労働系女子マンガ論!第14回 『ハウアーユー?』山本美希〜「奥さん」という仕事
(2014/10/28)
主婦労働はまさしく「影の仕事」
光が当たらない「闇」がそこにある主婦労働は女の仕事の中でもとりわけ「不透明な部分」が多い仕事ではないでしょうか。
始業や終業の時間がハッキリ決まっているわけではありませんし、家事労働に子育てや老人介護がプラスされれば、24時間・365日営業ということもあり得ます。また、基本的に報酬が支払われませんし、スキルアップに応じた昇格もナシ。核家族化が進む現代にあっては、周囲の協力を得ることも簡単ではありません。
家庭という場をうまく回していくために必要不可欠な労働であるにも関わらず、それを享受する側からは「生活の一部」と捉えられがちなのも主婦労働の辛いところです。日々の暮らしの中で、主婦労働は「当たり前」となり、サボりや手抜きは時に「愛情の欠如」として責められたりもする……。やりがいを感じることもあるけれども、割に合わない部分も多い。「シャドウ・ワーク」と呼ばれることもあるように、主婦労働はまさしく「影の仕事」。なかなか光が当たらない「闇」がそこにはあります。と同時に、その闇にアプローチしようとするフィクションがこの頃増えているように感じるのです。
たとえば、NHKの連続テレビ小説『マッサン』を観ていると、日本人の「政春」と結婚したスコットランド人「エリー」が、日本の「奥さん」という仕事に違和感を抱いているのが分かります。結婚とは、愛し合った者同士が対等なパートナーとして生きていくことを意味しているハズなのに、日本では、結婚した女は「奥」に引っ込んで、夫をサポートするのが当たり前。このことにエリーは困惑します。ドラマはそれを「異文化の壁」として描いていますが、実は、エリーの違和感は、現代を生きる女たちの違和感と直結しているのではないでしょうか。女に生まれ、男を愛した代償として、なぜ「奥さん」という身分に甘んじなければいけないのだろう。なぜそんな制度を日本の社会は今も昔も許容しているのだろう。そんな風に感じているのは、エリーであり、わたしたちでもあります。
マンガ読みの間で近ごろ話題の海野つなみ『逃げるは恥だが役に立つ』も、主婦労働とは何か? ということを根本から問い直す物語です。同作では、勤め先で契約切りに遭い途方に暮れていた「みくり」が、父親の元部下である「平匡」の家事代行業を始め、やがて彼との契約結婚へと至ります。みくりは仕事と住む場所を手に入れるため、平匡は自分の生活を低コストで快適なものにするため、この契約を受け入れるのです。みくりの主婦労働は、他の一般的な労働と同じように扱われますので、妻であれば「やるのが当たり前」とされることの全てに時給が発生し、場合によっては特別手当もつきますし、雇用主である平匡からお礼を言われることもしょっちゅうです。
みくりも平匡もこの契約結婚に納得しており、とても快適に暮らしていますが、彼らは自分たちの本当の関係を周囲には内緒にしています。愛し合って結婚したわけではないということ、肉体関係がないということを、誤魔化しながら生活しているのです。
ここまで来ればお分かりかと思いますが、主婦労働の問題とは、「愛の問題」でもあります。結婚が愛を要請する制度である限り、主婦労働もまた愛から逃れることはできないのです。主婦労働は、家族への愛があるから頑張れることもあるけれど、愛があるからややこしくもなる。そして、何より厄介なのは、愛の問題に他人が介入することはなかなか難しいということ。夫婦の間で、あるいは家族の中で愛がこんがらがったとしても、たいていは表沙汰にされず、その内部で静かに深い闇となってゆくのです。
夫が前触れなく失踪
絵に描いたような幸せが突然終わる
山本美希『ハウアーユー?』は、そんな主婦労働の闇を一切の手心を加えずに描き切った作品です。物語の舞台は、とある住宅街の一軒家。3人家族が暮らしています。俳句を愛するインドア派の優しい夫、ちょっぴり生意気だけれどかわいい一人娘、そして、家族を愛し、庭の植物を愛する外国人の奥さん「リサ」。絵に描いたような幸せな家族の風景がそこにはあります。
しかし、その幸せは、ある日突然終わってしまいます……夫が何の前触れもなく失踪してしまうことによって。残された家族に思い当たる節はありません。しかし、夫は会社にも現れないし、俳句仲間のところにも現れず、完全に消えてしまいます。浮気相手のところに逃げたとか、事故で死んでしまったとかいうことならば、まだ気持ちの整理のしようがありますが、夫がいまどこで何をしているのか、生きているのかどうか、全てが謎なのです。まさに青天の霹靂。リサは、この家の専業主婦でした。しかもリサは外国人ですから、夫を頼りにする気持ちも強かったはず。大きな支えを失ったリサは、徐々におかしくなっていきます。
最初に変化するのは、リサの家事能力です。ネギしか入っていないしょっぱい味噌汁しか作れなくなったり、カップ麺とみかんを晩ご飯にしてみたり、揚げ物をしている最中に別のことにかまけてボヤ騒ぎを起こしたり。
リサは「奥さん」としての仕事をまともにこなせなくなってしまいますが、まだ思春期の娘にはそんな母親の心情が理解できません。そんな中で娘が取った行動は、隣の家に住む中学生の女の子「ツミちゃん」に「もうウチに来るな!」と書いた紙切れを渡すことでした。
本作が面白いのは、最初からツミちゃんという他人をこの家庭に出入りさせていることです。ツミちゃんの母親はとても忙しいワーキングマザーで、いわゆる「母親らしいこと」があまりできません。手作りのお菓子を食べさせたり、可愛らしく髪を結ってあげたり、そういうことはリサの役目なのです。そして、リサが得意とする「母親らしいこと」は、リサの家族にとってはあまりに当たり前のことすぎて、求められも喜ばれもしない、言ってみれば「どうでもいいこと」になっています。だから余計にリサはツミちゃんを可愛がります。リサが専業主婦としての能力を理想的な形で発揮できるのは、ツミちゃんと一緒にいる時であり、ツミちゃんも実母に求めれば負担になるであろうことはリサに求めたのです。ふたりはちょっとした依存関係にありました。あるいはそれは、血縁によらない母娘関係とも言えるかも知れません。そして、そのことをよく分かっていた実の娘は、リサとツミちゃんとの付き合いを嫌悪したのです。
愛が憎しみへと反転しても
「奥さん」であることから降りられない
夫という支えを失い、娘にも冷ややかな目で見られ、ツミちゃんと会うこともままならなくなった孤独なリサは、レジ打ちのパートとして働きはじめますが、まともに働くことができません。「不定期のお休みが多くて/周りも大変」「マジメですけどなんか…/要領悪いっていうか手際悪いっていうか…」「ちょっとした質問とかクレームとかも答えられないんですよ/レジは打てるけど都合悪いと日本語わかんないフリしたりして」……社会に出たリサは、ただの使えない外国人のおばさんになってしまいます。
ここでリサが気持ちを切り替えて、娘のため、あるいは自分のためにパートを頑張ることができたなら、彼女にはまた違った未来が待っていたかも知れませんが、リサは「奥さん」という仕事にこだわり続けます。洗濯中になくなった靴下を探していてパートに遅刻してしまうあたりにも、主婦労働が本業だという意識が見てとれます。
そしてリサは、自分が「奥さん」でいるために、夫を「いつか帰って来る人」の位置にとどめおこうとします。作中、ツミちゃんがリサのために行った「あること」のせいで、リサは半狂乱になって夫捜しをすることになりますが、その時に彼女の頭の中にあるのは、こんな考えです。
誰のせいなの 何のためなの
こんな目に遭うのは
わたしは怒ってるのよ
おさまんないのよこのままじゃ
こんな遠い国まで来たのよ
元通りにしたいの人生を
だからあの人さえ戻ってくれば…
リサを支配しているのは激しい怒りです。夫の愛と経済に依存することによって成立する主婦労働へと自分を導いておきながら、その全てを台無しにした夫への怒り。遠い国までついてきてしまうほど好きだった人への愛が、憎しみへと反転しているのが分かります。そして、こんな哀しい感情を抱くことしかできなくなってもなお、リサは「奥さん」であることから降りられないのです。
「奥さん」の人生を見守る隣家の女の子
第三者の関与で喚起される、光と闇
もっと別の人生を選択し直すことも理屈の上では可能ですが、リサは決してそうしません。夫捜しに失敗したリサは、その後失明しますが、このエピソードは、主婦労働の「闇」をリサが引き受けたことを意味しているように思えてなりません。「奥さん」でい続けることは、広い世間を見ないことであり、家庭という自閉した世界に没入することを意味しています。その世界は、いくら美味しいお菓子やきれいな植物に満たされていようとも「闇」でしかありません。
あくまで「奥さん」であることを貫こうとするリサを、ツミちゃんは見守り続けます。娘から会うことを禁じられても、めげずにリサとコンタクトをとり続けようとするのです。それはリサを心配してのことでもありますが、リサが背負った「闇」に言いようのない魅力を感じているからでもあります。ワーキングマザーである実母からは決して感じ取ることのできない、専業主婦ならではの孤独や閉塞感を、ツミちゃんは愛していました。本作が非常に巧妙なのは、リサ自身ではなく、隣に住んでいた小さな女の子の視点から「奥さん」の人生を見つめていることです。第三者が関与することによって、家庭という自閉した世界にほんの少しだけ光が差し込むような感覚と、しかしその光さえも吸収してしまう闇の深さに打ちのめされるような、不思議な感覚が喚起されます。
おばちゃんは外国人で金髪で/旦那に失踪されちょっと変で不幸になった/とても美しい隣の奥さんでした/わたしは…/おばちゃんを見るのが楽しくて……/わたしは……/きっと/おばちゃんの不幸が面白かった/(中略)/あの頃…私にはおばちゃんの………/おばちゃんの身に起こることは…そんな不幸であっても/それすら/まるで素敵なことのように思えたんです
18歳になったツミちゃんは、当時を振り返ってこんな風に語ってみせます。大好きなリサが、夫の失踪によって壊れてゆく様子すら、彼女にとってはある意味好ましいものだったのです。しかしそう語るツミちゃんは泣いています。「奥さん」でありつづけた人の哀しみに共鳴するかのように泣いているのです。夫は帰って来ない、娘にも愛想を尽かされた……ではリサは一体誰の「奥さん」なのか。もはや存在意義を失ったこの「奥さん」のために流されるツミちゃんの涙を見るとき、主婦労働の闇の深さを改めて思い知らされる気がします。
トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライター だが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に 「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)など、著書に『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内100』(リトルモア)がある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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