へんしん不要

へんしん不要〈第11通〉通知表の「3」みたいなもの 

(2018/1/22)

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イラスト・題字 のむらあい

メールもちい

 住本さんこんにちは、あけましておめでとうございます。年が変わって調子はどうですか? お正月って意外とうまく休めませんよね。私もなんだかんだで疲れてしまい、未だに仕事をうまく始められていません。毎日を泥のように過ごしている気がしますが、まあちょっとずつどうにかなるでしょう。

 年末に「実家に帰りたくない」とぶちぶち言っていた私ですが、結局帰省はしました。しかも色々あって丸1週間も滞在してしまった。だけど思ったよりも両親と過ごすことを嫌だとは思いませんでした。仕事はどうか。ちゃんとやっているのか。そんなので食べていけるのか。この先一体どうしていくつもりなのか。繰り出されるであろう問いの数々を思い浮かべては戦々恐々としていたのですが、特に何も聞かれない。自分から仕事の話を切り出すのもまたやぶへびになる気がしたので私も黙っていました。ほっとするような微妙に寂しいような不安なような、複雑な気持ちです。わがままですね。

 去年の12月、私は『文學界』に短いコラムを1本書かせてもらいました。さすがに親でも名前を知っている雑誌です。なので寄稿することが決まったときには電話で報告していました。「よかったね」と言いつつも、私が「焼肉のエロさについて書いた」と話すと途端に無言になる母親。そうだろうな、と思いつつもやっぱりちょっと寂しかった。「別に買わなくていいし、報告しただけだから」とその日は電話を切りました。

  ですが実家に帰って何日か経ったころ、私は家の本棚に『文學界』が刺さっているのを見つけてしまいました。買ってるんじゃん!! しかし本棚にあった『文學界』は12月号。私が書いたのは、1月号です。次の日、夕飯の後に食器を洗いながら「文學界、私が書いた号じゃないんだけど」とボソッと呟いてしまったのですが(こういうときに黙っていられないのはなぜなのか)、母親はそれに対して真顔で「知ってる。それでいいの」とだけ答えました。それでいいのか。すごく嬉しかったり心が動いたりしたわけではないけど、うん、まあいいかな、と思いました。通知表で言うところの「3」みたいなもの。私が高校時代「3」を取っていたのは体育と数学と理科です。そう考えると、向いてないわりに頑張ってたじゃんという気がしてきました。

  親に自分の仕事を認めてほしい。それが私の目標だったのかと言われると、おそらくそうではないはず。きっと執着と言った方が正確です。通知表の話を引っ張ると、「5」を取れなければダメなんだと思い込んでいた。それが「3」でもいいやと感じられるようになったのは、「目標を達成した」のではなく「執着を手放した」ということに近いように思うのです。もちろん親の側の変化も大きいのですが、「親の意に沿う職につく自分と、それを認めて応援する親」という「5」に縛られていたころの私だったら、きっとその変化を納得いくものとして受け入れることは難しかったでしょう。

  私にはもしかしたら、「目標を持つ」という感覚があまりピンとこないのかもしれません。「どうなりたい」よりも「どうなるかわからないから、どうなってもなるべく受け入れられる自分でありたい」という気持ちの方がしっくりくる。これは自分への信頼感がないのでしょうか。いや、逆にすごくあるのかもしれない。うーん、どっちなんでしょう。たぶんどっちもでしょうね。

 「私の目標はこれ!」と書けたら収まりもいいのですが、今の私にはやっぱりよくわかりません。でも住本さんが立てる目標がどういうものなのかは、聞いてみたいし、叶うといいなあと思いました。私ももしかしたら急に思いつくことや決意することがあるかもしれません。そのときはぜひ、聞いてもらえたら嬉しいです。

もちい

餅井アンナ(もちい・あんな)
1993年宮城県生まれ。ライター。食と性、ジェンダーについての文章を中心に書いています。「wezzy」にて書評・コラムなどを執筆中。食と性のミニコミ『食に淫する』制作。

 

住本麻子(すみもと・あさこ)
1989年福岡県生まれ。フリーランスライター。文学や演劇などの文化系の記事やジェンダー関連の記事を中心に取材記事やコラム・エッセイなどを執筆している。

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