡くなったり、多額の借金を抱えたりしている関係で、ヒロインはものすごく貧乏だけれど、学校には通いたい。それで奨学金をもらったり、アルバイトをしたりして、典型的な苦学生をやっていると、住み込み家政婦の仕事が突如舞い込んできて……というようなストーリー。恋のお相手は、雇い主であることがほとんどで、雇い主=ご主人様、オレ様というイメージなのか、みんなちょっとSっ気があります(※1)。
女子の苦学生が稼ごうとして水商売や風俗といった実入りのいい仕事に就くと、業界の特殊性を描きつつ女の自立を描く骨太の展開になるのですが、家政婦の仕事(あまり実入りがいいとは言えない)をすると、登場人物の内面描写がメインの繊細な展開となりがち(※2)。同じ「貧乏スタート」で、同じ女の仕事を描くのでも、ぜんぜん違う。というわけで今回は、少女マンガが家政婦という仕事を通じて何を描こうとしているのかについて、いまマンガ読みの間でものすごく人気のある『椿町ロンリープラネット』を題材にいろいろ探ってみたいと思います。
若い女としての魅力を放ちつつ、おかあさんのような温もりと安心感
いろんな世代の女の魅力を「全部載せ」した女子学生家政婦
『椿町ロンリープラネット』のヒロイン「ふみ」は16歳の女子高生。母親を亡くし、父親と二人暮らしをしています。家事全般を担当し、家計簿をつけるなど、かなりしっかり者です。父娘ふたりの暮らしはつつましくも幸せそうですが、あるとき父親に600万の借金が発覚、返済のため父親はすぐさまマグロ漁船に乗り込むことを決めます。そしてひとり取り残されたふみは、住み込みの家政婦として時代小説家「木曳野」の家へ。口数が少なくぶっきらぼうな雇い主に振り回されながらも、だんだんと彼の優しさに気づいてゆくふみ。
「小さく つもっては ひろがっていく/この感情は なんなのかな?/ほんの 些細なことが こんなにも嬉しいのはなんでなのかな」
……こうしてふみの不器用な恋が転がり出します。
父親の借金のせいで完全なる貧乏のどん底に突き落とされたふみには、もはや戻れる実家もない。つまり彼女は、ある種の「孤児」なのです。
孤児であるということは、未成年なのに子どもでいることを許されないということを意味しています。しかし、この「精神的に大人びている」という設定がとても大事。というのも、友だちと遊ぶとか、恋愛をするとか、そういう女子高生らしいキラキラを全部すっ飛ばして大人になったふみにとって、雇用主である木曳野との距離感は、世間一般の「女子高生と大人男子」よりずっと近くなるから。彼女が木曳野の仕事内容や、一風変わった生活スタイルをわりとすんなり理解・把握しているあたりにも大人っぽさが出ています。性別が違い、年齢が違うという見かけ上のギャップに注目した場合は、木曳野が孤児となったふみの保護者に見えるのですが、ふみが大人びていることによってふたりの心の距離は最初から比較的近いと見ていいでしょう(ゆえに恋愛してもロリコン的に見えない)。
それから、女子学生家政婦というのは「最初から仕事ができる」人物として描かれます。ゼロから仕事を覚えるというよりは、これまで普通にやってきた家事を仕事としてやるようになる、という流れが多いのです。父子家庭だったふみも、家事全般を引き受けていましたから、家政婦の仕事についてあーだこーだ悩むことはありません。ふみにとってはできて当たり前の炊事や洗濯が、仕事中心の暮らしをしてきた木曳野にとっては生活の質を上げることに繋がるため、仕事の面ではのっけからふつうに評価される。ふみとしては、無償でやっていた家事労働に賃金が発生するのですから、今まで以上に仕事をがんばれる。いいことづくめです。
さらに、家政婦の提供する家事労働というのは、言ってみれば「母親業」に近いため、「ケアしてくれる人」として評価されるという点も重要。これは『椿町』に限ったことではありませんが、雇用主が風邪を引くというエピソードがあれば、家政婦はそれが業務内容に含まれていようといまいとキッチリ世話をします。いまドラマが話題になっている『逃げるは恥だが役に立つ』でも、家事代行業をしているヒロインのみくりが、時間外労働であることを承知の上で雇い主・平匡の看病をするシーンが出て来ますが、それによって彼のみくり評価はぐんと上がります。
若い女としての魅力を放ちつつ、おかあさんのような温もりと安心感も持ち合わせている。言ってみれば、女子学生家政婦とは、いろんな世代の女の魅力を「全部載せ」したようなスペックなのです。
徹底したファンタジーとして描かれることによって
リアルな家事労働のなんたるかが逆照射される
未成年であるにも関わらず精神的には大人であり、若い女の魅力に母性がプラスされるという最強のスペックに足りないのは、「思春期らしい生活」だけ。本来であれば、いちばん青春を謳歌してないといけない時期に、学生生活よりも優先しなければならないものがあって、「そういう人生なんだ」と諦めかけているヒロインが年相応の自分を取り戻すきっかけになるのが、恋!恋をしているときだけは、等身大の女子として、ときめいたり苦しんだりできるのです。しかも、その恋の相手は、同じ家に暮らす雇い主(職場恋愛)。家政婦モノの場合、ヒロインを家に入れている時点で雇い主はその子を多少なりとも気に入っているので、紆余曲折はあるにしても、両思いになれる確率が高い!もちろん、同じ家に住んでいるので、揉めたら失職するかもしれないといった厄介さはありますが、家族のように過ごす中でお互いの恋愛感情が醸成されるというメリットはかなりデカい。
孤児であることはキツいけれど、日々の仕事はきちんと評価され、給料も発生し、あとは目の前の恋に打ち込むだけ……これってかなり理想的な状況なのではないでしょうか。少なくともふみにとって木曳野は、行き場を失った自分に家と職を与えてくれた保護者でもあり、生活に追われてすっかり忘れていた恋愛感情を思い出させてくれた男でもあり、なんというかもう、生活の全てなわけです。
というか、タダで家事をすることが当たり前だと思われている主婦からしたら、賃金が発生する上に、イケメンの雇い主からかわいいとか、守ってやらなきゃと思われるなんて、理想的すぎるがゆえにあり得ない状況。しかし、そうやって描かれた理想の裏には、報われない、満たされない現実がべったり張り付いているとも言えます。
同じ家政婦でも、これが市原悦子だと他人の秘密ばっかり覗いているから、まず雇用主と恋に落ちたりはしませんし、『きょうの猫村さん』のように、家政婦が猫だったりしようものなら、人間並に働こうとがんばっている時間が長くて、恋のことなど考えているひまはない。ですが、これが年若い女子学生だと仕事の悩みは後景に退き、恋愛が前景化するのですから、少女マンガにおける女子学生家政婦モノというシステムは、本当によくできていますし、『椿町』はそのシステムを余すところなく使った秀作です。
ちなみに、このシステムは歴史的に見るとけっこう新しいものです。大正期くらいまで、家事労働を家族以外の人間にやらせることは、そこまで珍しいことではありませんでした。掃除機も洗濯機もない時代、家事はすごく時間のかかる仕事でしたから、べつに金持ちじゃなくても女中を雇っている家はありましたし、夏目漱石の『坊っちゃん』なんかを読めば、一人暮らしの独身男性が女中と一緒に生活していることがべつにおかしいことではないんだとわかります。
つまり、家政婦を雇うなんて珍しいとか、他人が家の中にいると妙に落ち着かないといった気持ちは、普遍的なものではなく比較的新しい感覚だと捉えた方がいい。そして、その感覚をうまいこと利用し、恋愛のドキドキに繋げているのが女子学生家政婦の物語なのです。
なんてよくできた発明なんだ女子学生家政婦は!と思う反面、すでにアラフォーとなった身としては、なんかもう絶対に真似できない状況であることが、少し切ない。いまから家政婦になってもふみじゃなくて100%市原悦子になってしまうしな……。家事労働自体は比較的身近な労働であるにもかかわらず、女子学生にやらせた途端、こんなにも遠くに感じる……この「近くて遠い」感じが、女子学生家政婦モノ最大の旨味なのかもしれません。
マンガに描かれた女の労働は、実人生にそのまま応用可能なことが多いけれど、女子学生家政婦モノは敢えてリアリティを退け、徹底したファンタジーとして描かれることによって、リアルな家事労働のなんたるかが逆照射されるのだと思いますし、そのちょっとねじれた感じが面白いのだと思います。
※1このSっ気のある雇い主と家政婦という組み合わせを男マンガに持って行くと一気にエロくなるのがすごい。雇い主に対してひどく従順な女というイメージが強調され、家事労働も女だからできて当たり前という感じで評価対象にもならない。あらゆる個性が剥奪され、思うままに操れる女として描かれてしまいます。
※2女子学生ではなく、大人女子が家政婦になった場合は、「全部載せ」のモテ女ではなくなりますし、話の展開もさまざまです。『逃げ恥』のように恋愛要素が絡むこともあれば、『猫村さん』のように市原悦子パロディのほんわかストーリーになることもありますし、わたしの大好きな小池田マヤ『家政婦さん』シリーズは、「家事が得意な女=家庭的である」という世間のイメージをブチ壊す、なんとも爽快な物語になっています。
トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライター だが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に 「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)など、著書に『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内100』(リトルモア)がある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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