へんしん不要

へんしん不要〈第14通〉ただ粛々と生きるのがどうしてこんなに難しいのか 

(2018/7/17)

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イラスト・題字 のむらあい

メールもちい

 こんにちは、心穏やかに過ごせていますか? 私は全然穏やかじゃないし、疲れ切っています。このお手紙も、眠れずに明け方の薄暗い部屋で書いています。一人で起きているのは、とても心細いです。

 なんというか、最近の現世、やばすぎませんか? 気候はめちゃくちゃだし、あちこちで大きな地震は起こるし、洪水で西の方は大変なことになっているし、暗い事件が次から次へと起こるし、偉い人たちは自分のことしか考えていないし、東京オリンピックとか本気でやるの? って感じだし、もうニュースを見るのが苦痛でしかない。「パンダのシャンシャンが一歳になりました」みたいな知らせばかりが届く世界であったらよかったのに。

 当たり前といえば当たり前なのですが、今社会で起こっている出来事のほとんどが、私にとっては他人事です。だけどなぜか、あらゆる辛いニュースに対して気持ちが過敏になってしまう。これは私は思いやりにあふれた人間であるとかそういうことではなく、ただただ自分と他者との境目が曖昧なのだと思っています。思春期の女子が友達の悩みを聞いて泣き出すあの現象と同じです。それを目に入るすべての出来事に発揮していたら、そりゃあもう気が散って疲れますよね。結果、現在の私は日常に対する集中力を見事にすり減らしています。

 もっと気を確かに持ちたい。気を確かに持って、ご飯をもりもり食べ、すやすや眠り、きびきびと働きたい。しかしどこかで「それって冷たい人間になるってことじゃないの?」と思う自分もいる。でも疲れきった顔で友人知人に会うと、みんな「今のあなたに周りのことを考える余裕はないはずだよ」と言ってくれます。私という人間にできることは限られていて、それを見極め、淡々とこなしていくことが一番自分にも周囲にも優しい結果になる。そのことだって理解しているのに、いつもうまくいかないのです。

 まずは自分のことを大事にして、粛々とやっていくしかない。分かっているけれど、ただ粛々と生きるのがどうしてこんなに難しいんだろう。大きな災いがあったとき、千羽鶴を折りたくなる人の気持ちもわかる気がします。何かに淡々と集中したい。私は鶴を折る代わりにセブンイレブンで買ってきたモツ煮をレンジで温めて、ずっと噛んでいました。ぎゅも、ぎゅも、とやっているうちは少しだけ無心でいられることを発見して、ちょっと救われた気がしました。こういうのをもう少し、もう少しだけ上手に積み重ねられるようになりたい。今はまだ難しいけれど、徐々に身につけられたらいいなと思います。落ち着かない夜にはモツ煮、おすすめです。

餅井

餅井アンナ(もちい・あんな)
1993年宮城県生まれ。ライター。食と性、ジェンダーについての文章を中心に書いています。「wezzy」にて書評・コラムなどを執筆中。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

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