へんしん不要

へんしん不要〈第23通〉春とは周回遅れくらいの距離感でいたい 

(2019/4/19)

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イラスト・題字 のむらあい

封筒_もちい
こんにちは、もうすっかり春ですね。調子はどうですか?


風はまだちょっと冷たい日があるけれど、桜ももう終わり、春用のコートももうそろそろいらなくなりそうです。この前パルコに服を見に行ったら、置いてあるのがもう半分以上夏の服になっていてやや焦りました。まだ春、まだ春、と自分に言い聞かせつつも「ああ、もうすぐに夏になって、夏になったと思ったら秋物の服が店頭に並び始めて、私がそれに追いつく頃には季節はもう冬で、あっという間に一年が終わって……」などという想像が止まらなくなってしまい、数日たった今も若干それを引きずっています。


冬の間に固まったり滞ったりしていたもろもろが、春になった途端一斉に動き出す。私はその空気を好ましく思う反面、ちょっと恐ろしくも感じています。生命力が強すぎるというか代謝がよすぎるというか、とにかく命の消費速度が秋とか冬の5倍くらいある気がするのです。何かを始めるのにはよい季節だけれども、否応なく何かが始まってしまう季節でもある。それに乗り切れなかったときの「置いていかれた」感たるや。なかなかずっしりきませんか?


 今年こそは春を味方につけたい。冬の終わりが見え始めたとき、私はそう思っていました。途中まではわりとうまく併走できていたはずです。しかし元々のスタミナがないせいか、少しずつ息が切れてきて、ペースが落ちて、ちょっとしたつまずきで一気に足元がおぼつかなくなって……。そうこうしているうちに「一緒に走ろうね」と言っていたはずの春は、無情にも私を追い越していってしまいました。


 やっぱり春にはついていけない。部屋の窓を開けて布団に突っ伏していると、土と緑と日なたの匂いが吹き込んできます。もうこの空気がだめだ。気持ちがむやみに掻き立てられて、じっとしていられなくなる。思えば、ここのところは毎日明るいうちに外出をしていました。冬の間は暗くなってから起きることも多く、丸一日布団の中で悶々としていることだってしばしばあったというのに。この春を迎えてからというもの、そんなふうに過ごした日はほとんどありません。明るい時間を無駄に溶かしてはいけない。花やいだ季節に急き立てられ、「活動的でない時間」を過ごすことに恐怖を抱いていたのだと気付きました。


 なので今日は一切外出をせず、夕方に起き、日が沈むまで布団でごろごろし、夜は串カツとインスタントラーメンを寝間着のまま食べ、明け方までジュースとお菓子を広げてスプラトゥーンをして遊ぶ、という泥のような一日を送りました。日の当たらない暮らし。極端ですが、これでだいぶ英気が養われた気がします。

 
もういっそ、春とは周回遅れくらいの距離感で付き合っていくのがいいのかもしれません。同じ速度で走っているわけではない、むしろこっちは徒歩、くらいのペースだけれど、ときおり後ろから走ってくる春とすれ違って挨拶を交わす。自分の調子と春の明るさがよいタイミングで重なるときだけ、ちょっとだけ追い風をもらって足取りが軽くなる。そんなふうに都合のいい付き合いだって、ありなんじゃないかなぁと思います。別に毎日が素敵な春である必要はないのです。


 無理なく自分なりのペースでやっていれば、また遠くない日に春とすれ違うでしょう。それを楽しみにしつつ、適当に歩いたり走ったり休んだりしていくつもりです。少しずつ薄着になっていく時期ですが、どうぞ風邪にはお気をつけて。

もちい

餅井アンナ(もちい・あんな)

1993年宮城県生まれ。ライター。食と性、ジェンダーについての文章を中心に書いています。「wezzy」にて書評・コラムなどを執筆中。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

 

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