今日も盆踊り

第11回「温泉の町を盛り上げる盆踊り! 道後湯玉音頭」 

(2015/4/14)

bondancetop

 

盆踊りを生業にする人がいるって?


 現代音頭作曲家、そんな職業の方がいるらしい。

 山中カメラさん。なんとも個性的なお名前。肩書きの通り、全国各地で盆踊りをつくっているそうだ。ネットで盆踊りについて調べている時にたまたま名前を発見し、う〜ん、かなり気になる存在。と思っていたら、本連載担当編集の宮川さんがそんな心のうちを見透かすかのように「今度、山中カメラさんに会いに行かない?」と声をかけてきた。

 なんでも、松山の道後温泉で『道後温泉まつり』というイベントがあるらしく、そこで披露される『道後湯玉音頭』という盆踊りの作曲・振り付けをカメラさんが担当されているらしい。しかも当日、本人もまつりにいらっしゃるとか。大分在住ということで、東京住みの自分としてはなかなかお会いできる機会は少なそうだ。「現代音頭作曲家ってなに?」。この疑問を解決するべく、一路松山に飛んで、道後温泉まつりに参加することにした。あと、道後温泉にも入りたいしね!(←これ重要)

 旅の道連れは宮川さんと、私の盆踊り師匠である『野宿野郎』編集長のかとうちあきさん。今回の遠征で事前に宿をとることになったのだが「私は野宿をします」と一人主張するほどの野宿ガールだ。以前、青森のキリスト祭りに参加した際に、ともにキリストの墓の下で野宿をしたことが思い出される(連載第三回第四回参照)。

坊ちゃん、みかん、道後温泉

松山空港までは飛行機でおよそ一時半くらい。あっという間に着いてしまった感じ。愛媛ということもあり、みかんの推し方はえげつないくらいに露骨である。空港を出てバスに乗り込み、目的の道後温泉まで30〜40分ほど揺られて到着。なんというか、あっけなく着いてしまったなーという感じだ。

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停留所でバスから降りると、さっそく賑やかな商店街の入り口が目に飛び込んでくる。道後温泉へと続く、ハイカラ通り(道後商店街)だ。観光地らしく、商店のラインナップは99%がお土産屋。ここでもやはりみかんのスイーツやみかんジュース、みかんのキャラグッズなど、みかん推しが甚だしい。そして松山といえば、夏目漱石の『坊ちゃん』。坊ちゃんグッズがあちこちにある。

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商店街を抜けてしばらく行くと、今夜の宿に到着する。宮川さんが探してくれたゲストハウスだが、あいにくまだオープンしていない様子。しかたなく商店街の方にとぼとぼ戻る。そういえば道後温泉本館にまだ行っていないな、ということでさっそく向かう。ジブリ映画『千と千尋の神隠し』の舞台のモデルともなったと言われているその建物。宮川さんとかとうさんは以前も来たことがあるらしいが、僕は初見。明治時代に改築され、かの夏目漱石も感嘆したという壮麗な建物の趣に「ほほう」と見とれる。うちのボロアパートの風呂の何倍の大きさなんだろう、とどうでもいいことを考えながら。

 

福の神みたいな山中カメラさん

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 と、宮川さんが誰かと電話をしている。どうやら山中カメラさんと連絡がとれたらしい。道後温泉本館の近くにある「椿湯」という湯屋にいるとのこと。カメラさんと会うべく、さっそく椿湯に向かう。椿湯は道後温泉本館と同様の共同浴場だが、外観は本館の趣と比べると近代的で、しかもお値段がちょい安め。それゆえ、地元の人も多く利用しているそうだ。カメラさんの指定通り、建物の1階にあがって待っていると優しげな面持ちの男性がわーっと駆け寄って来た。か、カメラさんだ!

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 ふくふくとひげを蓄え、表情が大黒様のように優しい。なんだろう、この神々しさは。そう、山中カメラさんはどことなく神様っぽいのだ。そう考えると、首に巻かれたストールはまるで羽衣に見えてくる。「どうも、よろしくお願いします」と互いに挨拶をする。今回の盆踊り遠征は山中カメラさんへの取材も兼ねていて、カメラさんのつくった「道後湯玉音頭」を体験すると同時に、カメラさん自身へのインタビューもさせていただくことになっている。その段取りについてカメラさんと簡単にミーティング。

続いてカメラさんが「ご紹介したい人が」ということで、とある方を連れて来た。道後商店街の青年部部長、石田匡暁さんだ。青年部の部長。要はエラい人だ。なんかスゴいことになった。いちおう名刺を交換させていただくが、僕もかとうさんもかなり素性が謎なはずなので、若干不安になる(僕は『恋と童貞』編集長、かとうさんは『野宿野郎』編集長)。ともかく、お話によると、道後は盆踊りの源流ともなっている「踊り念仏」を始めた一遍上人の生誕の地なのだとか。そんな盆踊り縁の地から世界に向けて日本のダンスカルチャー「盆ダンス」を発信していこうと、カメラさんに盆踊りの制作を依頼した、そんな経緯があるらしい。



浴衣で道後の町をそぞろ歩き

 カメラさんとは夜のまつりで再び落ち合うことにし、あらためてゲストハウスに向かう。今度はちゃんとオープンしていたので、中に入ることができた。カウンターからひょこっと顔を出したのは欧米人の方、なんとこの「泉(せん)ゲストハウス」はアメリカ人と日本人のご夫婦が経営されているらしい。ロビーに併設する共同スペースに目をやると、なるほど外国人のお客さんが数人くつろいでいる。なんとも国際的なゲストハウスだ。

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ここまで来てかとうさんは近くで野宿をするということなのだが、ともかくご夫婦の厚意で荷物だけ部屋に置かせてもらうことに。受付を済ませると「ゆっくりしていってね。そういえば今日は祭りでしょ? 浴衣は着ていかないの?」と言われる。なるほど、浴衣のレンタルもしているらしい。「じゃあ、せっかくなので……」と3人とも浴衣を借りる。浴衣、温泉街、祭り、いやぁナンともいい風情ではないか!と秘かにテンションが上がる。

 荷物を置いて、浴衣に着替え、さっそく盆踊りチーム三人で再び商店街に繰り出す。かとうさんはキョロキョロしながら「野宿できる場所ないかなー」と言っている。さすがかとうさん。

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 夜の盆踊りまではまだ時間がある。せっかくなので道後温泉まつりを楽しもうということになった。まず向かったのは道後温泉本館。散餅、つまり「餅まき」 があると聞いて駆けつけたのだ。実は餅まきは初体験だったのだが、この激しいこと。空中を飛び交う餅に大人も子どもも、男も女も関係なく血眼で飛び込む。 あえなく地面に落ちた餅は、殺到する人の群れで瞬時に一掃される。ダメだ、全然取れない……。諦めて観察していると、片手にビニール袋を持って、ひょい ひょいと餅をキャッチするあきらかにプロっぽいおじさんが何人かいる。アレ、絶対プロだ。
餅まきが終わって辺りを見回すとニヤニヤしたかとうさん。浴衣の袖から餅が4〜5個も出てきた。この人もプロだ。

  続いて湯を浴びることにする。本館と先ほど訪れた椿湯の二択だが、今回は椿湯をセレクト。椿湯の内観はいかにも、最近のスーパー銭湯といった風情で、非常 にキレイなたたずまいだ。隅々まで意匠が凝らされた道後温泉本館とは真逆な感じ。それだけ親しみやすさというか、気を張らずに利用できる気楽さがある。浴 室に入ると目の前にいきなり広々とした湯船。それを囲うように壁際に洗い場が配置されている。泡風呂も電気風呂もサウナもない、シンプルなお風呂。浴槽の 中央には大きな円柱上の物体が伸びていて、ちょぼっと出た急須の口のようなところから、魔法の様にじょろじょろと湯が注ぎ出ている。(これが道後の湯です か……)と誰に言うでもないナレーションを頭の中で再生しながら、とぷんと湯につかる。極楽。極楽である。まるで浴槽でお湯に抱きしめられているような温 かさ。ああ、来てよかった、と一瞬盆踊りのことを忘れるほどだ。いかんいかんと思いつつも、いつまでも肩まで湯に浸っていたくなる。

 風 呂から出ると、宮川さんが「石けん、みかんのやつじゃなかった?」と言う。そういえば受付で借りた石けんがオレンジ色だった。深くにも全然気がつかなかっ たが、みかんの香りがする愛媛エディションな石けんだったらしい。うーん、ちゃんと堪能すればよかった。しかし、この地はどこまでもみかん推しである なぁ。

 

動くやぐらと商店街を行進

 湯屋から出て街ブラしていたら、あっという間に盆踊りの時間。いかんと急いで店を出て会場へと向かう。場所は道後温泉駅前の広場。先ほどの山中カメラさんの話では「青年会の人たちが動くやぐらを作ったみたいです」と言っていた。一体、どういうことなんだ。

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 到着すると商店街の入り口に紅白の布で巻かれたやぐらが立っていた。布の下からすっくと伸びた四つのパイプの脚にはキャスターが付いている。なるほど、確かに稼働性。手作り感のあるやぐらに何だか嬉しい気分になる。やぐらの上のはハッピを着た山中カメラさん。お会いした時はおだやかな印象であったが「それじゃあ、これから踊りの練習をしますね!」と声をはりあげていて、まるで別人の様。われわれ盆踊りチームもがぜん気合いが入る。

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 カメラさんの考えた『道後湯玉音頭』の振り付けにはすべて意味がある。例えば道後の名物「一六タルト」の模様をなぞらえて腕を回したり、肩にお湯をかける仕草だったり、小説『坊ちゃん』が湯船で泳いだエピソードにちなんで泳ぐ仕草をしたり……。地域にまつわる要素が満載で、踊りを覚えているうちに道後のことが自然と頭に入ってくる。さらに印象に残るのが、歌詞のサビに使われている「真暫寝哉(ましましいねたるかも)」というフレーズ。これはカメラさんの解説によると大昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)という神様が、病気にかかったこれまた少彦名命(すくなひこなのみこと)という神様を道後の温泉につけたところ「真暫寝哉(しばらく昼寝をしていたようだ)」と叫んで復活したという神話にちなんでいる。その際、少彦名命は復活した勢いで石の上で舞い踊ったそうな。道後、温泉、盆踊り、という3つの要素がキレイにリンクするエピソードだ。そして、音頭の最後は輪になった全員で手をつなぎながら「嬉しくてダンス」という言葉で踊る。

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 踊りの講習が終わったところで、さっそく盆踊りの本番がスタート! 踊りはパレードのように商店街のアーケードの中を行進していき、その後ろをカメラさんが乗ったやぐらがついていく。とりあえず僕とかとうさんは列の後ろにつく。商店街を通る観光客に好奇の目で見られながら、ずんずんと前へ前へ。踊り自体は比較的シンプルなので、物覚えのわるい僕でもすぐにマスターした。特に「シェー」のようなポーズで左右にぴょんぴょんと飛び跳ねる動きが楽しい。


道後温泉本館の前で盆踊り!


 ほどなくして踊りの隊列は道後温泉本館の前に到着。ここでいったんの休憩タイム。今度はやぐらの位置を固定して、その周りを囲むように人の輪をつくる。次の踊りへの準備が進むなか、じょじょに近くを通りがかったの観光客も輪のなかに加わってきた。しばらくすると、再びやぐらの上に山中カメラさんが登場。あらためて踊りのレクチャーをしたあと、クライマックスの道後温泉本館の前で盆踊りがスタート!

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 道後温泉を見ながらの盆踊りはなんとも風情があって楽しい。また、先ほど列になって踊っていた時と違い、一緒に踊っている人たちの顔がよく見える。この光景がとても印象に残った。みなさん、踊りながらめちゃくちゃ楽しそうなのだ。踊っていると、隣にいたハッピを着た50代くらいの男性が話かけてきた。道後温泉まつりのスタッフさんのようで、「ここはこう踊るんだよ〜」と嬉しそうに教えてくれる。その笑顔といったらもう……。なんという多幸感に満ちた時間、空間だろう。地元の人も、観光客も、すべてが踊りの輪の中で一体になっているのだ。なんだか無性に楽しくなってしまって、自分も夢中で踊る。

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 ふと、ダンスに熱中する人の波の間に、道後温泉本館の建物が垣間見えた。提灯の薄明かりに照らされ、闇夜に浮かび上がるその姿。この幻想的な時間のなかで、建物がまるで神様のように見えた。数千年もの長い間、道後の地と人々とともに生きてきた道後温泉の神様が、一心不乱にアホ踊りに興じる人間たちを見守るように優しく見つめている、そんなイメージが頭をよぎったのだ。ああ、すごく楽しい。このままずっと踊っていたい……。

道後湯玉音頭が生まれたきっかけ

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 翌日、ご好意により「道後湯玉音頭」を企画した道後商店街青年部部長の石田さんにお話を聞く機会に恵まれた。
 2013年12月にお披露目されたという「道後湯玉音頭」。人づてに山中カメラさんを紹介してもらった石田さんが盆踊りの制作を依頼したことがすべてのはじまりだという。
「道後で盆踊りをやろうと思った当初は、けっこう軽いノリだったんですよ。みんなで楽しめるし、わかりやすいし、あるいは盆踊りって浴衣で踊りますよね。道後の町は浴衣でそぞろ歩きをするのが風土だし、そのまま踊れるじゃん!って。でも、一遍上人の生誕の地が道後にある宝厳寺で、その一遍上人が伝承した踊り念仏っていうのは実は盆踊りの元祖なんだと……、話を突き詰めていけばいくほど盆踊りって絶対的に道後に必要じゃん!って思わされて。そこで、カメラさんに盆踊りの制作をお願いしたのがスタートだったんです」
 依頼を請けたカメラさんは道後の地にやってきて一ヶ月間滞在。資料を調べたり、人に話を聞きながら盆踊りのヒントを探していったという。
「そのうち僕らより道後のことに詳しくなっちゃって。逆に僕らが教えられるという。僕らが言っていることのほとんどは、カメラさんからもらった言葉ですから(笑)」
 そして、ついに「道後湯玉音頭」が完成する。
「最初に曲ができましたって聴いた時に、歌詞がシンプル分かりやすいと思ったんですね。でも、いろいろなことを知った上で出てくる言葉の重さみたいなものに感動して泣いちゃいました。それは道後の過去、神話からはじまって、現在の僕たち、そしてこれからはじまる道後温泉本館の改修。その後、道後温泉本館自体が『ましましいねたるかも』と復活して、再び観光客の皆さんを道後の街に呼んでくれる、っていうストーリーや想いが込められているんですよ」
 昨夜、盆踊りの舞台ともなった道後温泉本館は、実は2017年から建物の改修が予定されているのだ。2024年の完成を目指しているということで、工事は7年。道後温泉の象徴的存在でもある本館が7年もの間、使えなくなってしまう。きっと地元の人たちは多くの不安を抱えているだろう。そんな背景のなか、完成した道後湯玉音頭。その意味を考えると、なんだか熱いものがこみ上げてくる。石田さんは笑顔で話を続けた。
「僕らがやるべきことは、いまはまだ道後温泉本館の前で踊るだけですけど、いずれは本館を取り囲んで、刻太鼓(道後温泉本館の頂上に取り付けれた時刻をしらせる太鼓)を叩きながら踊りたいですね。来る2020年の東京オリンピックで、日本が盆ダンスを日本の看板として打ち出した時に、ミシュラン二ツ星の道後温泉本館を盆ダンスの聖地として世界に広げていって、世界中から道後温泉に盆ダンスを踊りにくるぞ、と。嫌なことも何もかも忘れて世界中の人が楽しむ場所になっていったらいいなと、盆ダンスを街のみんなで成長させていきたいと思っています」


新しく盆踊りを創るということ

 山中カメラさんの「現代音頭」に感じたもの。それは、自分たちの歴史を自分たちの意志で作っていく、という想いだ。地元の人たちも知らなかったような土地の歴史を再発見していく過程があり、それらの材料を再編し、誰にも馴染みがある音頭という形でアウトプットする。その音頭が描くのは過去の歴史だけでなく、いままさに盆踊りを無心で楽しんでいる「現在」の自分たちの姿、そして「こうあってほしい」という願いのつまった意志のある「未来」だ。
 
 これからもカメラさんは一遍のように全国を遊行し、様々な音頭をつくっていくのだろう。そして道後湯玉音頭も、もっと規模が大きなものになって発展していくだろう。盆踊りってまだまだ楽しいなぁ、と帰りの飛行機で一人ほくそ笑む自分であった。

小野和哉
1985年生、千葉県出身。制作会社勤務。ミニコミ誌『恋と童貞』編集長。好きなアイスは「チョコかけちゃったスイカバー」。盆踊りはまだビギナー。
「恋と童貞」公式サイト:http://ameblo.jp/koi-dou/

かとうちあき
人 生をより低迷させる旅コミ誌『野宿野郎』の編集長(仮)。著書に『野宿入門』『野宿もん』『あたらしい野宿(上)』があって、野宿だらけ。神奈川県横浜市 に生まれ、隣の町内に混ざって神輿を担ぎ、炭坑節と南区音頭を踊って育ちました。あと、アラレちゃん音頭が好きだった記憶あり。

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