労働系女子マンガ論!第16回 『リメイク』 六多いくみ〜美しさと自分らしさに助けられ苦しめられる労働
(2015/5/15)
働きながら「自分らしさ」とどう折り合いをつけていけばいいのか?
という問いをめぐる物語
「コスメ厨が高じて前職BAしておりました」と語る六多いくみが、自身のBA(ビューティーアドバイザー)体験を活かしつつ描く『リメイク』(マッグガーデン)。本作の舞台はデパートの化粧品売り場ですから、当然「美しさ」をめぐる物語でもあるのですが、働きながら「自分らしさ」とどう折り合いをつけていけばいいのか? という問いをめぐる物語でもあります。
主人公の「かのこ」は、はじめ「OA事務員」として働いています。OA事務員に「ただのOL」というルビがふられていることからも分かるように、いわゆるバリキャリではありません。出世欲はなく、淡々と働き、でも言われたことはきちんとこなすので、契約更新はすんなり、というタイプ。低め安定のOLライフを送っています。プライベートも仕事と似たり寄ったり。はげたネイル、彼氏いない歴3年目、全体的にたるんだ身体、といった情報は、端的に言って彼女の女子力低下を表しています。
このままではマズいと思ったかのこは、久しぶりに化粧品売り場に足を運び、BAさんにメイクをしてもらいます。メイクひとつで雰囲気が明るくなったことに少なからぬ感動を覚えるかのこ。プチイメチェンに心躍らせる彼女は、会社にもメイクをして行くのですが、自分より若いOLたちから「奥村さん頑張っちゃってましたよねー」「25過ぎると焦り出てくるのかなぁ」などと陰口を叩かれてしまいます。
若い娘たちからイタいオバさん認定されてしまったかのこには「元の非モテ地味OLに戻る」もしくは「悪口はスルーしてやりたいようにやる」という選択肢があるように思いますが、彼女は仕事を辞め、憧れのBAの世界にチャレンジすることにします。伸ばしかけていた髪をバッサリ切り、会社の契約更新もバッサリ切り。つまり、これまでの自分と決別しようとしたのです。
かのこの転職は、小生意気な後輩の言葉を真に受けての逃避というよりは、もっと前向きなニュアンスを持っているように感じますし、この前向きな逃げ方からは学ぶべきことがあるように思います。
周囲に自分を認めさせるべく努力するのも悪くはありませんが、すでに女であることを「頑張っちゃって」いると思われているかのこがこの会社で描ける未来は「頑張ったら嗤われ、頑張らなくても嗤われる」という、かなり絶望的なものにならざるを得ません。しかも、この時点でかのこには「それでもいいもんね!」と言えるようなプライベートの充実もナシ。今の生活を続けていたのでは、楽しいことがどんどん減っていくのは火を見るよりも明らかです。
もっと言えば、OLがトイレや給湯室で他のOLの悪口を言うという行為が意味しているのは「男の目があるところでは女同士仲良くしておいて、裏では女同士格付けしまくる」ということなので、かのこいじめはなかなか表面化しない……ということは救ってくれる人もなかなか現れない、ということなのです。
新しい人間関係の中で「新しいわたし」としての人生をスタートさせるしか
選択肢はなかった
ここでかのこが思い切って生活環境を変えたのは正解です。むしろ、新しい人間関係の中で「新しいわたし」としての人生をスタートさせるしか選択肢はなかったように思います。
転校や転職の経験があったり、知っている人がいない大学とか趣味のサークルとかに入った経験がある人には分かると思いますが、生活環境の変化は「生まれ変わり」の感覚を呼び起こすもの。不安もありますが、なんとも言えない清々しさがあるのも事実。かのこの転職も、生まれ変わることへの期待感に満ちています。
本作がリアルなのは、かのこが自分の意志だけで転職を決断しているところです。かのこは25歳ですが、これくらいの年代ならではの孤独というものがこの世にはあるように思います。女ともだちが結婚したり出産したりしはじめ、独身は徐々にマイノリティになってゆくのがこの年代の特徴で、独身と既婚者の間に心理的な隔たりが生まれがち。また、親からすれば、今から新しいことにチャレンジするよりは、早く結婚でもして落ち着いてくれ、という思いが強まってくる時期なので、親に相談するのも、なんだか厄介。
かのこには「あっちゃん」という友だちがいるのですが、独身であるかのこに比べてワーキングママであるあっちゃんは忙しいし大変そう、というコントラストを描いており、とても仲はいいのですが、やはり心理的な距離があるのは否めない。こういう孤独がじわじわと襲ってくるのが20代後半以降です。
女の人生すごろくをどんどん進めていく友だちに、人生の先輩として訊いてみたいこともあるけれど、いい大人なんだから、なんでもかんでも訊くんじゃなくて、自分で考えないとダメなんじゃないか。そんな逡巡がかのこを襲っていることは想像に難くありません。だからこそ、かのこの決断は読者に勇気を与えてくれるのです。
働く女たちの多くが「自分らしさ」に助けられる日と
「自分らしさ」に邪魔される日を繰り返しながら生きている
BAになってからのかのこは、新人ならではの失敗、先輩との衝突、同僚との競争、予期せぬトラブルなどを次々にクリアしてゆくのですが、成長する自分を感じれば感じるほど「変われない自分」にも気づいてゆきます。ちょっとしたことがきっかけで、結局のところ自分はとても「平凡な女」だと思って凹んでしまうのです。
あたしがみんなのように
元々 美しい人だったなら
肌荒れくらいでこんなに/卑屈になったりしなかったんだろうか
でもきっとみんなにだってわからない/あたしの気持ちなんて…
平凡な女の気持ちなんて——…
華やかなBAの世界に入って、新人なりに頑張って成果を出していて、それなりに充実した日々が、肌荒れひとつで一気に地に落ちるこの感じは、とてもよくわかる。周囲がなんと言おうと、自分が美しくないと思えば、美しくないというネガティブモードに突入してしまったかのこの気持ち……共感しすぎて胸が痛い(というか平凡コンプレックスに悩んだことがない女なんてほとんどいないハズだ)。
キレイすぎて近寄りがたいという感じではないからこそ、かのこの接客を喜ぶ客もいるのですが、ネガティブモードの時は、そのことさえ前向きには捉えられない。男に愛されるためではなく、自分のため、この業界で胸を張って生きていくために美しくありたいとかのこは切望するのです。
きっとかのこだけでなく、働く女たちの多くが「自分らしさ」に助けられる日と「自分らしさ」に邪魔される日を繰り返しながら生きているのではないでしょうか。そして、働くということは、「自分らしさ」とどう折り合いをつけられるかということによって、楽しくもなれば、つまらなくもなる。かのこのトライ&エラーは、そのことをはっきりと物語っています。
かのこが抱いているこの劣等感は、言うまでもなく向上心の別名です。美しくありたいと、思い切り背伸びをして、はるか遠くを見て……別にブスを蔑みたいわけでもないし、追い抜きたいと思っている特定のライバルがいるわけでもない。この時のかのこには、自分しか見えていません。
『リメイク』はまだ連載継続中ですので、これからのかのこの成長、仕事を通じた自己実現を引き続き見守っていきたいと思います(かのこ! 超応援してるぞ!)。彼女はまだ気づいていないかも知れませんが、自分で自分が許せないという苛立ちは、高く&遠くに目標を設定した者だけが持つことができる感情。前職では得られなかったその感情をBAの仕事で得られたことは、彼女にとってこの仕事がちゃんと「生まれ変わりの契機」になっていることを意味しています。その点だけ取ってみても、この転職は成功だったと言えるのではないでしょうか。
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライター だが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に 「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)など、著書に『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内100』(リトルモア)がある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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