へんしん不要

へんしん不要〈第26通〉静かな暮らしを求めて 

(2019/8/30)

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イラスト・題字 のむらあい

封筒_もちい

お久しぶりです。2ヶ月ぶりのお便りですみません……。じめじめと暑く、空気がまとわりつくような日が続きますが、調子はどうですか? 湿度が高いと微弱なサウナにいるようで、息を吸うのがちょっと苦しくないですか。もう少しからっとしてくれると助かりますね。

7月と8月の私は、とてもバタバタでした。なぜなら引っ越しというイベントがあったから。大学時代から3年半ほど住んだ高円寺を離れ、この夏からはやや奥まったところで暮らしています。まだ開いていないダンボールがいくつかあるものの、新しい部屋にも慣れ、やっと生活のペースが掴めてきたところです。

契約更新の時期でもないのに引っ越しをしたのは、とにかく脳の容量がいっぱいだったから。同居人と暮らしていた1Kのマンションは二人暮らしには手狭で、物が溢れており(ほとんどが本なのですが)、片付けをしようにも片付けるためのスペースがない。つねに視界がうるさくて気が休まらないし、集中も散ってしまうので、仕事はほとんど近所のファミレスか喫茶店でしなければならないという有様でした。

 新しい部屋はだいぶ広々としています。ちょっとしたダイニングと、和室と洋室が一つずつ。私は和室をもらい、昼はそこで仕事をして、夜は畳の上にお布団を敷いて寝ることにしました。毎日上げ降ろしが大変ですが、運動にもなるし、寝る時間と起きる時の境目がはっきりするのはいいなと思います。高円寺にいた頃は眠るのも仕事をするのも全部がベッドの上で、一日が泥のように過ぎていました。恥ずかしいことに、それくらい部屋が散らかっていたのです。

 荷物はあらかた押入れに入れてしまったので、畳の部屋は相当にがらんとしています。布団をしまえば、あとはパソコンを置く折りたたみの机があるくらい。物の気配(人と同じように、物にも気配というものはあるのです)がない、視界に文字や色なんかの情報が入ってこない。それだけで、こんなにも頭が楽になるとは思いませんでした。天井が高い。息がしやすい。自分の周りがとても静か。思考を流すパイプの詰まりがつるりと取れたようです。

 加えて大きいのが、街の空気です。高円寺には若者、それも「何かやりたいことがある人たち」がたくさん住んでいて、いつも特有のエネルギーが充満していた気がします。駅前には賑やかな商店街もあるし、お店の数も種類も豊富。活気のある街、というのはこういうものを指すのでしょう。小さな空間に、情報とエネルギーが凝縮されている。楽しく便利ではあるのですが、近頃の私はその活気と情報の多さにやや疲れてしまっていたのです。

 引っ越し先はかなり落ち着いた、静かな街です。水と緑が豊かで、人間一人あたりに割り当てられるスペースが多い。歩いていても目や耳に飛び込んでくる情報がちょっとで済む。マンションは駅から離れているけれども、駅から遠ざかるごとに少しずつ灯りや人気が消えていくのが、活動のためのスイッチを一つ一つ切っているようで安心できます。高円寺は常時スイッチがオンの街でした。ここはなんというか、「閑静な住宅街」という言葉を体現したようなところだと思います。

 でも、たまに明け方まで眠れないことがあると、高円寺が恋しくなります。あの街の住人たちが醸し出す、独特の匂い。社会のルールをあんまり気にしていない感じ。規則正しく通うべきところがなくても、健康な人が眠る時間に眠ることができなくても、孤独や疎外感を抱かなくてもよい空気。深夜でも部屋着のままちょっと外に出れば、どこかしら明かりのついているお店があったし、どんな時間であっても人の気配を感じることができました。ああ、この人たちも寝てない。その実感に慰められた日は数えきれないほどあります。

 新しい部屋のドアを開けると、外は真っ暗で湿った緑の匂いがします。人影がない。きっとみんな寝ているのです。コンビニまではそこそこ歩かないといけないし、0時を過ぎて営業しているファミレスもない。朝4時までやっていてくれた高円寺のデニーズよ……と想いつつ部屋に引っ込み、ダイニングのテーブルでお茶を飲んだりお菓子を食べたり何かいい匂いのものを嗅いだりして、眠くなるのを待ちます。

 街の中には行く場所がないけれど、この小さなダイニングが、眠れない夜の新しい居場所になってくれるのでしょう。窓の外からリリリリリ、と虫の声がします。もう夏も終わりですね。

 もちい

餅井アンナ(もちい・あんな)

1993年宮城県生まれ。ライター。食と性、ジェンダーについての文章を中心に書いています。「wezzy」にて書評・コラムなどを執筆中。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

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