へんしん不要

へんしん不要〈第29通〉賽の河原で「調子」という名の石を積む 

(2020/2/7)

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イラスト・題字 のむらあい


封筒_もちい
 こんにちは、寒くなったり急に暖かくなったりまた寒くなったり、雨がいきなりどばどば降ったりで忙しないですね。今年は暖冬というものの、こう目まぐるしく気候が変わると一日おきに違う季節を生きているようです。振り回されて疲れてはいませんか? 日の出ている時間も長くなってきましたし、春が来るまであとちょっとだけ耐えましょうね。


 近ごろの私は、季節のもろもろに煽られながらも、一歩一歩地面を踏み固めるように、あるいは一つ一つ石を積んでいくようにしながら暮らしています。それなりに仕事をし、外に出て日を浴び、疲れきらない程度に体を動かし、ご飯らしいご飯を食べ、お湯に浸かり、体をしっとりさせ、夜は8時間寝る。追いついていないこともたくさんあるし(ちなみに今年も年賀状がまだ書けていません)、まだ全てのことを自然にこなせる域には達していないので、かなり注意力を使いながらなのですが、この時期にしてはまあ、調子よく過ごせている方だと思います。

 
 しかし、どんなに気を遣って調子をキープしようとも、駄目なときはちょいちょいやってきます。もうお決まりといえばお決まりなのですが、急に寒くなったとか生理が近づいてきたとか知らない間に疲れが溜まっていたとか、そういう何かが唐突に襲ってくることで全部が台無しになる。いや、全部とまではいかないかもしれないし実質7割か8割くらいかもだけど、体感的には「おじゃん」。せっかく上手くいってると思ったのに。そのタイミングたるや、まるで賽の河原のようです。


 せっせと積み上げてきた「調子」という名の石が、よし、いい感じ、いい感じだと思って手を離した途端、大いなるものたちの力によってワーッと蹴散らされていく。半べそで地面に倒れ伏し、散らばった石をかき集める。ううっ、ひどい。なんてこったい。すぐに積み直す元気は出なくて、しばらくの間石ころを搔き抱いてしくしく泣いたりもする。はあはあ、もう大丈夫、もう一回いってみよう、と積みの作業に戻ると、またいい感じのところでゴシャーッと崩される……。時期によるスパンの差はあれ、この営みは数年単位で続いているような気がします。切ないですね。

 
 それでも、何度も繰り返すうちに石を積み上げる技術だって身についてきているし、石を蹴散らしにやってくるものたちのあしらい方も、少しずつこなれてきている。だし、まあ、駄目になるときは駄目になるんだけど、積めることには積めるんだよな。それにずっと石を積む運動をしてるから、だんだん腕に筋肉がついてきている。毎度台無しになったとしても、確かに自分はやってきたのだという事実までが消えるわけではないし、やってきた自分にはやってきたなりの変化がある。あとは何というか、慣れもあるかもしれませんね。少し前までは、調子が崩れるたびに「あんなに調子がいいと思っていたのは嘘だったんだ、もうこの沼から上がるのは一生無理なんじゃないか」と激しめのショックに襲われていたのですが、今ではなんというか……「またか〜〜い!」みたいな感じです。もはやコントのオチに近いかもしれません。涙は出るけどちょっと笑うこともできる。


 というわけで、直近の私は冬にやられて調子を崩したりはするものの、そのことをそんなに悲観はしていないよという報告でした。なるべく気を楽にして、ほどほどの頑張りを積み重ねつつ、春までやっていこうと思います。風邪やインフルエンザやそのほか色々には、どうぞお気をつけて。

もちい

餅井アンナ(もちい・あんな)

1993年宮城県生まれ。ライター。食と性、ジェンダーについての文章を中心に書いています。「wezzy」にて書評・コラムなどを執筆中。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

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