労働系女子マンガ論!第12回 『繕い裁つ人』池辺葵〜 アイデンティティとファッションの関係性
(2014/5/22)
敢えてマンガとファッションを
組み合わせることの「狙い」とは
ファッション——それは、女たちに向けて描かれたマンガが、恋愛の次くらいに重用しているテーマです(注1)。
古典的な少女マンガには、必ずと言っていいほどデコラティブなドレスを着たお姫様が登場し、読者を夢の世界へ誘ってくれます。少女向けストーリーマンガの祖先とも言われる手塚治虫『リボンの騎士』や、フランスを舞台にした歴史ロマン、池田理代子『ベルサイユのばら』などを見ても、それは明らか。ど派手なドレスを身にまとった登場人物に感情移入することは、ごくふつうの服を着た庶民である自分をつかの間忘れさせてくれるものです。
このように、非日常的な衣服が読者を喜ばせる一方、最近では、矢沢あい『NANA』の登場人物がVivienne Westwoodの服やアクセサリーを身につけているなど、実在するファッションを採用するパターンも多くなってきました。この場合は、フィクションの世界と現実世界が「実在する衣服」という点において結びあわされることである種の「地続き」となり、作品世界のリアリティを増す効果があるワケです。
いずれにせよ、マンガに描かれているファッションがやたらステキだとか、登場人物にとてもよく似合っているとか、自分も着てみたいと思ってしまうとか、そういう要素があると、読者はたいへんうっとりしますよね。
しかし、マンガの中でファッションを描くことは、単に読者のオシャレ心を刺激し、うっとりさせるためだけに描かれるのではありません。もしオシャレ心を刺激したいだけなら、たくさんのカラー写真で構成されたファッション誌で十分です。いくら描写力があっても、写真の再現力に勝てるハズがないのですから。
では、敢えてマンガとファッションを組み合わせることの「狙い」とは何なのでしょうか。それは、ファッションが登場人物のアイデンティティを表象してくれるという点にあると思われます。その人の着ているものを見れば、心理状況やら人生の浮き沈みやらが把握できてしまう装置=ファッション、という原則があるということです。ですから、マンガの中のファッションにうっとりすることは、それを着ている人物も含めて
羨ましく思ったりうっとりしたりすることを意味しているのです。服だけにうっとりして、それを着ている人間は完全無視している、という人もいるかもしれませんが、多数派とは言えないでしょう。
ファッションの変化が
登場人物の変化につながっている
ファッ ションとは身につけるものです。そして、着る人の人生を表象するものでもあります。マンガやドラマなどで「ダサい女だと思っていたのに、メガネ外したら超 かわいい子であることが判明して、その後の人生がバラ色に」というベタすぎる展開がありますが、これもファッションの変化が登場人物の変化につながってい るということを示す好例と言えるでしょう。身につけるものを変えると、人生が変わるのです。
たとえば、槇村さとる『Real Clothes』は、百貨店に勤める女主人公が、布団売場から婦人服売場に異動になるところから始まる物語ですが、自分の見た目にさほど構ってこなかった 女が、人生の目的、働く意味、恋愛の真価などについて意識的になるにつれ、服装がどんどん垢抜けていくという展開は、彼女が婦人服売場に勤めているからオ シャレになった、といった短絡的なものではなく、アイデンティティの獲得度と、ファッションの洗練度が連動していることを示しています。
今 回取り上げる『繕い裁つ人』もまた、マンガとファッションの組み合わせがうまく機能している作品なのですが、ファッションを描いたマンガの中では、やや特 異なポジションを獲得している作品であると考えられます。なぜなら、女主人公がファッションによって変わっていくのではなく、仕立屋として他の登場人物た ちに影響を与えていくというストーリーになっているからです(注2)。
主人公・市江にとって
南洋裁店での労働は、人生の全て
ま ずはあらすじを簡単にご紹介しましょう。女主人公「南市江」は、町の小さな仕立屋「南洋裁店」を営む妙齢の独身女性。この店の初代は祖母で、孫の市江は二 代目にあたります。本来二代目になるべき市江の母は、店を継がず、婿もとらず、祖母の大反対を押し切って家を飛び出し、好きな男と結婚しました。そんな母 から生まれた市江は、生まれてすぐ祖母に引き取られ、跡継ぎとして育てられています。のちに両親も一緒に暮らすこととなりましたが、祖母から店を継ぎ、南 洋裁店の二代目になることは、気づいた時には当たり前のことになっていたといいますから、祖母に強制されてというよりは、主体的にこの仕事を選び取ったと 見て良さそう。店を継ぐことより、恋愛に生きることを選んだ市江の母とは違って、市江自身は恋愛よりも仕事が大事。祖母というお手本をなぞるようにして生 きています。
市江は仕立屋の仕事をとても気に入っていて、何があっても辞める気などありません。なぜなら、市江にとっては、どんなことも 「仕立てほどには心を奪われたことがない」のですし、仕事を通じて「自分が培ってきたものもこれから得るものも/誰かのために譲る気にはなれない」(第 16話)からです。市江にとって、南洋裁店での労働は、人生の全てと言っても過言ではないのです。
そんな彼女の仕事に惚れ込んだ百貨店の社 員「藤井」は、市江の服を仕入れようと彼女に接近します。しかし市江は不特定多数の客に服を売ることなど望んではいません。藤井は、そんな彼女のこだわ り、生きざまに打たれ、商品の仕入れが難しいと分かってもなお南洋裁店へ足を運ぶように。ふたりはやがて淡い恋というか、本気で服を愛する者同士の絆みた いなもので密やかに結ばれてゆきます。しかし、彼らは決して恋愛のために仕事をないがしろにするようなことはしません。上司からフランス赴任を命じられた 藤井は、市江に相談することすらせずフランス行きを決めてしまいますし、市江もそんな藤井にコートを仕立ててやることで、彼を気持ちよく送りだそうとしま す。市江の母は娘を気遣って(恋愛に生きた人ならではの配慮です)、
「どこか行きたいところがあれば/少しくらい休んだっていいんだし/店を閉めて出て行ってもいいんだ/洋裁なんてどこでだってできるんだもの」(第25話)
と 言うのですが、市江は「私から南を奪うようなこと言わないで」と、母の提案を一蹴します。南で働くことは、藤井との恋愛より大事なこと。天職であり適職で ある仕立屋を続け、南洋裁店を守ることが市江の望みであると同時に、藤井も彼女の信念を心からリスペクトしているため、フランスについてきて欲しいなどと は決して言いません。
労働系女子にとって、恋愛・結婚・妊娠はライフコースの転換点となるイベントですが、市江はその全てを犠牲にしても構 わないから仕事を続けたいと考えています。いや、犠牲とすら考えていないかもしれない。時々「あれもこれも手に入れているように見える人をねたましく思っ てしまうこともある」(第21話)けれど、それでも心は常に「仕立屋であり続けること」へと向かっているのです。
ふつうの身体を持った、
ふつうの人々のために洋服を作ることの素晴らしさ
そ んな彼女のもとには、祖母の代からのお得意様がやってきます。新しく服を仕立てることもありますが、その多くは、彼女に「お直し」を頼みにやってくる。平 凡で目立たない市井の人々が、ひとつの服を直しながら長く大切に着ることは、丁寧に生きることそのものであり「服に着られない人生」(人が服に合わせるの ではなく、服が人に合わせる)を表してもいます。決して流行のデザインではないのに、彼らが着る市江の服は、まさにうっとりするほどよく似合っています。 南洋裁店の服を着ると、ただ「自分自身であること」が美しく見えたり羨ましく思えたり……それが市江の仕事の成果です。
既製服を着替えるこ とで、より良い自分、新しい自分になるタイプの作品が、灰かぶりと呼ばれたシンデレラが魔法にかけられた時のような「生まれ変わり感」を演出しているとす れば、仕立屋が登場するマンガは「ありのままの自分を受け入れる」ことの悲喜こもごもを描いていると言えるでしょう。服をオーダーメイドすることは、どう したって、自分の身体と向き合わざるを得ない。それは自分のコンプレックスと向き合うことでもありますが、同時に、その身体にぴったりの衣服が完成した 時、コンプレックスも含めて、自分自身を丸ごと受け入れられるかもしれないという可能性へと開かれています。
「自分の美しさを自覚している人には私の服は必要ないわ」(第1話)
「皆コンプレックスだらけでそれでも少しでもきれいに見せようって一生懸命なの/とても健気で愛しい人たちだわ」(第1話)
という市江のセリフにも、そのことがよく表れています。
本 作は、ふつうの身体を持った、ふつうの人々のために洋服を作ることの素晴らしさを5巻かけて丁寧に描き出していますが、読み進めるうち次第に気になってく るのは、市江自身は自分のファッションについてどう考えているかということ。ふだんの市江は、オシャレというよりは、作業に適した服を着ているように見え ます。それは市江=仕立屋というアイデンティティに寄り添うものではありますが、彼女がひとりの人間、ひとりの女性として着たい服とはどんなものなので しょう。
「祖母がよく言ってた/お洒落は自分のためにするもの/でも/とっておきの服はたった一人の誰かのために着るもんだって/古いかもしれないけどそういうの大事にしたいの」(第2話)
そ う語っていた市江が、誰かのためにとっておきの服を用意するシーンを想像するだけで胸が熱くなります。モテたい、恋愛したい、結婚したい……そういう望み を全て捨て去り、仕立屋として精進し続ける女、祖母から受け継いだものをさらに磨き上げ、二代目として恥ずかしくない仕事をしたいと切望する女。自分の ファッションについて多くを語らない彼女が、いつ、どんな風に語り始めるのかについては、今後注意ぶかく見守ってゆきたいところです。
注 1:実はマンガに限らず、多くの女向けフィクションがファッションを重用しています。有名どころだと、海外ドラマの『Sex And The City』。ニューヨークに住む女性4人の恋愛模様を描き出すだけでなく、彼女たちがそれぞれのキャラクターをよく表す(だけではなく大変イケてる) ファッションに身を包んでいることは、この作品にとってかなり重要なポイントです。彼女たちの服装があそこまでオシャレでなかったら……と想像すると、作 品の魅力も半減、という感じが否めません。
注 2:ちなみに、宇仁田ゆみ『いとへん』も、仕立屋が舞台になっているマンガです。男性の仕立て職人と、ひょんなことからその弟子になった女の子の物語。仕 立屋として町の人々の人生に貢献するという構成は『繕い裁つ人』と共通していますが、『いとへん』の方は、師弟関係(協力関係)の中で服を作っていくのに 対し、『繕い裁つ人』は、協力者がいないワケではないのですが、女主人公がかなりストイックに仕事を進めてゆく物語になっています。
トミヤマユキコ(@tomicatomica)
ライター・研究者。1979年秋田県生まれ。日本の文芸やサブカルチャーを得意分野とするライターだが、少女メディアに描かれた女の労働について研究したり論文を書いたりする研究者としての一面も。現・早稲田大学文化構想学部非常勤講師。主な論文に「安野モヨコ作品における労働の問題系」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第57輯』所収)など、著書に『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内100』(リトルモア)がある。趣味はパンケーキの食べ歩き。
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