今日も盆踊り

第10回 秘境に伝わる 十津川の大踊り(奈良・十津川)後編 

(2015/2/23)

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■前編はこちら

 奈良県の山奥に古くから伝わる珍しい盆踊りがあるらしい。そんな話を聞いて、東京からはるばる奈良県は十津川村にやってきた盆踊りチーム。一夜が明けて、今日はいよいよ宿泊させていただいている武蔵地区での盆踊り本番当日である(昨晩、参加させていただいたのは、同じ十津川村でも「小原」地区の盆踊り大会)。


さながら合宿状態

 目を覚ますと、眼前に広がるのは6畳ほどの小さな部屋にいい年した大人たちがすし詰め状態で寝ている光景。いったい何があったというのだ。

 
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 宿泊させていただいた建物から出ると、薄い霧の向こうに山の峰、そして目の前には田畑が広がる。空気は当たり前のように、おいしい。なんという澄み切った空気だ。なんだが桃源郷に来たかのような錯覚を覚える。

 僕らが昨夜寝泊まりさせていただいた武蔵の公民館には、自分たち以外にも村外からやって来た様々な人が宿泊している。しかもほとんどが大学生で、さながら部活やサークルの合宿所の様相だ。30年ほど前に大学の調査チームが武蔵を拠点に十津川盆踊りを調べるようになった。そのうち村の人から踊りに誘われるようになり、今のような学生たちが祭りの準備から踊りに参加する「盆踊り合宿」がはじまったそうだ。学生以外にもOG・OBや僕らのように人づてに誘われた社会人も存在する。

 
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 みんな起床すると、先ほど我々が寝ていた部屋が食卓へと変身する。席は限られているので、各々が順番に朝食を済ませていく。食べ終わったら、速やかに茶碗を台所に持っていって自分で洗う。DIY(ドゥー・イット・ユアセルフ)である。

 今年は参加者が多かったようで、2日目は特別に公民館の隣にある2階建ての「武蔵集会所」という建物を宿泊場所として開放してもらえることになった。東京遠征組のスペースもあてがっていただく。さっそく荷物を持って移動すると、目の前に広がるのは建物の2階に宴会場のような大きな広間!  昨夜のごとく、一つ屋根の下の家族ように枕を並べるのもいいが、こんな広いスペースでゴロゴロできるのもまた快適である。



盆踊り会場の設営スタート

 今日は朝から盆踊りの設営作業だ。僕らがいる武蔵では今夜、盆踊り大会が開催される。しばらくすると、石川さんがやって来て「そろそろ、行きましょうか」と声がかかった。石川さんは大阪で「カロ ブックショップ アンド カフェ」というお店を営んでいる女性だ。15年ほど前から武蔵の盆踊りに参加されているようで、十津川に来ているメンバーを束ねているお姉さん的存在でもある(と、僕が勝手に思っている)。僕らも今回の旅では石川さんにかなりお世話になっている。

 
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 盆踊りの会場は公民館近くの学校前の広場だ。学校といっても数十年前に廃校となっており、いまは資料館として利用されている。広場に着くと、既にやぐらの骨組みが建っていた。ここに色々な装飾をしていくようだ。昨夜の雨で地面には大きな水たまりができている。今夜も雨の予報があるらしく、急きょ広場の前のお堂を盆踊りの会場として利用することになった。このお堂は大昔、本物のお寺だったのだが、廃仏毀釈の影響で廃寺となってしまったらしい。


 
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 まずはお堂の整理。以前は保育園としても利用されていたというこの場所。現在は、物置のような感じになっている。ホコリをかぶっている木材やら机やら様々な物体を外に運び出す。季節は真夏。ちょっと動いただけで、かなり汗ばむ。荷物を運び出したら、床を掃除しつつ、壁の戸や窓を取り外す。長い時間、暗くてこもっていた空間が開放され、お堂に新鮮な空気が吹き込む。

 どこかから運び込まれたブリキ製の大きなケース。空けると、提灯がぎっしりと折り畳まれて詰まっている。地区の商店や企業などのスポンサー名が書かれていて、昨夜買い物をしたお店の名前も見つけた。設営の指揮をとっている村の方の指示に従って、提灯をお堂の中につり下げていく。提灯の並べ方にもルールがあるようで、面白い。

 えっちらおっちら作業していると、あっという間にお昼。設営の間に、他の合宿メンバーが昼食の準備をしてくれていたようだ。メニューはスパイスの利いたカレー。おいしいので、あっという間に平らげてしまう。後で石川さんに伺ったところ、10年くらい前まで武蔵の盆踊りに参加していたインド音楽家のHIROSさんという方のレシピを受け継いだカレーだそうで、石川さんのお店でも提供しているのだとか。



歴史ある校舎の中を見学

 
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 お昼休憩の間に、廃校の中を見物させいただけることになった。現在、校舎は「教育資料館」という名前で一年のなかで期間限定で公開されているのだ。正面玄関から入ってすぐの場所に教室がある。机、黒板、壁に貼られた日本地図、チャイムの鐘もそのまま残っている。椅子に座るとやっぱり小さい。ぐるりと教室を見渡すと、「当時の子どもだちもこの風景を見ながら勉強していたんだなぁ……」と追体験しているような気持ちになる。

 
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 廊下を挟んだ反対側には職員室のような小部屋、さらに奥には教室というにはやや広過ぎる大きな空間が広がっていた。部屋には長テーブルがいくつも並んでいて、実際に使用していた教材、教科書など、歴史的ともいえるような資料がずらーっと並んでいる。昭和末期生まれの僕にはどれもが珍しく興味深いもので、夢中で観察してしまう。音楽の授業で使ったのだろうか、古いレコードプレーヤーもたくさん飾られていて、音楽好きの自分にはたまらない光景だ。


ついにやぐら完成

 昼から引き続きの作業。空はすっかり晴れて、外のやぐらを使える可能性も出てきたので、広場にできた大きな水たまりの水抜き作業がはじまる。男ども数人でスコップで水の通り道をつくって外に逃がそうとするもなかなかうまくいかない。それを見かねた村の人が加勢する。「この場所は水はけがいいんだ」といって、細長い鉄の支柱を地面に勢い良く突き刺す。支柱を抜くと、ぽっかり空いた穴にみるみると辺りの水が吸い込まれていく。まるで魔法のような光景。何ヶ所か穴を空けると、あっという間に水たまりはなくなってしまった。

 
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 その後も、手際良く作業は進んでいく。まず、やぐらの周りに赤、青、ツートンカラーの布を巻いておめかし完了。骨組みだけだった殺風景なやぐらも、もっともらしくなってきた。続いて四方に電線を張って、提灯を一定間隔でつり下げていく。やぐらを中心に赤い提灯が広がっていく様は、まさに「盆踊り」といった感じである。最後にやぐらの中央に大きな立方体の灯籠を掲げる。これで踊り会場の完成である。

 設営作業が終わったので、いったん拠点に戻る。いよいよ、これから盆踊り本番だ。いちおう学生さんたちも浴衣を持って来ているようで、めいめいが着替えをはじめる。もちろん、僕も自前の浴衣を用意している。浴衣は村で貸し出しもしているようで、いちおう見させてもらうと、白地に“吉原つなぎ”という、鎖が繋がっているような模様があしらわれた立派なもの。うっ、これは魅かれる……。

 
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 藤川さんは、この立派な浴衣を借りるとのことだった。さっそく羽織ってみると、かなり似合ってる。白の浴衣というのは、どことなく玄人感があって、それなりの年齢の人が着ると自然に貫禄が出てくる。みんなで「よ、師匠!」とからかった。

 
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涙が出そうになる盆踊り

 
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 昨日の小原の盆踊りでもつかった扇を持って、踊りの会場へと向かう。辺りはすっかり闇。広場に入ると、つらなる提灯の明かりがあたたかな光の空間をつくっていた。暗すぎず、明るすぎず。小原では残念ながら雨のため室内での踊りだったので、外でやぐらの回りを踊れるのは嬉しい。会場には村の人らしき方々も続々とやってくる。みなさん浴衣を着て、とても華やか。特に持っている扇がみんな派手派手で思わず目が釘付けになる。 先ほどまで一緒に汗まみれで作業をしていた学生たちも浴衣でおめかしをして、なんともカッコいい。

 武蔵でも小原と同様、まずは盆踊りを十数曲踊った後に、最後は大踊りで締めるという構成だった。同じ十津川村と言えど、地区によって歌や振り付けが違うと聞いているので、とても楽しみだ。

 
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 やぐらの上の音頭取りたちが唄い出す。さっそく武蔵の盆踊りがスタート。昨日の経験を生かそうと鼻息あらく手足を動かしてみるが、やはり難しい……! あわてて、輪の中の踊りの上手そうな(というか、自分たち以外、みんな上手いのだが)マダムの後ろについて、見よう見まねモードへと早々に突入する。

 
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 あらためて、十津川の盆踊りは優雅だ。晴れ着で着飾った男女が扇を空中に舞わせる光景は、本当に美しい。薄明かりの下で鳴り響くのは、太鼓、歌、土を踏みしめる音、合いの手。ただそれだけの音だからこそ、胸にすっと染み渡る。ずっとずっと、遥か昔からこの地に伝わってきた踊り。時間と空間の大いなる連続性のなかに自分もいる、そんな感じ、なんだか涙が出そうな気分になる。

 
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 さて、しばらく踊っていると気がつくのだが、やはり昨日の小原の踊りと違う。そもそも「あ、この曲、昨日も踊ったな」というのがほとんどないのだ。歌の雰囲気や調子は似ているし、扇を使って踊るという意味でも、同じ系統であることは言うまでもないのだが、ここまで違うとは。十津川はどうか分からないが、昔は盆踊りでも村同士で対抗意識があって競い合っていたようだ。「うちの踊りの方がカッコいいぜー!」といったところだろうか。

 休憩時間に踊りの上手いマダムに話を聞くと、やはり地元の方のようで、子どもの頃から誰に教わるでもなく参加しながら踊りを覚えていったらしい。こういう話を聞くとやはり、地元に代々受け継がれる盆踊りがある人を羨ましく思ってしまう。これは、地元に伝統らしき伝統がない人間ならではの性だろうか。

 
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 いよいよ最後の大踊りがはじまるというタイミングで空からパラパラと小雨が振ってきたが、準備は着々と進んでいく。昨夜の小原のように太鼓を持った男たちと、たすきをかけた女たちがやぐらのまわりに集まる。切子灯籠という華やかな飾りをつり下げた笹を手にした人も何人かいる。太鼓のバチも色とりどりの紙で装飾され、全体的にとても華やかだ。

 
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 まずはゆったりとしたテンポで歌ははじまる。踊りも足をゆっくりとステップする穏やかなもの。徐々に曲がスピードアップしていくと、踊り子も扇子を空中で大きく回す派手な動きとなっていく。もちろん、僕らも端の方で邪魔にならないように踊りに参加させていただく。当然のように踊りは難しいが、しかし楽しい。囃子のにぎやかさが頂点に達したところで、踊りは佳境に入っていく。音頭取りが「ソーリャ、ソーリャ」といったようなシンプルな掛け声のみとなり、勇壮さ、力強さが増してくる。終盤に近づくほどに囃子も踊りも単調になり、高揚感と躍動感が生まれる。最後、怒号のような「イヤッサ!イヤッサ!」の一声で大踊りは終了。結局の雨模様にも関わらず、テンションあげあげのままだ。


ラストダンスはお堂の中で

 踊りの後は、お堂に集まって関係者全員でお疲れさまの乾杯。机を囲みながら、一緒に踊った仲間たちと会話を楽しむ。いや〜、実にいい気分である。しばらく学生さんや地元の人にいろいろと話を聞いていると、余興的に再び踊りがはじまった。お堂の中の即席の盆踊り会場。椅子に座った音頭取りの女性を囲んで、再びみんなで盆踊りタイム。

 
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 小さな明かり、狭い空間、人の声と太鼓の音だけのミニマムな音楽環境。この限定された環境が異様な盛り上がりを生み出す。テンションが上がって、思わず自分も音頭取りに合わせて合いの手をシンガロングしてしまう。なんていうか、盆通りの原点を見るような光景。「おいおい、外で踊ってる時よりもみんな声出てるぞ!」と地元の人も苦笑い。うわ〜、盆踊りめちゃくちゃ楽しい! 楽し過ぎる!
 片づけは翌朝に回して、取りあえず撤収。寝床に戻ってもみんな興奮冷めやらず、寝袋や布団に入りながら缶ビールで夜更けまで会話が続く。こうして、十津川村の最後の夜は終わったのだった……。

 
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 朝、ごはんを食べて盆踊り会場のお片づけタイム。一見、堅牢に見えるやぐらも、野郎どもの手であっという間に解体され、倉庫へと運ばれていく。また来年までサヨウナラだ。あの大踊りがあった場所が、またガランとした広場へと変わる。喧噪のあったお堂がまた静寂を取り戻す。祭りの後は、いつも寂しいものだ。

 荷物をまとめ、それぞれの車に乗り込んで次々と人が十津川村を去っていく。僕らもまわりの人たちに別れのあいさつをして、その場を後にした。さらば、さらば、またいつか。十津川村へとつづく細い森の道は、まるで異界へのワープ空間のようだ。すべてが終わった後に、そんな思いが去来する。山奥の場所でひっそりと伝承されてきた古の踊り。これからもずっと続いて欲しいと思う。そして、また踊りたい。この伝統を残していこうと、様々に活動している人たちに敬意を表したい。

 ところで、実は私とかとうさん藤川さんは、この足でそのまま岐阜に向う予定になっている。岐阜県のとある盆踊りに参加するためだ。夜通し徹夜で踊られる盆踊り界のキング! この続きはまた次の回で……。


小野和哉

1985年生、千葉県出身。制作会社勤務。ミニコミ誌『恋と童貞』編集長。好きなアイスは「チョコかけちゃったスイカバー」。盆踊りはまだビギナー。
「恋と童貞」公式サイト:http://ameblo.jp/koi-dou/

かとうちあき
人 生をより低迷させる旅コミ誌『野宿野郎』の編集長(仮)。著書に『野宿入門』『野宿もん』『あたらしい野宿(上)』があって、野宿だらけ。神奈川県横浜市 に生まれ、隣の町内に混ざって神輿を担ぎ、炭坑節と南区音頭を踊って育ちました。あと、アラレちゃん音頭が好きだった記憶あり。


 

 

 

 

 

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