労働系女子マンガ論! 第18回『重版出来!』松田奈緒子 〜恋愛には目もくれない労働系女子
(2016/11/14)
恋愛の世界に浸れるファンタジーがあるのなら
仕事の世界にのめり込んでゆくファンタジーがあったっていい 労働系女子に注目してマンガを読むことは、わたしにとって最初はただの趣味でしたが、やがて研究対象になり、最終的には仕事になりました。で、趣味として読んでいた頃、わたしは大学院生をやりながらライターとしても活動しはじめていたのですが、ライターと言っても素人に毛がはえたレベル。しかも同性&同世代のライターがまわりにいなかったので、本当に心細かった。
……というような個人的事情もあって、『重版出来!』の主人公「心」ちゃんは、わたしの中で特別な存在です。心ちゃんを見ていると、駆け出しライターだった頃の自分を思い出して、懐かしいような切ないような気持ちになります(抱きしめてやりたい)。
大学生までは柔道ひと筋の人生だった心ちゃんですが、不運にも選手生命を絶たれます。そこで心折れるかと思いきや、自分を支え励ましてくれた柔道マンガを作っていたのは出版社じゃないか!ということで、まさかの方向転換。「柔道を辞めた今、心から熱くなれる場所はここしかありません!!」という決めゼリフで内定をゲットした心ちゃん(ついでにいきなり技をかけてきた社長を投げ飛ばした)。でも、彼女には編集部でのアルバイト経験すらない、つまり業界のイロハを何も知らないのです。
熱意はあれど、知識なし。そんな状態で新しい世界に飛び込んでゆくのは、ワクワクするけど、死ぬほど不安でもあるはずです。わたしもまた、研究一本じゃ食べていけない、なんとかしなきゃ、と思ってライターの世界に飛び込んだ人間で、熱意はあれど、知識なしでした。だからもう、他人ごととは思えないというか……。
ちょっと特殊な業界モノを描く上で、心ちゃんのような「ズブの素人」が出てくることは、非常に重要です。なぜなら、読者の多くがその業界について「興味はあるけど、まだ何も知らない」状態だから。『重版出来!』では、心ちゃんがその素人キャラを引き受けており、読者は彼女に憑依するようにして、業界のあちこちをのぞき見て、一緒に成長してゆくことができる。これがのっけからプロしか出てこない話だったら、読者が段階的に知識を蓄えることができず、途中で脱落することにもなりかねません。業界モノに限らず、ちょっと珍しいスポーツとか、趣味の世界を描いた作品でも、親切な作品には必ずイイ感じの素人が出てくるものです。
心ちゃんが元柔道選手だということも手伝って、職場での成長ぶりは一種のスポ根モノのよう。週刊コミック誌『バイブス』編集部のみんなと力を合わせ、難局を乗り越えてゆく様子は、チームスポーツそのものと言っていいでしょう。
そして、仕事がチームスポーツであることを徹底して描いた結果として出てくるのが「仕事か恋愛か?」をヒロインに突きつけない、という帰結です。仕事と恋愛のバランスについて悩むのは、労働系女子マンガのお約束と思われていますが、恋愛より大事なものがあったっていいじゃないか、という流れが確実に生まれてきています。のっけから恋愛の匂いをさせず、ヒロインの仕事ぶりを丁寧に描いてゆく、という手法が増えれば、労働系女子マンガはさらなる多様性を獲得することになるでしょう。たのしみですね。
たとえば、池辺葵『プリンセスメゾン』のヒロイン「沼ちゃん」も、居酒屋で働きマンションを購入するのが人生の目標、という女子で、恋愛については極めて淡泊な態度を貫いています(そういえば彼女も心ちゃんと同じ小柄でまるっとした女子……人生はまるで違うけれど、姿形はけっこう似ている)。
『重版出来!』のコミックスは、2016年11月現在8巻まで出ていますが、心ちゃんの恋愛は、一切描かれていません。理想の恋愛について語りこそすれ、具体的な相手はいない。心ちゃんは入社したてで、恋愛どころではないとはいえ、「この男となんか起こりそうだな〜」みたいなキャラすらいない。でも、恋愛の世界に浸れるファンタジーがあるのなら、仕事の世界にのめり込んでゆくファンタジーがあったっていいハズで、その意味で本作は仕事および仕事人間を全力で肯定してくれる作品。取材に取材を重ねたであろうリアルな細部を描きつつも、働くことそれ自体についてはファンタジーを感じさせてくれるというところが、とにかく素晴らしいと思うのです。とか言いつつ、わたしは恋愛と仕事の狭間でズタボロになりながら、それでも働くことをやめない安野モヨコ『働きマン』のヒロイン「松方」や、おかざき真里『&』の「薫」のことも大好きなのですが。
ただひたすら労働のリアルを見つめるよりも
百倍心がラクになる労働系女子マンガ
労働を徹底的に描くことで読者に夢と希望を与える作者・松田奈緒子のやり方は、『少女漫画』という作品からも見て取ることができます。
この作品は、『ベルサイユのばら』『ガラスの仮面』『あさきゆめみし』など、少女マンガの名作に人生を救われた女子が登場する短編連作で、どれも面白いのですが、たとえば、正社員と派遣社員の待遇の違いに悩むベルばらオタクのヒロイン「三沢」が、同じくベルばらにハマっているシングルマザーの同僚に「オスカルの心/持ってるよ」と言われことをきっかけに、待遇改善を求めて「革命」を起こす話が出てきます。彼女が目指したのは、単に派遣社員の扱いを良くしろ! というものではなく、残業や休日出勤続きで倒れてしまった正社員の救済をも視野に入れた革命。そもそもは、派遣社員である自分が蒙った不利益をどうにかしたいという気持ちだったかも知れないけれど、最終的には、会社のみんなのために行動した。そんな三沢は、確かにオスカルの心を持った、カッコいいヒロインです。読んでてスカッとするし、働くっていいもんだな〜と思えます。
現実の派遣社員が、こんな風に会社を変えられるかと問われたら、ちょっと難しいと答えるひとがほとんどでしょう。でも、徹底したファンタジーを描くことで、明日を生きる栄養を届けてることだって、大切なことです。
『ベルばら』という趣味に逃げるのではなく、逆に趣味への愛を力に変えて現実を革命しようとする三沢のカッコよさは、柔道選手の夢を断たれた後に、柔道マンガのことを思い出し、マンガ編集者という新たな目標を見つけた心ちゃんのカッコよさに通ずるものがあります。そのカッコよさだけで、白飯3杯食べられる、という気持ちになるし、そこに恋愛が絡んでこないからといって、なんだというのだ!という気持ちにもなります。
仕事は仕事、趣味は趣味と割り切るのもアリですが、長い人生、ひょっとしたら趣味への愛がきっかけで仕事の意味や価値が大きく変化するかも知れない……そんな夢を持てたら、明日からもがんばって働けそうじゃありませんか? そして、仕事楽しさのあまり、恋愛がお留守になる人生だって、決して悪いものじゃないと思えたら……ただひたすら労働のリアルを見つめるよりも、百倍心がラクになる。松田奈緒子が描く労働系女子マンガとは、そういうマンガなのです。
トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライター だが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に 「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)など、著書に『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内100』(リトルモア)がある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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