労働系女子マンガ論! 第17回『海町diary』吉田秋生 〜じわじわといい仕事をする女たち
(2016/10/11)
「みんな働いてるから あなたひとりぐらい養える」
女の労働が大きなウエイトを占める4姉妹の物語
鎌倉の豊かな自然を背景に、4姉妹の日常を丁寧な筆致で描く『海街diary(小学館)』。マンガ大賞2013を受賞し、2015年には是枝裕和監督により実写映画化されたため、すでに内容をご存じの方も多いかと思います。
この4姉妹の家族関係は少々複雑です。彼女たちの父親は、妻との間に3人の娘「幸・佳乃・千佳」をもうけながらも、別の女性と不倫し、離婚してしまいます。ひとり家を出た彼は、新しい妻と暮らし始め、やがて娘「すず」が生まれますが、妻は幼いすずを残して病死。娘とふたりきりとなった父親は、2人の息子を持つ女性と二度目の再婚を果たし、家族4人、山形の温泉地で静かな暮らしを……と思った矢先、病に倒れ、帰らぬ人となってしまいます。
そんな父親の葬式に鎌倉から3人の姉たちがやってきます。両親の離婚後、母親が家を出て別の男と暮らし始めたという事情があるため、彼女たちは祖母に育てられ、祖母の死後は3人で共同生活をしています。幸は看護師、佳乃は地元の信金に務めるOL、そして千佳はスポーツ用品の量販店に勤務。みんな立派な社会人です。
葬式に参列した3姉妹は、父親の再婚相手があまりにも自己中心的かつ心の弱い人物であるのを目の当たりにします。とくに長女の幸は、看護師として重病人の家族を多く見てきた経験から、彼らが必ずしも最期まで愛情を持って病人を看取れるわけではないと知っていて、この妻がまさにそのタイプであることを見抜きます。機能不全の妻に代わってこの家族を回してきたのは、まだ13歳のすずなのです。
姉たちにとってすずは父親を奪った女が産んだ子ですが、そうした事情をいったん棚上げすれば、単純に「末の妹」。幸はその末の妹が血の繋がらない家族の中でひとしれず孤独を抱えているのを放っておくことができません。そこですずに鎌倉で一緒に暮らそうと持ちかけ、すずもまた「行きます!」と即答します。会ったばかりの姉たちと暮らすことを即決してしまうぐらい、すずにとって愛情の伴わない義家族との生活はしんどい。ですから、突然現れた3人の姉は、自分を新天地へと導いてくれる救世主です。
「みんな働いてるから あなたひとりぐらい養える」……姉3人がすずを引き取り養育することができる背景には、3人がちゃんと働いているという設定があり、女の労働はこの物語の中でそれなりに大きなウエイトを占めています。
看護師、地元信用金庫OL、スポーツ用品量販店
それぞれの働き方と仕事への情熱
看護師の幸は、同じ病院につとめる男性医師との不倫を終えるのとほぼ時を同じくして、院内の終末医療チーム設立メンバーになります。新規プロジェクトのために声をかけられたのですから、幸は優秀な看護師なのでしょう。回復の見込めない患者を専門的にケアする終末医療は、幸にとって大きなチャレンジであり新たなステップアップの機会です。しかし、彼女は仕事熱心ではあっても、決して出世欲あふれる野心家タイプではないようです。
そのことを示すのが、同僚の看護師「アライさん」とのエピソード。凡ミスを連発し、いつもいるべき場所、いるべき時間に姿が見えないアライさんに、幸はイライラさせられっぱなしなのですが、終末医療チームの追加メンバーに彼女を推薦します。高度なケアを求められる部署に彼女を連れていくことは、ふつうに考えると危険すぎるギャンブルですが、幸はアライさんの仕事ぶりを観察するうち、こんな風に考えるようになります——「妙なカンちがいはするし 作業は遅いし 典型的なダメナースだと思ってたんですが/患者さんの安全にかかわるようなミスは絶対しません/ひょっとしたら彼女は…/「とても大切なこと」とそれ以外のオン・オフがあまりに激しくて/不器用なだけかもしれないな…と」。
凡ミスの多いアライさんを引き連れての新規プロジェクト参加を決められるということは、幸にそれをフォローするつもりがあるということであり、職場でも長女っぽいな〜と思わされますが、彼女の「働く意味」が、金でも名誉でもなく、「細部はどうあれ、結果として誰かの役に立つこと」なのは、とても印象的です。なぜなら、すずを引き取ると決めた動機も、おそらく同じだからです。
どう考えても、自分たちの家庭を壊した女の産んだ子、しかもついさっき会ったばっかりの子とうまくやっていけるだろうか、といったことが気に掛からないハズがない。でも、すずに安心して生きられる場所を与えたいという思いの前で、そんなことは取るに足らない「細部」であり、ひとまず無視してよいものなのです。それと同じで、
アライさんがうっかりしがちという「細部」よりも、彼女が患者に対して誠実であるということの方が、幸にとっては重要。 アライさんよりデキのいい看護師なんてゴロゴロいて、そういう仲間と働いた方が絶対ラクだしスムーズに出世できるのに、ここで敢えてアライさんを指名する幸の働き方は、アライさん以上に不器用ですが、とてもカッコいい。と同時に、「出世を求めず、しかしいい仕事を積み重ねてゆく方法」として、極めて有効なのではないでしょうか。
続いて、次女・佳乃の働き方を見てみましょう。ホストに百万貢いだこともあるという彼女は、家族から「愛の狩人」と呼ばれており、あまり仕事熱心なタイプには見えません。銀行の仕事は、あくまで食い扶持を稼ぐためのようですし、可処分所得の多くは趣味の日本酒に消えています。しかし、窓口業務から融資課の「お客様相談係」へと配置替えになったことで、その心境に少しずつ変化が起こります。
幸が先輩ナースに見込まれて終末医療チームに入ったのとは違って、佳乃はわりと唐突に相談係になっています。ですが、佳乃は愚痴るどころか、家で相続についての勉強をするくらい仕事にのめり込んでゆきます。大好きな彼といろいろあって別れたタイミングでの配置替えなので、失恋で傷ついた心を紛らわすために仕事をがんばっているのかな?と思いきや、新しい恋がはじまってもなお、彼女の仕事への情熱は衰えないのです。
カウンター越しに不特定多数の顧客を相手にしていたときと違って、ひとりひとりの顔が見える相談係の業務に、佳乃は恋愛とはまた違った、しかし時に恋愛と同じくらい濃厚な人間関係のあり方を見ているようです。相談係になったことで、仕事は恋愛の代替品ではなく、恋愛と同じくらい熱心に打ち込めるものになりました。
はじめは「課長付」の相談係だった佳乃ですが、やがて彼女はひとり立ちし、課長からひとつのエリアをまるまる任されるようになります。
この課長というのが不思議な男で、超有名大学から都市銀行へと、絵に描いたようなエリートコースを歩んできたにもかかわらず、その道を捨て、鎌倉の信金に中途採用で入って来た変わり種。過去に仕事でつらい出来事があったとはいえ、それは彼には責任のないことであり、都市銀行で歯を食いしばって耐えれば、いずれ必ず出世できただろうに、そうしなかったのです。彼は自分の生まれ育った地元で、じっくり時間をかけてやり直すことを選んだ。ここでも物語は、スムーズな出世を周到に回避してゆきます。
そんな課長に佳乃はどんどん惹かれてゆきます。面食いだと言っていた佳乃が、決してイケメンとは言えない課長の全部を好きになって、肉食系だと言っていた佳乃が、彼の心がほどけるまで、辛抱強く待っている(健気!)。仕事の内容が変わったことで、佳乃の働き方や恋愛がガラっと変わってしまったのです。
課長が信金に入ったのも、佳乃が相談係をやるようになったのも、極めて偶発的なことです。「課長付」が取れてひとり立ちするのが早かったのも、あちこちの酒場をひとり飲み歩くことで身につけたコミュニケーション能力が役に立ったのであり、これまた完全に偶発的。
しかし、あらかじめ設定した目標に向かって努力するだけが人生ではありません。こんな風に、ノリと勢いで仕事と恋愛が動いてゆくパターンだってあっていいし、実際いくらでもあります。それを「運命」と呼んでことさら盛り上がるのではなく、ただ流れに任せて仕事を好きになり、上司も好きになっちゃう佳乃の「流され方」が、わたしは好きです。なんだかずっと不景気で、先の見通しが立たない現代のわたしたちの人生にヒントを与えてくれるのは、佳乃のような人だと思うから。
変わり者の3女・千佳の働き方は、2人の姉よりもかなりマイペース。スポーツ用品店での仕事は、新人の育成など大変なこともあるようですが、げっそりする程ではなく、元登山家の店長との交際も順調。
食いっぱぐれがない看護師を選んだ幸や、なんだかんだ言って手堅い信金を選んだ佳乃とは違い、千佳は徹底して「自分の好きなこと」を基準に職探しをしたことが見て取れます。店のホームページに書いている釣りコラムもそのひとつ。釣りにハマって、コラムまで書くようになって、ついには客から「カリスマ店員」と呼ばれるようになるのですが、本人は「いやあカリスマだなんて」と謙遜しきり。彼女にとって仕事は趣味の延長線上にあり、その双方を無理なく楽しめれば、それで十分幸せなようです。それにしてもこの物語に出てくる人は、本当に出世から遠い!
淡々としてはいても、かなり楽しそうな千佳ですが、最新7巻の巻末で、それが一気に変わります。きっかけは、千佳の妊娠です。交際中のカップルが妊娠した場合、結婚もそうですが、仕事をどうするかもかなり大きな問題となります。ましてや千佳の場合、好きなことを仕事にしているのですから、悩まずにはいられないでしょう。産む/産まない、結婚する/しない、仕事を続ける/辞める、という感じでいきなり増えた選択肢を前に戸惑う千佳が、これからどうなるのかについては、続刊を待ちたいと思います。
劇的なピンチやチャンスは滅多に訪れないというリアル
日々がんばっている労働系女子のためのマンガ
労働系女子マンガとしての『海街diary』は、この3人をサンプルとしつつ「あなたはどうなりたい?」と問いかけてきます。その問いを一番近くで受け取っているのはすずであり、ちょっと離れたところで受け取っているのは読者であるわたしたちです。
三者三様に長所・短所があると思いますが、すでに指摘した通り、みんな仕事熱心でありながら出世とは無縁という共通点があります。お仕事マンガというと「難局を乗り越え目標を達成せよ!」的なイメージがありますが(一種のスポ根)、本作のように「じわじわといい仕事をする」女子たちの物語もある。
そして、多くの社会人にとって、このじわじわ感の方がリアルなのではないでしょうか。劇的なピンチやチャンスは滅多に訪れないし、大抵のことは、自分の意志とはかかわりなく、なんとなくの流れではじまったり終わったりするもの。しかし、そんな仕事にも小さな山や谷はあるし、人生を変えるような出逢いがあったりもする。そのささやかな起伏を愛おしむような視線で見つめ、丁寧に描いているのが『海街diary』なのです。その意味でこれは、ごくフツーの、だけど日々がんばっている労働系女子のためのマンガです。
トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライター だが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に 「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)など、著書に『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内100』(リトルモア)がある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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