へんしん不要

へんしん不要〈第13通〉感情がでかすぎる 

(2018/6/15)

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イラスト・題字 のむらあい

メールもちい

 お久しぶりです。梅雨ですね。調子はどうですか? 私は低気圧にやられて体が鉛のよう、頭もぼーっとしてとても憂鬱です。昨日は暗い気分で洗い物をしていたら、気に入っていたカップを落として欠けさせてしまいました。そこからどんどん悲しい気持ちが膨らんでいくのが止められず、最終的には「もう何もかもダメだ」となってふて寝をしました。

 もちろん食器は使っていれば壊れていくものだし、何もかもダメなんてことはないというのも知っています。だけど一度そういう気持ちが生じてしまうと、もう自分の力ではどうしようもないのです。私は感情が大きい。しかも怒りとか、悲しみとか、恨みとか、憎しみとか、嫉妬とか、執着とか、哀れみとか、きれいな色をしていない感情ばかりが巨大な気がします。バランスが悪い。

 ひと月くらい前も、気持ちが穏やかでなくなる出来事がありました。それでも別に、心が一日じゅう負の感情に支配されていたというわけではありません。大半は楽しく、そこそこ穏やかな気持ちで過ごすことができていました。しかしふとした瞬間、めらめらっと燃え上がるものがある。初めは小さな火だったのに、「あれ、なんだか燃えてるっぽい、でもそのうち消えるでしょ」と思ってぼんやりしていたら、それはいつの間にか、自分の体ごと焼くような大きな炎になっていました。

 情念を燃やす。身を焦がす。はらわたが煮えくりかえる。ものすごい量のカロリーを消費します。ご存知の通り、私は笑っちゃうくらい体力も気力もありません。だから怒ったり悲しんだりするときにはいつも自分の感情に振り回されてへとへとに消耗してしまうし、なんなら寝込む。だけど布団の中ではずっと目をぎらぎらさせている。いっそドカンと景気よく爆発してくれればいいものを、いつまでもいつまでも音を立てずに燃えているのです。「私はひ弱な人間です」みたいな顔をしながら、分不相応なくらい巨大で邪悪な気持ちに取り憑かれている自分。すごく汚くてみっともない化け物のように感じられます。

 めらめらしながら、はらだ有彩さんの『日本のヤバい女の子』(柏書房)を読みました。虫愛づる姫君やイザナミ、牡丹灯籠のお露や清姫といった、昔話に登場する女の子たちを描いた本です。彼女たちはみんな感情がでかい。本の中にはしばしば、人間の身には余る巨大なエモーション——怒りや悲しみ、あるいは恋心——によって化け物となってしまった女たちが登場します。彼女たちのどろどろに煮えたぎる情念は、けっして清らかに澄んだものではありません。だけど著者のはらださんは、それを絶対に否定しないのです。たとえ人として生きるのをやめ、誰もが恐れる化け物になってしまっても、これがあなたの人生であることは変わりがないのだと肯定してくれる。何回も読んで、何回も泣きました。

 みんな大なり小なり、燃える火のような感情を心に飼っているのかもしれません。恐ろしいしぶっちゃけ面倒なんて見きれないし、できるならば存在しないものとして扱いたいけれど。ときには無残なやけどだって負うでしょう。傷でぐずぐずに膿んで、水ぶくれまみれの自分の体を、見ていられないくらい醜いと思うかもしれない。しかも時間が経って癒えたとしても、傷跡はなかなか消えてくれなかったりする。それはとても耐えがたいことだし、いっそ死んでしまえば全部きれいになるのに、と感じることすらあります。

 もっと年をとって大人になれば、この火はひとりでに小さくなっていくものなのかもしれません。でも、今の私にはそれをとどめることができない。このひと月、ずっとそれをやってみようとしたけれどだめでした。見ないふりをすればするほど火は大きくなるし、無理やり蓋をすれば弾け飛んでもっとひどいやけどを負う。だったらもう、諦めて火に飛び込むことしか、私にはできない。怖いし痛いしみっともないけど、どんな感情がどんな色をして燃えているのかを、うんざりするくらい間近で見つめるしかないのだなと思います。きっとあちこちが焼けてただれる。でも傷はたぶん、いつか治るでしょう。皮膚は毎日生まれ変わっていきます。跡はずっと残って、視界に入るたびに死にたくなるだろうけれど、傷跡だらけの自分として、人生を続けていくことはまあ、できるような気がします。

 それに嫌だと思っても、案外自分の意志とは関係なく、人生とか、自分自身であるということは続いていってしまうものなのかもしれません。たとえば、みっともない気持ちを吐き出した私を「でも好きだよ」と言ってくれる人たち。「もうこんなの無理」とご飯も食べずに布団に突っ伏している私のところに、食べ物を持ってきてくれる人たち。そういう人たちの存在を知ってしまったら、自分のちょっとした(でも重大な)恥なんて飲み込んで、平気な顔をして生きていくしかないなと思ってしまいます。いや、平気な顔はちょっと難しいかもしれないけど、頭を抱えたり、もんどり打ったりしながらも、どうにかやっていくしかない。

 相変わらず感情の火はでかいままですが、ちょっとだけ腹がくくれたような気がします。めらめら燃える火を眺めながら、痛むやけどを保冷パックで冷やしながら、この手紙を書きました。

 そういえばおかげさまで、私は先週25歳になりました。夜中にロイヤルホストでさくらんぼのパフェを食べて、かわいい猫のポーチをもらって嬉しかった。やっぱりこれはもう、どうにかやっていくしかありませんね。

餅井

餅井アンナ(もちい・あんな)
1993年宮城県生まれ。ライター。食と性、ジェンダーについての文章を中心に書いています。「wezzy」にて書評・コラムなどを執筆中。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

 

 

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